しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

上野公園散策

2009-03-08 22:34:23 | Weblog
      今朝はちょうどよい時間に目覚めたので、ウオーキングに出かけました。
      その後、外出したい気分で、何処にゆくか考えた末に、上野の寛永寺に行くことに決めました。
      江戸時代好きとしましては、寛永寺を知らなくてはと、思っていたのです。
      少し下調べをして、出かけました。



  

      山手線鶯谷から少し歩いたところに、重要文化財、寛永寺霊廟勅額門がありました。



             





                  

      東叡山 寛永寺
      元和8年(1622)徳川幕府秀忠が上野の地を天台宗の僧天海に寄進したことから、寛永寺の歴史は
      始まります。 本坊は寛永2年(1625)に竣工、根本中堂の完成は、元禄11年のことです。
      江戸末期まで寛永寺は今の上野公園をはじめ、その周辺にも堂塔伽藍や子院が立ち並ぶ文字通りの
      巨刹であり、徳川将軍家ゆかりの寺にふさわしい威容を誇っていたようです。

      京の都の鬼門(北東)を守る比叡山に対し、東の比叡山という意味で山号を「東叡山」とした。

  

                         

      江戸時代、人々に時刻を知らせる役割を果たしていたのが「時の鐘」寛永寺ほか江戸中で9カ所で
      日本橋石井、浅草寺、本所横川、芝切り通し、市ヶ谷八幡、目白不動、目黒円通寺、四谷天竜寺におかれた。
      
      この時の鐘は現在も朝夕6時と正午の3回昔ながらの音色を響かせている。


 
                         

                      尾形乾山墓碑 琳派の創始者尾形光琳の弟



                  

                 根本中堂の絵を描いてる若い人が数人、近くの芸大生でしょうか




                  

                 


          明治維新の際の上野戦争で大半が焼失しその後明治政府の命令で大幅に縮小され
          (約3万坪、江戸時代の10分の1)現在に至っています。

          寛永寺には話題の天璋院篤姫の墓所もあるが、非公開でした。





        

          子供図書館 我が国初の国立の児童書図書館



                

                 旧・博物館動物園駅  京成電鉄2004年4月に廃止



                

                 重要文化財 旧東京音楽学校奏楽堂



                   
                       

                   直ぐ側にこんなキリンのオブジェ? これひとつだけ
                   動物園から離れているのに、分からない・・・



  
  

      国立博物館(正面)の前を通り過ぎて、噴水の広場、ここを過ぎると右手が動物園
      上野公園は桜の名所、あと2週間もすると、このあたりは大変な人出になるでしょう

      日差しのない寒い日曜日でした、でも上野公園は散策の人も多く、寛永寺 根本中堂のあたりは
      地図を片手に歩くグループや年配の二人連れが多く見られました、散策には気持ちの良い場所、
      改めて上野公園が新鮮に見えたひとときでした。