一気に読み終えた。
小林よしのりの新作、『卑怯者の島』。
舞台が「パラオ」だと聴いて、読もうと思った。
読み終えた感想としては、大岡昇平さんの『野火』に似た印象をもった。
それくらい、迫力があって、また「戦場のリアリティー(否、アクチュアリティー)に迫るものがあった。
漫画ということもあって、かなり読み手に迫ってくるものがある。
小林さんの近年の作品としては、文字が少なくて、流れるように読めるのもよかった。
戦争状態になった時、戦地はいったいどうなっているのか。
そして、その戦地において、人は何を思い、そしてどう生きるのか。
小林さんは、今回、そのことを徹底的に突き詰めたように思う。
ゆえに、彼も最後に、「代表作にしたい一冊となった」と書いている。
僕もこれまで、数々のそういう作品を見たり、読んだりしてきたが、
それらの作品に匹敵するほどに、差し迫った内容のものになっている。
彼も言っている。
「主張したいイデオロギーがあるわけではなく、
ただ最も残酷な戦場での主人公の心理を迫っていっただけ」
その「ドキュメンタリー性」が、僕的には、とてもよかった。
小林さんは、口が達者で、色々と思いとかも話しちゃうから、、、
でも、今回の作品は、主人公の神平の世界をどこまでも追っている。
そこがよかった。
***
最後の方は、奥崎謙三さんを思い出させるような内容になっている。
彼の人生もまた、本当に壮絶だった。
でも、きっと、若い人は奥崎さんの名前さえ、知らないだろう。
彼の「戦後」の苦しみは、生き残ってしまった神平の苦しみに通じるものがあった。
奥崎さんについてはこちらを参照!(当ブログの記事より)
戦争経験が、どれほどその当事者たちに苦しみを与えるか。
戦地に赴いた人間が、「その後」、どれほどのたうち回るのか。
本書の神平からも感じ取れるだろう。
そして、奥崎さんの本や、大岡さんの小説などを読んでもらいたい。
…
っていうか、
なんと!!!
この夏に、『野火』が映画として(再び)公開されるようです!!!
マジですか?!?!
僕が見たのは、市川さん(1959年)の作品でしたけど、、、
こちらも、見てみたい。
***
僕は、それこそずっとずっと、このままいくと、戦争になるのでは、と書いてきたし、言ってきた。
それは、「二度と戦争があってはならない」という戒めの意味で、そう言ってきた。
けど、戦後70年のまさに今、その「戦争」がとても近いところに迫ってきているように思う。
少なくとも、戦後70年築いてきた日本国憲法の精神は、国家によって歪曲されてしまった。
政府の見解次第で、「憲法」がないがしろにされ、多数決の論理で、猛進してしまうことが分かった。
「安全保障」それ自体は、とてもとても大切なことである。
この点が、これまである意味で「グレーゾーン」となって、難しい問題を引き起こしてきた。
それは間違いない。
それに、世界の動向も随分と変わってきた。それも否めない。
新たな脅威となるものも、あまりにも増えすぎた。
でも、
だからといって、時の政府が、「危機」を煽って(扇動して)、
勝手に、憲法を踏みにじり、法案を(与党勢力圧倒ゆえに)押し通すことは許されるものではない。
繰り返すけれど、「安全保障問題」は、絶対的に大切な問題である。
これまで、この問題をおろそかにしてきた側面も否めない。
だが、その「手続きの仕方」に、「戦争の予感」を皆に感じさせるのである。
安倍さんの言っていることにも、一理はある。
「たしかに」、と思う点も多々ある。
だけど、彼の「やり方」、「話の進め方」に、皆が「戦争の手腕」を感じ取っているのである。
戦争は、「上層部」の「命令」が絶対となり、それに屈しないものは裁かれる。
本書にも、そういうシーンが幾度と描かれていた。
誤解している人も多いと思うので、敢えて言えば、
現在、激しく行われている議論は、
平和主義 VS 戦争(その準備)
ではない。
そうではなく、
民主主義的決定 VS 専制政治的決定
の対立なのだ。
国民の理解が(全く)得られないのに、勝手に決めてしまう。
しかも、不気味なくらいに、与党内からの反対意見がないままに、、、
その姿に、僕らは、「戦争への予感」を、言わば本能的?に感じ取っているのである。
だから、安倍さんが、この上なく不気味に感じられ、信用できないのだ。
衆議院での採決の際も、与党議員は全員「起立」をしていた。
その「起立」に、僕らは、不気味さを感じ取っているのである。
与党の衆議院議員の「姿」に、「軍人」の姿が見えてしまうのだ。
日本は、いつでも、こうなんだ。
上が決めたことに、誰もが従順となる。
下から突き上げられた声に、上は誰も耳を貸さない。
タテ社会ゆえの病理。
***
「二度とアウシュヴィッツはあってはならない」。
そう、ドイツの思想家アドルノは強く訴えた。
僕らも、敗戦国、しかも世界で唯一の被爆国の住民として、
「二度と戦争はあってはならない」、と訴えるべきなのだ。
この世の中に、「よい戦争」などない。
そう言うと、こういう非難を受ける。
「じゃ、実際に攻め込まれたら、どうするわけ?」、と。
そういう人には、逆に尋ねたい。
「じゃ、攻め込まれた時に、応戦して、戦争にもっていけば、それでいいのか?!」、と。
「やられたら、やりかえす」、というロジック以外の道を考えるのが、僕らの務めではないのか、と。
戦争以外の道を常に考え続ける、ということが、賢い国に与えられた任務であろう。
それは、単に、戦争を防ぐ、という意味だけではない。
戦争的なものすべてを封じ込める、ということも意味している。
一連の安倍さんの取った政治的方法(決定)は、極めて「戦争的なやり方」だった。
安全保障の重要性を国民に訴え、僕らみんなが納得するかたちで、
あるいは、僕らみんなの総意を受け止めるかたちで、事を進めるべきだった。
安全保障の重要性は、みんな分かっているし、どうにかしなければ、という思いはある(はず)。
それを、国民的議論として盛り上げて、それをまとめるかたちで、何らかの決定をすべきだった。
そういう手続きが全くなく、一方的なトップダウン式の議論で押し通そうとするだけだった。
そこに、問題の根っこがあったように思う。
つまり、日本の問題なのである。
***
最後に。
僕ら、戦争を知らない人間たちは、戦争を学ばなければならない。
平和教育じゃない。戦争教育だ。
戦争とは何なのか。何をすることなのか。その帰結はどうなるのか。
「はだしのゲン」も、その一つの重要な「参考書」となるだろう。
それと同時に、この『卑怯者の島』もまた、一つの「参考書」となるはず。
ドイツのヴァイツゼッカー氏の言葉も思い出したい。
Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt,
wird blind für die Gegenwart
過去から目を背ける人は、現在に対して盲目となるだろう。
小林さんのこの本は、過去と対峙する大きなきっかけを与えてくれるだろう。
この本だけを読むのではダメで、この本をきっかけに「過去」と向き合うことを始めたい。
きっと、小林さんも、それを願っていると思う。
(たとえ彼が願っていなくても、この本そのものが、それを願っていると思う)