連載3週目に突入した当連載。最終回はまだ決まっていませんが、時系列順に追っていきたいと思います。
それでは、連載第15夜は、平成13年夏休みの写真をお届けしたいと思います。
「ムーンライトながら」は、青春18きっぷの時期に、利用者が膨れ上がります。そのため当時は救済臨が運転されていました。当初は神領の165系が使用されましたが、後にJR東海で急行形が全廃となり、113系を使用も不評で、結局JR東日本の波動用車両を使用することとなりました。
写真は165系、高崎運転所の「モントレー色」165系です(写真、クハ165 89)。この結果、不満は沈静化しました。
中間は167系等が入ることもありましたが、反対側の先頭は、横軽廃止で本来の目的を失い、当時三鷹電車区に移籍していた169系が充てられていました(写真、クモハ169 26)。なお、同車の車内は、0系発生品の簡易リクライニングシートでした。
当時残存した急行形電車が総動員で、正に直流急行形電車最後の華でした。
上野駅には、EF81 139(「青」)が、折り返し推進回送を待っています(写真)。この頃は、まだ上野駅も楽しい場所でした。
下り救済臨は大垣到着後、大垣電車区で昼寝と思われていますが、実は狭い同区ではなく、何故か尾張一宮駅0番線跡の側線にて昼寝していました。他に近辺で余裕があるのは熱田位しか無く、結果そうなっていたようです。
「ムーンライトながら」自体臨時となった現在、こんな時代が長く続くと思っていた自分が浅はかでした。きちんと記録を撮るべきであったと反省しますが、失われた時は戻ってきません。
それでは、次回をお楽しみに。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます