Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Trunk Line#1

2012-03-14 | 鉄道写真


 この春、東海道・山陽新幹線から、100系と300系が引退します。過去の写真を眺めていると、これは”Sengoku”の連載になるのではないか、と思い、整理を始めました。まだ東北筋までは完了していませんが、連載化の目処が立ったので、開始したいと思います。


 最初は、思い出の中の0系から。懐かしい、万世橋の交通博物館の壁面を飾った、21-25前頭部です(写真)。これは現在、大宮の鉄道博物館に移設されました。



 続いては、0系初号車、21-1です(写真)。大阪の交通科学博物館に保存されます。



 その相方は、22-1(写真)。こちらは窮屈に保存されるので、狭い空間を超広角で写したたため、像が歪んでいます。



 続いては、引退後大阪の鳥飼基地で保存されていたのものを、JR西日本が鉄道博物館に譲った、21-2です(写真)。復元により、デビュー当初のアクリル製の「鼻」に戻され、照光式も復元されました。なお、この部分は強度上の理由から、後にFRP製に交換されました。



 車内の様子(写真)。オリジナルの転換クロスシートが残されますが、現在はシートの操作は禁止されています。



 それが実車では、どうだったのか、見てみます。平成11年の東海道新幹線での引退時の写真です(写真)。当時のデジカメは玩具同然で、まだ本格的に使用しようと思う人は少なく、フィルムカメラが全盛でした。フィルムから拾った写真です。



 その、反対側です(写真)。FRPの「鼻」に、最終運転日を告知する印刷がなされています。



 そして、その最終日の写真です(写真)。JR東海はこの日、最終列車の整列乗車を準備していましたが、それを無視し勝手に車内に入った人が殆どの席を独占してしまい、JR東海にとっても醜悪な最期となりました。要するに、「ルールを無視するのが、一番得である」ということです。名古屋での引退記念式典も、マスコミの一部の関係者に独占されており(多くの「正常な」マスコミ関係者も排除されていた)、我々に言わせれば、「何のためにやったの?」という式典でした。この時の出来事が原因で、JR東海も定期列車での最終運転は行わない、という方針が決まったようです。


 第1回はこの程度か。次回にご期待ください。

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