2007年1月16日掲載の『日本人のための宗教原論』についてのその後です。
・日本人のための宗教原論
・日本人のための宗教原論 概要
・日本人のための宗教原論 キリスト教
今回は、『キリスト教』についてです。
→矢印以降は、わたくしのコメントです。
要諦(ようてい:大切な事):行為ではなくすべて信仰
神の命令のみに生きる=キリスト教
→十字軍遠征での異教徒への虐殺、インカ帝国など原住民への侵略、アメリカンインディオなど先住民への虐殺など、
現在の価値観に当てはまらないことも、信仰によるものなんだそうです。
異教徒や原住民は人間ではない⇒では殺しても良い、という図式です。
当時の資料で、原住民は人間なのかどうか?というバチカン宛文書があり、人間ではないと回答しているとのこと。
そういうことですから、神の命令(この場合には虐殺すること)に従順なことほどキリスト教徒ということになるのです。
宗教にはこういう一面もあるということを肝に銘じる必要があるということですかね。
神前法後:全てに先んじて神(GOD)がある
→森羅万象よりも先に神がいるということですね。
GODが森羅万象を創りたもうたという考えですから。
ガリレオ・ガリレイなど天動説から地動説に対する考えへの宗教裁判などが好例でしょう。
このあたりは、仏教の『法前仏後』とは対照的な考え方です。
これらの違い(神前法後、法前仏後)は、その宗教が生誕した地の自然環境によるものだとする考え方もよく聴きます。
イエスは主であると口で言い表し、神はイエスを死から甦えらせたもうたと心で信ずるなら、あたなは救われる
人間の内心における『信仰のみ』で神は恩恵を与え救いたまう。
→行為ではなくすべて信仰という所以になるのが上記、ヨハネによる福音書?の一節です。
教会でお祈りを捧げなくとも。江戸時代のキリシタン狩りで踏絵をさせられても、信者足り得るんですね。
このあたりは、イスラム教徒とは根本的に異なるところです。
彼らは、毎日決まった行為(日々の祈り、禁止食物等)を行なわなければならない分けですから。
この点は、ユダヤ教も同じです。
予定説(⇔因果律:仏教):原因に関係なく結果はすでに決められている
あるのは神GODの意志のみ、人間はただGODの意志のままに行動すべし
→因果応報の考えに浸っている我々には、難しい事柄です。
前にも触れましたが、
キリスト教の原罪は、アダムとイブが楽園から追放されて死という罰を背負ったこと。
との考えですから、その罪からの開放=神の国での永遠の生
ということになるのですが。
その神の国へ入れる人は、既に決まっているということなんです。
生まれた後の功徳によって入れるかどうかが決まるのではなく、生まれながらにして既に決まっている。
キリスト教自体に戒律はなく、あるのは協会の戒律か修道院の戒律だけ。
東西キリスト教(西:カトリック、プロテスタント 東:ロシア正教、ギリシャ正教)により多少異なる。
原罪
煉獄(れんごく)
皆さんはどうお思いになりますか?
今後も各宗教詳細について触れて行きたいと思います。
gaku
・日本人のための宗教原論
・日本人のための宗教原論 概要
・日本人のための宗教原論 キリスト教
今回は、『キリスト教』についてです。
→矢印以降は、わたくしのコメントです。
要諦(ようてい:大切な事):行為ではなくすべて信仰
神の命令のみに生きる=キリスト教
→十字軍遠征での異教徒への虐殺、インカ帝国など原住民への侵略、アメリカンインディオなど先住民への虐殺など、
現在の価値観に当てはまらないことも、信仰によるものなんだそうです。
異教徒や原住民は人間ではない⇒では殺しても良い、という図式です。
当時の資料で、原住民は人間なのかどうか?というバチカン宛文書があり、人間ではないと回答しているとのこと。
そういうことですから、神の命令(この場合には虐殺すること)に従順なことほどキリスト教徒ということになるのです。
宗教にはこういう一面もあるということを肝に銘じる必要があるということですかね。
神前法後:全てに先んじて神(GOD)がある
→森羅万象よりも先に神がいるということですね。
GODが森羅万象を創りたもうたという考えですから。
ガリレオ・ガリレイなど天動説から地動説に対する考えへの宗教裁判などが好例でしょう。
このあたりは、仏教の『法前仏後』とは対照的な考え方です。
これらの違い(神前法後、法前仏後)は、その宗教が生誕した地の自然環境によるものだとする考え方もよく聴きます。
イエスは主であると口で言い表し、神はイエスを死から甦えらせたもうたと心で信ずるなら、あたなは救われる
人間の内心における『信仰のみ』で神は恩恵を与え救いたまう。
→行為ではなくすべて信仰という所以になるのが上記、ヨハネによる福音書?の一節です。
教会でお祈りを捧げなくとも。江戸時代のキリシタン狩りで踏絵をさせられても、信者足り得るんですね。
このあたりは、イスラム教徒とは根本的に異なるところです。
彼らは、毎日決まった行為(日々の祈り、禁止食物等)を行なわなければならない分けですから。
この点は、ユダヤ教も同じです。
予定説(⇔因果律:仏教):原因に関係なく結果はすでに決められている
あるのは神GODの意志のみ、人間はただGODの意志のままに行動すべし
→因果応報の考えに浸っている我々には、難しい事柄です。
前にも触れましたが、
キリスト教の原罪は、アダムとイブが楽園から追放されて死という罰を背負ったこと。
との考えですから、その罪からの開放=神の国での永遠の生
ということになるのですが。
その神の国へ入れる人は、既に決まっているということなんです。
生まれた後の功徳によって入れるかどうかが決まるのではなく、生まれながらにして既に決まっている。
キリスト教自体に戒律はなく、あるのは協会の戒律か修道院の戒律だけ。
東西キリスト教(西:カトリック、プロテスタント 東:ロシア正教、ギリシャ正教)により多少異なる。
原罪
煉獄(れんごく)
皆さんはどうお思いになりますか?
今後も各宗教詳細について触れて行きたいと思います。
gaku