これも平成22年10月の鉄道の日関連か、西鉄の元特急車2000系が引退するので、そのお別れ運転会があり、それに参加しました。
計画通りイベント会場近くに車を停め、天神へ。受付を済ませ、指定位置で待っていると、まもなくこの日の主役、2000系最終編成がやって来ます(写真)。
入線の動画です。右手でデジ一を持ち、左手で動画カメラを持ち、アクロバティックというか、クレージーな撮影法でした。
2000系は当初特急用として落成したことから、2ドア転換クロスシートであったのですが、後の一般車への転用で中間ドアを増設、3ドアになっていました。その車内の様子(写真)。中間ドア周辺は、デコラ板の色調が多少異なります。
そして、久留米で一旦全員下車、折り返しの準備をします(写真)。期せずして撮影タイムです。
合間に、運転台を(写真)。非貫通であることから、中央に運転台が設置されています。
記念グッズは、定規とクリアファイルでした(有償)。定規は要らないなあ、と思い、クリアファイルだけの販売を待っていると、売り切れ、と言われます。そこに、隣に座っていた小学生が、「譲ります」と言ってくれました。タダでは悪いので、一応定価を支払いました。彼の夢は、小説家になること。文書を書くのは、英語だろうが、日本語だろうが、結局「知っている言葉の数」が重要なのです。鉄道以外の、専門外の文章も沢山読んで、いい文章を書きましょう。
そして、筑紫で下車。同日開催の西鉄筑紫車庫のイベントに、車両が移されます。ファンファーレは、地元高校生のブラスバンドの演奏で、「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」でした。
転線し、現在の特急車8000系(車番不明)と並べられ、撮影会になります(写真)。世代交代ですね。
そして、またしてもクレージーな距離を走り、帰宅しました。
帰宅すると、D700が届いており、このツアーがD300最後のツアーとなりました。D100より進化し、D200より安定したマシンでしたが、D700が出ると知っていれば、きっと買わなかったと思います。売る時の評価額も、雲泥の差です。しかし、D700は悲劇のマシンでもありました。その話は、そのうちに。
それでは、次回をお楽しみに。
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