ルクセンブルク大学です。
9月3日に訪れました。
とても素敵な大学です。
いいなぁ。こういう大学…
本当に憧れる。
これが校舎。いいですよね。
これぞ、大学!って感じで。
こちらも校舎ですね。
夏休みとあって、静かでした。
こちらが、今回訪問したビエスタ先生の研究室。
とにかくおしゃれ。それに尽きます。
こういう研究室が与えられたら、それはそれは、もう研究も仕事も頑張れるってもんです。
心から「いいなぁー」って思いました、、、涙
いつか僕も…(切実…)
今回は、我が学兄のUさんがイニシアティブをとっていたので、彼の講演から始まりました。
聞いている人は、みんな大学の先生たち。
学会とも違うし、ゼミとも違う。
大学の先生たちの学びの場、とでもいいましょうか。
学校での成功が必ずしもその後のキャリアの成功の保障とならない時代に、どのように教育を考えればよいのか。いかなる知識が子どもに与えられねばならないのか。日本はいったいどのような教育をしてきて、これからどういう方向に向かえばいいのか。それに対して、欧州ではいかなるパースペクティブやオルタナティブがあるのか。
とても面白かったのは、「日本の教育の文脈」と「欧州の教育の文脈」が錯綜していて、なかなか交われなかったことかな。これまでは、欧州の論理を日本でも議論する、という感じだったけど、この場は違った。あくまでも、日本の教育の文脈に対して、欧州の教育学者たちが何を言い得るのか。そういう話だったと思います。
英語の議論だったので、僕は大人しく聴いているだけにしようと思ったけど、最後の最後で悶々としてきて、苦し紛れに、ヘタクソな英語で何やら言ってしまいました。が、伝わったのか、伝わらなかったのか、、、汗
でも、ここにいる人たちは、みんなドイツ語ができるんです。というか、半数くらいはドイツ人、という。
なので、この勉強会の後は、ドイツ語で色々とお話することもできました。
ビエスタ先生は、デューイを基底とする民主主義教育と欧州の実存主義的・精神科学的教育学のいわば「あいだ」を研究されている方で、とても共感できるものがありました。
面白いことを言っていました。
「教育にとって大切なことは、受け止めること。受け止めることが教育の根底にあるはず。そして、聴くということ。聴くことは何よりも大切。聴くことの対になるのは、話すことではない。『話しかけられること』、だ」。
being spoken to、と言っていました。
話しかけられる経験が、学びにおいて、とても大切である、と。
…でも、それって、日本でも、鷲田先生をはじめとして、臨床哲学系の人たちが散々議論してきたこと。
結局、考え抜けば、たどり着く先は同じ、ということなのかもしれない。
***
ビエスタ先生は、本当に素敵な方でした。
こっちの人にしては珍しい寡黙な方。そして、どこまでも人間的に温かい先生でした。
人格と研究は切り離せませんからね。惚れました。
彼のHPもあります!
彼について触れている論文も多数あります。
http://www.zenkokuyuiken.jp/contents/taikai/35taikai/nakamura.pdf
せっかく出会えた先生であるわけだし、彼についてももっと勉強しよう!と思いました。
本当にいい校舎でした。
ピアジェとモンテッソーリ。
やはりこの二人の人物は、学問においてとても大切な存在なんですね。
モンテッソーリは、日本では名前とその簡単な概論しか学ばれてません。
でも、こうやって、研究対象として、大切にされているのです。