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スポットESGドキドキ旅 ①

2007年11月28日 | jam free blog
いやはや16日から始まった今回のギリシアの旅。
添乗経験20回を
記念する!?

いろいろとありましたよ。
トラブルだらけ
今回も色々と勉強させてもらいましたよ。
本当に旅にトラブルはつきものですが、これ程のは
っすよ

では今回の10日間の旅を時系列にて発表!!
1日目:19時40分羽田空港集合。
お客様と初対面
まずは大阪KIXへ~1時間のフライト~
22時半頃KIX着で・・・24時頃KIXを飛び立ち


2日目:
12時間のフライトを経てUAEドバイに到着するはずが
到着予定約30分前に機内アナウンスが・・・
『ドバイが霧の為に着陸不可の為、
カラチに行きます』


ほげ!?カラチ??
今飛んで過ぎたとこよ?戻るの?
そして1.5時間後。カラチ着・・・悲劇はここから
そこで機内待機すること2時間。

『まだドバイの天候は回復したという
連絡はないが、もしもドバイがまだ着陸
不可でも近くに向かうべく隣国オマーン
のマスカット国際空港に緊急着陸します』


ってことで

結局マスカット空港に9:30着。
(ちなみに時差-5時間)
そして・・・さらに!!
乗務員がこれ以上の勤務することは出来ないとのことで
天候回復待ち+新しい乗務員までも待ちに・・・・
午前中で天候回復したのに乗務員パイロット不在で飛べず。
朝9時半から(細かくいえば、カラチで既に2時間待ち)
ずっとオマーンで待機すること21時にようやく搭乗可能に。

その間、ラゴスからの乗客に夕方17時頃オマーンから飛び
出せることになったのに、彼らの搭乗妨害
プチ空港ジャックですよ。

彼らも同様にドバイに降りれず、ここで待機なんだけど何故か彼らの
飛行機がなく飛べなくて乗務員が来てもX。航空会社からわたくしたち
大阪からと同時にドバイに出発できると言われていたのに先に大阪から
のが出発しそうになったから暴動ですよ。一人怪我、一人は興奮しすぎ
で、卒倒・・・ってな感じ


ようやく彼らの飛行機も準備できて。マスカット空港
を離陸したのが22時過ぎだよ。
半日以上オマーン滞在

まだまだハードな1日は続く・・・
ドバイ着後、ドバイからアテネ行きの予定便は既に14時
にドバイ出発済だから新しい予約をとらねばいけないんです
↑これ初体験ね。
乗り継ぎカウンターに行くんだけど、長蛇の列
大分前にドバイについてチケット交換に並んでいた外国人談
『5時間並んだ』『6時間並んだ』
5~6時間って。。。。。。
今23時半なんですがぁ~~~5時間っていうと・・・
翌日4時半頃??この列の一番前のカウンターにつけるのが!?
まじかいな
一旦列抜けて(もち場所取りは近くの外国人さんに任せ~
「すぐ戻るから!!場所あけてて!!」って)お客様の所へ

・・・・5時間かかったという話を聴きましたので
どれだけかかるのか予測不可能。自分は列を離れられないから
1時間毎に様子を見にきてください。食事やホテルサービスも
カウンターに辿り着かないと何も出来ない状態なこと案内し
一時解散し空港内で自由にしてもらった。

そして列に戻り並ぶこと5時間。ようやくカウンターへ
辿り着きチケット交換
終わった時間は6時。

日付はとうに変わり11月18日

もちこの間立ちっぱ。ラッシュの電車にいるようなもので立ちっぱよ。
6時半お客様に新しいチケット渡してまた解散しゲート集合に。
ゲート集合が8時半。
9時半頃ようやくドバイを離陸しアテネ着が12時半
(ちなみに時差さらに-2時間)
着いたら・・・今度は
スーツケースが
とどかなーい!!

9個も

今回自分いれて17人。半分以上がないし
紛失届けをだし~アテネから
宿泊場所まで移動。

途中コリントス運河を抜けてペロポネソス半島へ

ローマ皇帝ネロもここに運河を築くことを考案したとか。
全長6343km。幅23m。1893年完成。

ペロペネソス半島に入り~さらにバスを進めること~
20時近く・・・やっとこさオリンピア到着。
即夕食にして、部屋案内して、部屋問題ないか!?
確認し~自室にはいったのが23時近く。

16日いや。。。。15日の夜MY ROOMの
ベッドで寝てからほぼ3日ぶり!?ようやくベッド
にありつけたのではありますが、仕事ですから翌日
のんびりとも寝てられず3日ぶりのベッドでも!!
5時間半睡眠で起きて仕事。

11月19日

9時ホテル出発してようやく観光!!
オリンピア
古代オリンピック発祥の地。
オリンピックはゼウス神に勝利を感謝したことから
始まった競技の祭典☆

神話によるとペロプス王の時代に遡る。
ピサ国の王、オイノマオスが娘ヒッポダイアの婿となる
ものに殺されるという神託を受けていたことで、オイノ
マオス王は婿に立候補してくる若者と戦車競争で戦い負
け知らずでありました!
☆というのも王の父は軍神アレス(ゼウスと正妻ヘラの子)
アレスから風よりも早く走る馬をもらっていたから☆
そこで名乗りをあげたのがペロプスという若者。
彼を一目見て好きになっちゃったヒッポダイア王女は父
の御者を誘惑し戦車に細工をさせます。
細工を知らない王はいつものように戦車を走らせようと
したら!!・・・・戦車は壊れ、王は落馬し死亡。
ペロプスが見事勝ったのでありました


その勝利記念をゼウスに捧げるために始まった競技大会
が古代オリンピックの起源と言われているのでありました。
(紀元前776年)

以後、オリンピックは現代と同じ4年毎に開催され、平和
の記念協定として競技大会が開催される1ヶ月間は、戦争
はしない!!という約束がポリス間で結ばれました。
そして優勝者しか名前は記録されなく、現在の様にポリス
の栄誉をかけて戦われていました。
優勝者はには!?
名前が記録される+オリーブの冠がもらえる!程度ね。

どの時代も腐った人間がいるもので、約1200年続いた古代
オリンピックも後半は横領とかも大分あったそうな。
(終了はビザンチン帝国時代テオドシウス3世の禁止令。
AD393年)

このオリンピア観光時雨でね。
帰国後写真整理してみたら・・・・写真がナイ
びっくりしました。

オリンピアの観光後、ペロポネソス半島から移動して、
パトラの町を通り過ぎ、デルフィを目指します!!
ここでパトラの写真を。

聖アンドリュース教会。
ギリシアで一番大きい教会らしい。


パトラから橋を渡ってデルフィへ。


デルフィ到着18時。

まだまだ続く。

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