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スポットESGドキドキ旅③

2007年11月28日 | jam free blog
この日からアテネ滞在3連泊。
5つ星ホテル滞在
なんて言ってるから皆期待大
でもそんな大したことないホテルでね。
部屋の広さもそこまで広くなく
ただ設備は万全でキレイでパーフェクトだったけど

11月22日

今回飛行機遅延によって一時CUTした行程を
組み換えてこの日に★,。・:*:・゜'☆,。・:*:・゜'
またアテネからペロポネソス半島へ繰り出し

コリントス運河を通り、エピダウロスへ。



ここもまたギリシア神話が絡んでいてる土地。
ここはアポロンの息子、医療の神アスクレピオスを
祀っていた場所。

アスクレピオスの象徴は蛇
蛇は脱皮するでしょ。再生のシンボルだから。
病気から回復するって意味ね。
ここではヒーリングのような治療が施されていました。
簡単な外科手術から運動治療、温泉治療などね。
治療の巡礼地となって多くの人が訪れたのでありまっす

ここには古代ギリシア時代の劇場がキレイに残って
いるのです。紀元前4Cのものですよ!!

そしてここでも写真がない!?
今回本当にとってないねぇ・・・・我ながら(笑)
ウィキさんにお世話になりっぱなしですわ。笑

続きまして、ミケーネの観光へ。
ここもまた神話縁の地。
ドイツ人のシュリーマンがトロイに続いて発掘
したところ。
トロイ戦争その後のギリシア・ミケーネの国の跡地。
ギリシア軍総大将アガメムノンの国。ミケーネ。
トロイ戦争で勝利したアガメムノンは凱旋帰国。
トロイの王女カッサンドラを連れて。
そして、帰国したその日、アガメムノンは奥さんに
お風呂場で惨殺
―娘を神託の!戦争の!!犠牲にされた奥さんが恨んだ結果―



こっちも遺跡の1つで獅子の門といわれる城砦の入口
今は獅子の頭の部分が崩壊してないんだけどね。


真ん中の一枚岩は200tあるとか!?

ミケーネの観光も終わり、アテネへ帰る~

11月23日
エーゲ海1dayクルーズの日

7:15 ホテルにバスが来るはずが・・・・
来ない
会社から電話があって、バスがトラブったから遅れていると
またもやトラブルかい

30分後バス到着。港へ向かいまっす

無事出航に間に合い、クルーズスタート

ポロス島

イドラ島

そして最後の島エギナ島へ向かい、アフェア神殿という
神殿観光も終わり、アテネへ帰る為に、エギナ島を出航
した数分後。
大きな音とともに地震のような揺れが
何事!?って思いつつも日々睡眠不足から眠くて唯一
寝れる場所(スタッフルーム)だったために、ちょっと
眠りについてしまって(笑)
はって起きたら、周りに誰もいない

ヤバイ!!って思ってお客様のいるデッキの階へいく前に
スタッフの人捕まえて聞けば・・・・・・・・・・・・・
クルーズ船座礁
またかぁーーーまたかぁーーーーートラブル

小さな船が助けだそうと画策するも全く動かず。
結局、乗客を連れ出す為に別の船がやってきてね。

我先に行こうとする乗客。

まったく焦る必要なんてないんだけど、
まるで沈船になってしまうから、急いで乗り移ろうと
してる人たち

『押すなー!!ちゃんと皆乗れるし!慌てる必要なんて
ないんだから!!』って叫んだりして、別船に最後の方に
乗り込み、再度エギナ島へ戻る。

そして大きな船で出航。

結局予定より2時間遅れで9時過ぎアテネの港に到着。
お客様は船の中でぐったりだったね。
この日、ホテル帰着が24時近く。

そんなこんなでトラブルばっかりの旅だったけど、
参加者のお客様は皆様本当にいい方でね

こんなにトラブル続きなのに、怒りの矛先をワタクシに
向けず理解してくれて全面的に協力してくれてね。

本当にありがたい人たち
素敵な人たちでした


噂の座礁船


そんで最終日11月24日。
半日アテネの観光
ヘロイデ・アティコスの音楽堂inアクロポリスの丘


紀元前6世紀の教会in古代アゴラ


ヘファイストス神殿in古代アゴラ


パルテノン神殿inアクロポリスの丘


ギリシアの陸軍衛兵
*容姿端麗の若者が選ばれる徴兵制の中ではエリート達


近代オリンピックスタジアム(1896年の開催)


そして、国立考古学博物館にて。
ポセイドン像


アガメムノンの黄金のマスク

紀元前1300年時に既にこれだけの黄金細工が
使用されていたのでありまっす。

人の歴史って本当にスゴイです。
って旅を通じて思うことであります

次回は年末までないよう。
久しぶりにまたのんびりな日常を過ごしますわん

スポットESGドキドキ旅②

2007年11月28日 | jam free blog
11月20日

デルフィ観光。
ここはアポロンの神託で有名な場所。
古代ギリシア時代、神話によるとゼウスが世界の東端
と西端から、同じスピードで飛ぶ2羽の鷲を離した。
この2羽の鷲が出会ったところがこの世界の中心"へそ"
であると考え、そして、その出会ったところがパルナッ
ソス山の上。ここデルフィはその麓の町。
そしてデルフィが世界の中心だと考えられました。
その記念に”オロンファス(へそ)”をデルフィの町に
作りました。

真ん中のがへそを表すオロンファス
紀元前4Cのものでコピー。
オリジナルは紀元前6Cのもので今はなし。



アポロン神殿
ここで神託が行われていたと言われている。
巫女(ピュティア)がまず清めの泉にて、身を清めている間
質問者は生贄の羊を祭壇にささげ、水をかけ、羊が身を震
わせてるとアポロンが神託に答えてくれるとされ、その後、
巫女は月桂樹の葉を燃やした煙に身を任せる。そして神殿
の奥の裂け目がある場所に置いてある三脚台に腰掛け、神
懸りの状態にはいり、神託を賜るのであります。



デルフィの観光が終わり、オシオスルカス修道院へ。
途中のアラホバの町パノラマ写真



そしてオシオスルカス修道院へ。

またもや写真がなかった
だからURLをつけてみた。笑
9世紀から11世紀にかけて建設された
ビザンティン時代のギリシア正教教会。

そしてオシオスルカス修道院の観光が終わると次は
カランバカへ移動です。


カランバカはメテオラの観光入り口の町なんです
午後ずっと移動・・・カランバカ到着が18時頃。
この日、やっとスーツケースが届くと言われ、お客
様を夕食に案内し一通りの仕事が終わった後、ドラ
イバーさんと二人で引き取りにGO
9個のスーツケースを皆様に渡して自室に入ったのは
またもや22時過ぎ。お風呂入ってちょっと仕事した
らすぐ12時近くに
眠いから仕事途中で寝て、翌日早起き!!
もうこれでトラブルはないだろうと・・・・願って
眠りに落ちました


11月21日

5時半頃起きたんだっけかな?
そしてこの日はまたまた午前中が観光でメテオラへ。
ギリシア語で“宙吊り”という意味のメテオラ。
1億年以上も前。ここは湖であった。地殻変動により
山ができ、近くを流れるピニオス川により浸食されて
礫岩、砂岩のみが残り現在の姿になった。

修道院ができたのは14世紀。当時、ビザンツ帝国を
脅かしたオスマントルコの手を逃れ、ギリシャ正教の
祈りを守り抜こうとした修道士たちによります。
最初は麓の洞窟で修行を行っていたが、そのうち岩の
頂上へ登る者が現れ、頂上に庵を結んだことがメテオ
ラの始まり。その後、沢山の修道士が頂上へ登り修道
院を作り始め、繁栄時は全部で24の修道院がありま
したが、現在は6つの修道院が残るのみ。
うち2つが女子修道院。

聖ステファノス修道院
ここが女子修道院の1つ。



こっちが男子修道院の
メタモルフォシス(メガロ・メテオロン)



現在は橋や石段が作られて移動も楽になったけれど
当時、縄はしごで上り下りする以外にアクセスでき
なかった特異な場所。
もちろんそんな危ないところなので落下者も沢山。
命をかけての苦行。
信仰をはスゴイですよね

現在の修道士さん達はケーブルを利用しているんです。
人道的立場から19世紀以降石段と橋を設置することが
義務付けれられたから

当時は縄はしごで移動。
物資は巻き上げ装置を使って80mくらいの高さを人力
で運びだしていたそうな。
つまり頑強な人間しか修道士になることが出来なかった
のです。

メテオラの観光が終わり~アテネへ
アテネ着は20時頃。この日、民族舞踊showが!
21時半から超しょぼかった。苦笑
ホテル帰着が23時半。
またまた早々に寝て、朝早起き。4時半起きだー!!


まだまだ続く。

スポットESGドキドキ旅 ①

2007年11月28日 | jam free blog
いやはや16日から始まった今回のギリシアの旅。
添乗経験20回を
記念する!?

いろいろとありましたよ。
トラブルだらけ
今回も色々と勉強させてもらいましたよ。
本当に旅にトラブルはつきものですが、これ程のは
っすよ

では今回の10日間の旅を時系列にて発表!!
1日目:19時40分羽田空港集合。
お客様と初対面
まずは大阪KIXへ~1時間のフライト~
22時半頃KIX着で・・・24時頃KIXを飛び立ち


2日目:
12時間のフライトを経てUAEドバイに到着するはずが
到着予定約30分前に機内アナウンスが・・・
『ドバイが霧の為に着陸不可の為、
カラチに行きます』


ほげ!?カラチ??
今飛んで過ぎたとこよ?戻るの?
そして1.5時間後。カラチ着・・・悲劇はここから
そこで機内待機すること2時間。

『まだドバイの天候は回復したという
連絡はないが、もしもドバイがまだ着陸
不可でも近くに向かうべく隣国オマーン
のマスカット国際空港に緊急着陸します』


ってことで

結局マスカット空港に9:30着。
(ちなみに時差-5時間)
そして・・・さらに!!
乗務員がこれ以上の勤務することは出来ないとのことで
天候回復待ち+新しい乗務員までも待ちに・・・・
午前中で天候回復したのに乗務員パイロット不在で飛べず。
朝9時半から(細かくいえば、カラチで既に2時間待ち)
ずっとオマーンで待機すること21時にようやく搭乗可能に。

その間、ラゴスからの乗客に夕方17時頃オマーンから飛び
出せることになったのに、彼らの搭乗妨害
プチ空港ジャックですよ。

彼らも同様にドバイに降りれず、ここで待機なんだけど何故か彼らの
飛行機がなく飛べなくて乗務員が来てもX。航空会社からわたくしたち
大阪からと同時にドバイに出発できると言われていたのに先に大阪から
のが出発しそうになったから暴動ですよ。一人怪我、一人は興奮しすぎ
で、卒倒・・・ってな感じ


ようやく彼らの飛行機も準備できて。マスカット空港
を離陸したのが22時過ぎだよ。
半日以上オマーン滞在

まだまだハードな1日は続く・・・
ドバイ着後、ドバイからアテネ行きの予定便は既に14時
にドバイ出発済だから新しい予約をとらねばいけないんです
↑これ初体験ね。
乗り継ぎカウンターに行くんだけど、長蛇の列
大分前にドバイについてチケット交換に並んでいた外国人談
『5時間並んだ』『6時間並んだ』
5~6時間って。。。。。。
今23時半なんですがぁ~~~5時間っていうと・・・
翌日4時半頃??この列の一番前のカウンターにつけるのが!?
まじかいな
一旦列抜けて(もち場所取りは近くの外国人さんに任せ~
「すぐ戻るから!!場所あけてて!!」って)お客様の所へ

・・・・5時間かかったという話を聴きましたので
どれだけかかるのか予測不可能。自分は列を離れられないから
1時間毎に様子を見にきてください。食事やホテルサービスも
カウンターに辿り着かないと何も出来ない状態なこと案内し
一時解散し空港内で自由にしてもらった。

そして列に戻り並ぶこと5時間。ようやくカウンターへ
辿り着きチケット交換
終わった時間は6時。

日付はとうに変わり11月18日

もちこの間立ちっぱ。ラッシュの電車にいるようなもので立ちっぱよ。
6時半お客様に新しいチケット渡してまた解散しゲート集合に。
ゲート集合が8時半。
9時半頃ようやくドバイを離陸しアテネ着が12時半
(ちなみに時差さらに-2時間)
着いたら・・・今度は
スーツケースが
とどかなーい!!

9個も

今回自分いれて17人。半分以上がないし
紛失届けをだし~アテネから
宿泊場所まで移動。

途中コリントス運河を抜けてペロポネソス半島へ

ローマ皇帝ネロもここに運河を築くことを考案したとか。
全長6343km。幅23m。1893年完成。

ペロペネソス半島に入り~さらにバスを進めること~
20時近く・・・やっとこさオリンピア到着。
即夕食にして、部屋案内して、部屋問題ないか!?
確認し~自室にはいったのが23時近く。

16日いや。。。。15日の夜MY ROOMの
ベッドで寝てからほぼ3日ぶり!?ようやくベッド
にありつけたのではありますが、仕事ですから翌日
のんびりとも寝てられず3日ぶりのベッドでも!!
5時間半睡眠で起きて仕事。

11月19日

9時ホテル出発してようやく観光!!
オリンピア
古代オリンピック発祥の地。
オリンピックはゼウス神に勝利を感謝したことから
始まった競技の祭典☆

神話によるとペロプス王の時代に遡る。
ピサ国の王、オイノマオスが娘ヒッポダイアの婿となる
ものに殺されるという神託を受けていたことで、オイノ
マオス王は婿に立候補してくる若者と戦車競争で戦い負
け知らずでありました!
☆というのも王の父は軍神アレス(ゼウスと正妻ヘラの子)
アレスから風よりも早く走る馬をもらっていたから☆
そこで名乗りをあげたのがペロプスという若者。
彼を一目見て好きになっちゃったヒッポダイア王女は父
の御者を誘惑し戦車に細工をさせます。
細工を知らない王はいつものように戦車を走らせようと
したら!!・・・・戦車は壊れ、王は落馬し死亡。
ペロプスが見事勝ったのでありました


その勝利記念をゼウスに捧げるために始まった競技大会
が古代オリンピックの起源と言われているのでありました。
(紀元前776年)

以後、オリンピックは現代と同じ4年毎に開催され、平和
の記念協定として競技大会が開催される1ヶ月間は、戦争
はしない!!という約束がポリス間で結ばれました。
そして優勝者しか名前は記録されなく、現在の様にポリス
の栄誉をかけて戦われていました。
優勝者はには!?
名前が記録される+オリーブの冠がもらえる!程度ね。

どの時代も腐った人間がいるもので、約1200年続いた古代
オリンピックも後半は横領とかも大分あったそうな。
(終了はビザンチン帝国時代テオドシウス3世の禁止令。
AD393年)

このオリンピア観光時雨でね。
帰国後写真整理してみたら・・・・写真がナイ
びっくりしました。

オリンピアの観光後、ペロポネソス半島から移動して、
パトラの町を通り過ぎ、デルフィを目指します!!
ここでパトラの写真を。

聖アンドリュース教会。
ギリシアで一番大きい教会らしい。


パトラから橋を渡ってデルフィへ。


デルフィ到着18時。

まだまだ続く。

めん処山元

2007年11月28日 | jam free blog
初紹介店になります。


めん処山元(佐倉市鏑木町)


場所は、佐倉駅北口の国道296号沿いになります。
八街市よりの移転店舗のようです。

久しぶりの佐倉市のラーメン屋さんへの訪問です。


↑とんこつ醤油¥600+味玉¥100


塩分濃度控えめなライトな豚骨醤油スープ
めんま、チャーシュー、きくらげの具材
中太ストレート麺

麺は、細麺と中太麺が選べるのですが、お店お勧めの中太麺にしてみました。
茹で加減は申し分ない硬さだったでしょうか。


めん処山元さんのラーメンを食しながら、どこかのお店の味と似ているなと感じたのですが。
そのときには中々浮かんできませんでした。ですが、

ちゃんこらーめん総豊


このお店の味に近いなと思いました。
不思議ですね。


『めん処山元』さんでは、
替玉¥150、半替玉¥100もありますので、大食漢には重宝しますね。


皆さんは、拉麺好きですか?



gaku