いきなりヘタレ画像から始まってしまった、連載第2夜は、平成10年秋の「北斗星」をお届けします。
「北斗星」もこの頃は全盛期で、まだ「カシオペア」も無く、定期3往復に夏はモノクラスの「エルム」も走り、更に「はくつる」も走るのが、東北新幹線八戸開業前の状況でした。胸をふくらませ当日を待つと、何と数日前に東北本線で災害があり、折り返しの編成が上野に帰還できない、という状況になってしまいました。
結局この日は盛岡まで新幹線で行き、盛岡から乗車、ということになりました。
タイトルのヘタレ写真は、盛岡駅のギリギリのスペースから、無理矢理縦位置で撮った、EF81 83です(写真)。こちら側には、ヘッドマークはありません。
それもその筈、ヘッドマークは上野方先頭に装備されたまま、外せずにいました(写真)。そのため、客車に向いています。
すぐ後のカニ24は、当然「北斗星」のテールサインを掲出しています(写真)。時間が無く、オハネフ25側は見ることが出来ませんでした。
この日の寝台は、「ロイヤル」。先ずは、壁面のテレビと、テーブル(写真)。JR東日本の編成です。
ベッド(写真)。通常だと食事後、ソファを引き出しベッドメークをするのですが、到着が深夜、出発が未明とのことで、ベッドは既に出来上がっていました。
シャワー室(写真)。10分の制限がありますが、リセットすればそこから10分になります。折りたたみ式トイレもあります。
食堂車、スシ24-507(写真)。サシ481あるいは489の改造編入車です。食事時間では無いので、この通りです。
ロビーカー、オハ25-501(写真)。夜間でしたが、B寝台利用客が談話しています。
そして、翌日は、急行「宗谷」(写真)。昼行列車ですが、座席車は「サロベツ」「利尻」と共通運用でした。速達化のためキハ40、48を直噴化、出力アップしたキハ400、480を使用していましたが、お座敷車捻出のため、当時余裕があったキハ183系キハ182を改造編入し、継ぎ接ぎもいいところでした。因みに、その時使用されたキハ182こそが、現在の特急「旭山動物園」号の中間3両です。
翌日夜、急行「利尻」で戻ります。こちらは更に激しく、「宗谷」「サロベツ」の編成の中間に、スハネフ14 500番代を挿入するという、正に継ぎ接ぎです。
写真は、寝台車スハネフ14-501の、寝台車のエンブレム(写真)。今回の連載のタイトルとなっています。
キハ400との連結面(写真)。こちらにも寝台マークが入ります。
車掌室側(写真)。キハ182の連結面と合っています。
キハ480-304(写真)。続くのは、キハ182です。
この日は、この後「スーパー北斗」、「はつかり」、新幹線を乗り継ぎ、最速ルートで帰宅しました。
後に宗谷本線にキハ261系が投入され、特急「スーパー宗谷」2往復設定の結果、キハ54急行「礼文」が廃止、「サロベツ」「利尻」はキハ183系が投入され特急に格上げされました。「利尻」の寝台車運用はそのまま続きましたが、後に列車自体が廃止となり、北海道名物の寝台車併結気動車列車は「まりも」だけとなりました。その話は、またいずれ。
それでは、次回をお楽しみに。