@太平洋戦争への参戦理由は「集団意思決定」=集団極化に陥り「先の見通しが立たなかったからこそ始まった戦争・国民の間にはもう東條内閣の弱腰に非難の声が起こり出した」とある。群衆・民衆の集団極化とは恐ろしいものだ。多くの民衆が「臥薪嘗胆」でジリ貧になる一歩手前にありながらこのような行動に出れる事は想像を絶せない。 今後近くの国でこのような事が起きない事を期待したいが、様々な物資、特に穀物とエネルギーが無い環境(日本の戦前の場合は、石油輸入制限)では何が起きても不思議ではなくなる事はこの書にもある「開戦しないでも2〜3年でジリ貧になる」と。 人間窮地に陥ると何でも可能だと行動するようになる・・・とは恐ろしい事だ。
『経済学者たちの日米開戦』牧野邦昭
- 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く
- 「秋丸機関」とは軍が世界情勢を判断する基礎資料・太平洋開戦への参戦か否かの判断資料(日本、アメリカ、イギリス、ドイツなどの主要国経済対抗力調査)昭和15年から17年にかけて活動した陸軍省戦争経済研究班の資料である。昭和14年関東軍参謀部第4課、秋丸次郎主計中佐が中心となり東京大学教授有沢広己ら学者が中心の陸軍報告書。報告書には「経済学者が対戦の無謀さを指摘したにも関わらず、陸軍はそれを無視して開戦に踏み切ってしまった」
- 日中戦争勃発後の昭和12年「多くの資源を輸入に頼る『持たざる国』日本」が経済力を超えた軍事費支出を行うことで経済統制が必要となり、それは日中戦争により一層深刻になっていた。
- 日本の対外依存状況、昭和14年の輸入は満州支那からは23%、77%は第3国。そのうち81%が英米依存で、米国からは52%を占めていた。大半の鉱物資源もアメリカだった。特に「船と油の問題」として武村忠雄が「2倍以上の戦争はできない、これでいっぱいだ。これ以上戦争を広げたらもう日本は戦力がなくなるのみならず、生活力さえなくなるようになるだろう」
- 秋丸機関の研究では昭和16年前半時点では少なくとも日本の国力の限界を認識させ、武力行使を抑制させる働きを持っていた。英米と日本の総合力的な戦力の差が、短期的(2年間)は交戦可能であっても持久戦は難しいという結論を出していた。ただし、「突きくずし得ないことはあるまい」という意見もあった。それは英米の輸送の問題を指摘していた。「陸軍は他力本願的なもので英米をよく理解していなかった。ドイツ軍の対英上陸作戦がすでに1年半近く経過していたにも関わらずドイツ軍に期待し、日本の運命をこれに託していた」日本の「都合のいい部分だけのつまみ食いで日本の願望」となっていた。
- 「消極的和平論には耳を貸す様子もなく、大勢は無謀な戦争へと傾斜した。今更そんな話を聞いても仕方がないという雰囲気でみんな居眠りをしていた」。「対英米開戦」ではなく「対英米ソ連開戦」で「南の資源を確保すべき」として、だがソ連との交戦も仕掛けた。
- 日米経済力の差
- 主要項目 米国 日本vs 米国
- 製鋼能力 9500万トン 1対20
- 石油産油量 1億1千万 1対数百
- 石炭産出量 5億トン 1対10
- 電力 1800kW 1対6
- 飛行機生産 12万台 1対5
- 船舶生産 1千万トン 1対2
- 昭和16年の対日石油輸出停止というアメリカの強力な経済制裁で機運が高まり、東條英機陸軍大臣から開戦を前提とした物的国力判断を求められた。昭和16年8月末の結論は「対英米戦は日本の敗北となる」と報告、「開戦すれば高い確率で日本は敗北する」という指摘が「だからこそ低い確率にかけてリスクを取っても開戦しなければならない」と意思決定の材料となった。「開戦しない」でも2〜3年後には確実に国力を失いジリ貧になる。「開戦すれば」ドカ貧になるか低い確率でイギリスの屈服によりアメリカが交戦意欲喪失すると予測した。「現状維持よりも開戦した方がまだわずかながら可能性がある」と判断した。「集団意思決定」=集団極化に陥り「先の見通しが立たなかったからこそ始まった戦争・国民の間にはもう東條内閣の弱腰に非難の声が起こり出した」
- 真珠湾攻撃で沈没した米国戦艦8隻のうち6隻は修理して戦列に参加している。米国の1941年だけでの船の建造は合計で1362隻。
- 陸軍はアメリカと戦争をしているという意識が極めて希薄だった。
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