@昔と今、映画・TV等には昔とは違った「写りのいいもの」を選び、または歴史は勝者の語りとあるが「時代考証」(この書の説明)で納得いくことも多い。特に江戸時代の女性も立小便が普通、庶民の財産は蒲団と鍋、江戸の女性は三行半で再婚が多数、バツイチは当たり前の江戸、大奥女中の出会い茶屋、大トロは猫の餌など。驚愕することは人口百万都市を予測し敢行した下水道インフラ整備、公衆便所の設置など、さらに庶民は普段から身軽な財産、経済的な工夫の衣・食・住、商売人の驚くほどの賄賂とその額、刀は着物の上からでは斬り殺せない事実は浅野内匠頭の殺傷事件の不可思議に繋がるなど。詳細は下記に。
『なぜ、江戸の庶民は時間に正確だったのか』山田順子
「概要」一概に江戸時代といっても、約二百六十年の治世の中では、文化も街並みも様変わりしている。「時代考証」は日本の歴史を正確に読み取る仕事とある、そこから読み取った証だ。
・江戸が百万都市になった訳
1695年35万人、参勤交代開始後で90万人(町方・大江戸八百八町)
武士が増えることで町人文化が栄え1700町となる
・江戸の長屋は上下水道完備されていた近代都市だった
幕府は江戸のまちづくりに上下水道に相当金をかけていた
家主(地主)が家賃とともに利用費用を取り、幕府に納めていた
武家屋敷では石高に応じて支払いした
・隅田川には便所専門船があった
江戸時代は女性でも立ち小便が大勢いた
夏のシーズンには専用船が浮かびその処理は農村の肥料になった
東京国立競技場の地下グランドには女性専用トイレが存在している
・江戸市民の時間管理はどうだったのか
太鼓で2時間ごとに時を知らせるシステムが家康の時代からあった
喚起する捨て鐘を3回、その後回数で時間を知らせた
・庶民の財産はどんなものがあったのか
長屋の広さは土間、4畳半か6畳で唯一の財産は蒲団と鍋だった
長屋では料理を作らない家庭が多く天秤棒の行商人からその日の食を買った
火事が多かったせいで家は板張り、多く着る物も少なくしていた
冬でも褌だけの生活でそれが粋だった
・江戸時代の口臭エチケット・虫歯予防はどうだったのか
歯ブラシが無く房楊枝に塩谷消し墨の粉を利用
硬いものを食べていなかったことで虫歯で歯がボロボロになった人は少なかった
お歯黒は既婚女性の証、鉄を酢に入れて酸化、植物のタンニンを混ぜて作る
・鮨屋の暖簾は汚れているほど繁盛していた理由
食べ終わると飲み残した茶で指先を洗い暖簾で拭いていた
「すし」は魚の漬物でつけあがった魚だけを食べていた、その後酢飯が流行る
・千両箱の重さ
千両箱の重さは約17kg、米俵は約60kg (千両箱の重さだけでも小判の3倍)
・越後屋が悪代官に渡した賄賂の額とは
「封金(切り餅)」として1包25両ほど(約250万円)
盆の上に4つ乗っていれば約1千万円(江戸時代の賄賂は当たり前の習慣)
・金さんの刺青が桜吹雪になった理由
歌舞伎役者が女の首を江戸っ子の好きな桜吹雪に変更した
・「所払い」の罪人の喜ぶ理由
江戸の町からの追放だが、10里四方は広く通過するだけであれば通行可能だった
・江戸時代にもあったラブホテルとは
江戸時代の料理屋小座敷(懐石料理茶屋)が一般的な豪商の接待場所だった
出会い茶屋は一般庶民向けで寛永寺・不忍池付近が多くあった(寺参りの女中)
・江戸時代のバツイチは当たり前
四人に一人しかいない江戸の女性、武士の三行半が横行
女性は三行半で再婚も許された
・将軍の食事に大トロはあったのか
将軍の食材は142種類、だが1汁2菜が基本
魚は1位が鯉、2位が鯛、3位が海魚(あゆ、えび、キス、スズキなど)
トロは食べず、庶民での捨てておりおこぼれしたのが猫
フグも武士は厳禁で明治の伊藤博文が下関で食べたことで解禁となる
・バカ殿様でも政治ができたシステム
大広は50m3段構えの高さ(1段が21cm)あり大名でも顔をあげれないしきたり
老中等が全て仲裁し言葉を発した
・皇女和宮の内股歩行
143cmの和宮は内股歩行で顔が小さく頭が大きく顎が前に出て美人とは言えなかった
不可思議なのが左手首から先がなかった遺骨に不審が残っている
・お辞儀のパターンは48手あった
武士の上下関係でお辞儀は厳しく江戸城登城の際には稽古が必須・お家断絶もあった
・武士の魂、刀の扱い
訪問時には帯刀はお預け、もしくは長刀は客の後ろに柄を右側にしておく
客を迎えると床の間の刀の向きは柄を右に置く
・着物の上から人を斬り殺せるか
まず殺せない、理由は6枚の長襦袢に厚地の3重の帯、それに懐には懐紙が
よって殺すには刺すのが一般で浅野内匠頭の刃傷は剣術の心得のないものだ
刃こぼれは1回の対戦でボロボロになり人間の脂肪分の付着で切れなくなる
武士の情けでとどめを刺す、懐紙を切られた人の袖に入れた
・江戸時代の郵便事情
江戸から大阪まで2日半で届けた飛脚、料金は7両2分(約70万円くらい)
早駕籠は担ぎ手四人、引っ張り手が二人 料金は飛脚の3倍
江戸時代の人気の職業、駕籠かき、身長が172cm以上(江戸時代の平均155cm)
・西郷隆盛は大の写真嫌い
唯一残っているのはイタリヤ人の肖像画(だが一度も会ったことがない)で大岩巌だった
「隆盛」は父の名前(小吉・吉之助・隆永・南州へと変名している)
・新撰組の衣装はオーダーメイド、色彩も違う
実際は浅葱色(ネギの新芽の色)緑がかかった青色で、夏用しかなかった
・白虎隊の衣装はフランス軍装でライフル銃も持っていた
白の鉢巻、袴は映画向け、だが腹には白い晒しを巻き刀を差していた
・「女中」は憧れの仕事だった
江戸時代天皇のそばに仕える女官だった「お女中」

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