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昔の富士山大噴火の現代に教えてくれるもの『富士山宝永大爆発』

2023-06-24 07:58:57 | 歴史から学ぶ
1707年の富士山噴火で周囲13kmの及ぶ噴石(テフラ)が発生、多いところでは2mも積もったと言う。その除砂作業費用を幕府勘定奉行と江戸商人が結託し金49万両の内金42万両もの大金を搾取、被災地にはごく僅か(1万両)しか支援金として支給されなかったことは、現代の政治家と請負人(オリンピック諸経費の結託)と変わってはいないことに驚愕する。噴火後、住民の流出始め人足不足、二次災害(洪水で安易な堤決壊)で数年間田畠は利用不可となったという。
参考資料:100年前からの日本の災害被害情報(添付図)
関東大震災の情報資料(説明pdf)
https://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/pdf/r5_tokushu1_1.pdf
『富士山宝永大爆発』永原慶二
「概要」富士山噴火が近いとよくいわれる。本書は、1707年の最新の宝永大噴火の実態と100年を要したその復興作業を、当地小田原藩の資料等をもとに、リアルに伝える。被災地復興を懸け戦う人々の感動の記録
ー「富士山噴火」の歴史
    800年・864年・1083年・1703年(元禄16年)・1707年(宝永4年)
1707年(宝永4年)
    4年前に関東での巨大地震(M8.0~8.2)、大津波が発生江戸~東海道方面に甚大な被害
    10月4日:東海・南海に巨大地震(M8.4)
    11月23日:富士山大爆発
    12月8日:噴火収束、降砂収束(赤穂浪士の内入・11月23日)
ー富士山噴火の規模と被害
    火口は直径1300m、短径1000m、深さ1000m
    マグマ流出量:10億m3(テフラ噴出:岩・砂が白から黒に変化し噴出)
    テフラは蹴鞠ほどの大きさの岩から桃位、2日間続き砂の噴煙は半月続いた
    テフラは東へ12km(小山町)に流れ最大約3mにも積もる
        南足柄60cm、秦野40~50cm、藤沢20~30cm、江戸にも及んだ
    津波は1時間後から襲来房総から九州にも、特に伊勢湾岸・紀伊半島が被害甚大
    死者3万人、流失家屋2万、潰家6万、船の損失3千隻以上、田畑損失30万石
二次災害
    農民の流失、飢餓による人口減(人夫不足)老人、子供、病人だけが留まる
    洪水による堤の決壊数回(簡易な堤処理工事)数回に及ぶ田畠の除砂作業
    除砂作業奉行として赴任した役人(伊奈忠順)の時間をかけすぎた見聞と救済提出
ー江戸幕府の対処    
    災害地を幕領に変更し全国に公私領として100石につき金2両を課徴(総額49万両)
    救済支援として配布されたのは6万2559両、だが請負人江戸商人石屋半四郎5万両の儲け
    除砂作業への人足手当て費用は金1万両そこそこ(勘定奉行と請負人の搾取)
    残り42万両は勘定奉行萩原重秀による流用と城の造営費に利用
ー将軍吉宗時代(1716年)
    大岡忠相任命で諸大名に100石につき1石の上米を課し、参勤交代期間を緩和する
    大岡は民間人である専門家田中丘隅を任命、改良された堤土木構築半年で完了

    


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