恋愛交差点34話です。
前回は「夫婦の関係」について考えました。
今回は、赤ちゃんが産まれた後の夫婦関係について語りたいと思います。
このテーマで語るのって、本ブログでも初めてかも?!
…
今回は、赤ちゃんが産まれた後の夫婦関係についてです。
夫婦関係は、赤ちゃんの誕生とともにがらりと変わっていきます。
"The change from a couple to a family of three, or possibly more, can be one of the biggest transformations you face when you become a parent."です。(引用元)
夫婦から3人以上のファミリーになるというのは、「最も大きなトランスフォーメーション」なんですね。
でも、ある意味では、赤ちゃんの誕生が【真の夫婦関係】のはじまり、とも言えます。
結婚前にこそ、「赤ちゃん誕生後の夫婦関係」についてしっかり考えてもらいたいなと思います。
なぜなら、夫婦の間に潜む問題が一気に噴き出る時期だからです。「こんなはずじゃなかった」「この人、こんな人だとは思わなかった」「思っていた人と違う人だった」と、その人のこれまで見えなかった部分が一気に出てくるからです。それは男女問わず、であります。
これを
産後クライシス
postnatal crisis
と言ったりもします。
そこで、赤ちゃんの誕生と共に、夫婦関係で何が問われるのかについて見ていきましょう。
①女性(妻)の愛の対象が男性から赤ちゃんに変わり、男性(夫)は窮地に立つ
これはとてつもない大きな変化です。
男性はあまり変わりませんが、女性は出産後に(授乳を含め)全身そのものが赤ちゃんに向かうことになります。母親になった女性は、身体の変化も直接感じ、ママになったことを嫌がおうにも知ることになります。搾乳している時に、「ママになった」と感じるという声を多数聞きます。女性はママになっていくんです。「マザリング」と言ったりもします。
赤ちゃんが誕生する前までは、男性(夫)に愛情を注ぐことはできると思いますが、赤ちゃんが産まれたら、そんな「のんきなこと」を思っている場合ではありません。数時間おきに授乳し、おむつを替え、寝かしつけをして、赤ちゃんの命を守り、安全に配慮しなければなりません。
男性(夫)のことを考える余裕なんて、一切、一ミリもありません(と言い切った方が楽だと思いますので)。
この時に、男性側が強烈に問われるのです。
✅心身共に激変する妻をしっかりケアし、サポートできるかどうか。
✅新しくママになった妻の後方支援(買い物や家事やごみ捨てなど)ができるかどうか。
✅その妻の意向に沿った後方支援ができるかどうか(妻の望むとおりに動けるかどうか)。
✅自分への愛情や関心が消えつつある中で、しっかりと妻子のことを大切にできるかどうか。(男性側にアガペーの精神があるかどうかということでもある)
✅自分の話をせずに(自己抑制して)しっかり一方的に妻の話を聴けるかどうか。
✅妻が不安定になり、不安や孤独を感じ、ナーバスになっていることに気づき、受け止められるかどうか。当たり散らされても、ぐっと堪える忍耐力や精神力があるかどうか。
✅自分の趣味や仕事やプライベートを抑制し、犠牲にできるかどうか(👈ここ、とても重要です!)
✅自分も「育児の当事者」として、(授乳を除く)すべての育児ができるかどうか(あるいは、その育児の方法を学ぶことができるかどうか)。
✅自分の(あるいは妻の)父親・母親(じいじ・ばあば)をうまく使って、妻を休ますことができるかどうか。(家族間調整ともいえるかも)
こうしたことが、男性側に問われるのです。
このことは、女性側もしっかりと押さえておく必要があります。
結婚してからでは遅くて、結婚する前に、その男性が、赤ちゃん出産後にどうなるのかを見極めてほしいと願うのであります。
よく「(相手の男性が)子どものことが好きだから」という理由で、その男性をパートナーに選ぶ女性がいます。子どものことが好きだからという理由自体、否定はしません。
が、それだけではダメだと分かっていただけるでしょうか?!
そんな単純な話ではなく、むしろ、「自分への愛情や関心」が(一時的にでも)消失した状態で、見返りのない愛情や関心を妻に向け続けることができるか、を見なければいけないのです。
お互いにお互いのことが好きであればいい、なんて話じゃありません。
相手(妻)が自分への関心を失くしてもなお、その相手(妻)のことを大切にできるかどうか、愛することができるかどうかが問われるのです。
この点をしくじると、後の夫婦関係に大きくて深い溝が生まれることになります。
➁女性(妻)の本性(?!)がある意味で剥き出しになる
赤ちゃんが産まれた後の女性(妻)の生活は一変します。
自分のことと相手(夫)のことを考えていればよかった時代は終わります。
夫婦中心の生活は終わり、赤ちゃん中心の生活が始まります。
それは、女性にとっても大きな試練の時間となります。
最初の1か月は、(母親を経験した人なら誰でも分かると思いますが)本当に大変です。24時間ずっと、赤ちゃんと二人だけの生活となり、社会との接点は(スマホ以外)ほぼなくなります(やや大げさに言えば…ですが)。
睡眠時間も赤ちゃんペースになるので、熟睡できません。熟睡できないので、うつらうつらしてしまいます。何が現実で、何が非現実なのかも分からなくなる、という母親もいます。
そんな時に、女性の方もまた問われるのであります。
✅感情的になって、悲観的になって、男性(夫に)当たり散らさないかどうか。
✅自分だけが辛い、苦しいとなって、まわり(夫)が見えなくなっていないか。
✅不器用なりにも頑張っている男性(夫)を、悪く言ったり、侮蔑したりしていないか。そして「ありがとう」「すごいね」などと言えるかどうか。
✅自分の辛さや苦しさや孤独をちゃんと言葉で男性(夫)に伝えられているかどうか(抱え込んでしまっていないかどうか)。また、日中の出来事について(いいことも悪いことも)語れるか・報告できるかどうか。
✅自分とは異なる男性(夫)の意見に耳を傾けることができるかどうか。
✅自分の趣味や仕事やプライベートを抑制し、犠牲にできるかどうか(👈男性同様に!)
✅育児の当事者として、しっかり本やネットで赤ちゃんの養育の内容について学び続けるかどうか。
✅自分や相手の両親(じいじとばあば)をうまく利用して、自分の心身を休ませることができるかどうか。
✅男性(夫)に赤ちゃんの養育を丸投げできるかどうか。
などなど、女性の側もその生き方が問われるのが、出産後の夫婦における女性の問題です。
毎日女性(妻)からネガティブな感情をぶつけられ、自分の頑張り(後方支援)に気づいてもらえず、あれがダメだこれがダメだと言われていたら、どれだけ人間的にできた男性であっても、嫌になるのは当然ですよね?!
「自分だけが辛い思いをしている」「自分のことや自分の大変さを分かってくれない」「あなたは仕事があっていいわね」「男性だから、私の気持ちなんて分からない」「言っても無駄」「辛いのは私だけ」…などと一度や二度、感情的になって言う分には全然いいと思いますが、そればかり言っていたら…
それを毎日聞かされていたら、どんな男性でも嫌になったり、くじけたり、カチンときたり、家に帰りたくなくなります(それは育休を取っている男性(夫)であっても…)。
赤ちゃんの出産後の夫婦関係においては、女性の側の在り方や生き方もまた強く問われるのです。
感情的になり、攻撃的になるのはよくないですが、同時にまた、感情を抑圧したり、攻撃性を一切見せないというのも、かなり問題があります。産後クライシスの他に、「産後うつ」という言葉もあり、女性は母となり、色んな意味で不安定になりますが、それとて、それ以前の(隠してきた・自覚してこなかった)自分の問題が顕在化されただけ、とも取れるかと思います。
男性も女性も共に、これまで培ってきた知性や人間性が大きく問われるのです。
➂終わりなき夫婦の共同作業
一対一だった夫婦関係は、赤ちゃんの誕生と共に終わります。
男性目線で言えば、一対二の関係に変わります。
母子未分離とか、母子一体とかと言われますが、まさにその状態になります。
ですが、赤ちゃんの養育という意味では、共同作業のはじまりとも言えます。
お互いに見つめ合う時期は過ぎ、お互いに赤ちゃんを育てるパートナーに変わるのです。
子育て期の夫婦関係は、親密な恋愛関係とは異なる「分業するパートナー関係」になります。そこでは、連携プレイが大事になりますし、協力し合うことが大事になります。
お互いに相手の様子や状態を見て、どこをどう補え合えるか、どう分業し合えるかをそれぞれが自ら考え、実行していかなければなりません。
まさに、共同であり、協働であり、協同であります。
英語にすれば、coacting、collaboration、cooperationとなりますかね?!
共に行動し(co-act)、共に働き(co-labor)、共に苦労する(co-oparate)、ということですね。
こうなると、もはや惚れた腫れたの恋愛的な感情など、何の意味も価値もなくなります。
一人の人間を育て、一つの家庭を創っていくという共通の課題に向き合うパートナーであり、チームメイトであり、同志ということになります。どのような人間を「理想」としているか、どのような家庭を「理想」としているか、そこも問われてきます。
例えば、
✅「本を読むこと」を何よりも大切にしている自分と、「本を読むこと」に一切の価値を感じない相手だったら、どうでしょうか?!
✅「人に迷惑をかけてはいけない」という価値をもつ自分と、「そもそも人は迷惑をかけて生きるもんだ」という価値をもつ相手だったら、どうなるでしょうか?!
✅「家族で海外旅行に行きたい」と願う自分と、「国内旅行で十分だ」、あるいは「旅行なんていかなくていい」と考える相手だったらどうでしょうか?!
✅「お金なんて使ってなんぼや」って思う自分と、「お金はちゃんと運用し、貯蓄や投資にまわさなければいけない。無駄遣いはダメだ」と考える相手だったら、どういうことになるでしょうか?!
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もちろん、違う人間なので、すべてが同じというわけにはなりませんが、ある程度同じ方向を見ていなければ、共に行動することも、共に働くことも、共に苦労することもできなくなります。
子どもが1人であっても、およそ20年間、子育ての時間が必要となります。兄弟姉妹がいれば、25年~30年の子育ての時間がかかります。
その間に、親(じいじとばあば)の介護も始まるかもしれません。
あるいは、事故や病いで重い障害や後遺症などにどちらか一方が悩まされるかもしれません。癌の発病があるかもしれませんし、脳梗塞や心筋梗塞やくも膜下出血などで後々大きな影響を受けるかもしれません。
(通俗的に「体の相性が重要だ」とか「性的な関係が大事だ」とかと言う人もいますが、そういうことができなくなる可能性だって多分にあるんです。身体に重い障害をもったり、性機能の不全に悩まされたりしても、(そしてそれによって性的な営みができなくなったとしても)夫婦として共に助け合って生きていかなければならないんです)
何があっても、子育ては続けなければいけないし、家庭を守り続けなければいけません。もちろん「子育て支援」の枠の中で何らかの支援を受けることもあると思いますが、すべての支援を受けることはできません。
結婚し、夫婦となり、出産を経て、家族をもった以上、男性も女性も「当事者」として、その(家族に対する)責任を全うしなければならないのです。
恋愛やバイトや仕事のように、「やめたいからやめる」とは言えないんです。(もちろん、社会的養護の支援を受けて、子を施設に託し、夫婦の関係を解消(離婚)することもできますが、そうなると、それは「家族の終焉」ということになります)
一つ前の33話でも書きましたが、家庭を生きる夫婦は、どちらか一方が死ぬその時まで、共に同じ屋根の下で暮らしていかなければなりません。(単身赴任という可能性もありますが、それもいつかは終わり、再び共同生活がスタートします)
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以上、➀~➂までの大きな変化を考えると、夫婦の関係性が問われるのは、まさに赤ちゃんの出産後、ということになります。
一対一の夫婦関係であるときはまだ、そんなに大きな問題は起こりません。
でも、そこに新たな命が加わることで、夫婦関係はダイナミックに変化していきます。
そのダイナミックな変化に、男性側も女性側もきちんと対応できるかどうか。
そこが問われているように思います。
神谷美恵子さんも子どもの誕生後の夫婦関係について、こう述べてます。
子どもの誕生とともに家庭内の様子はがらりと変る。ここでは夫婦はもう互いにみつめ合っているわけには行かなくなり、「ともに同じ方向に目を向けて行く」(サン=テグジュペリ)という愛のかたちをとらなければならなくなる。その方向とはもっとも卑近(ひきん)な日常的な事柄の処理から、もっとも形而上的なものまでふくむ。なぜならば、子どもを育てることには個人的な日常生活から、社会との広い関りあい、教育目標、人生目標、価値観のような無形の、理念的なものまで否応なしに関与してくるからである
(こころの旅、pp.123-124)
僕のバイブルです🎵
神谷さんによれば、最も卑近な日常的な事柄から、最も理念的=形而上学的な事柄まで、夫婦は同じ方向に目を向けていかなければならないんですね。
これはとてもとても大変なことであります。
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最後に、赤ちゃんの出産後に意識してほしいことがいくつかあるので、ここで述べておきたいと思います。
➀女性(妻・母)が一人になれる時間をつくること【想像力】
週に1度でも2度でもいいので、男性(夫・父)が一人でお子さんを外に連れ出すか、あるいは、女性(母)が一人でどこかに出かける機会を設けるか、をしてほしいです。そのためには、男性も一人で子育てができなければなりません。一人でどこにでも連れ出せるくらいのスキルはもっておくべきです。女性の方も、自分で全部やろうとするのではなく、男性に責任を押し付ける勇気をもってほしいのです。
これは産後数年はずっと男性側に問われることです。愛する相手が何を望んでいるか、それを想像=imageしてほしいですね。
➁赤ちゃんの養育で、男性にできないことは一つもない【育児力】
赤ちゃんのお世話は、基本的に授乳(ミルク)も含めて、男性にできないものはありません。これを男性側がどこまで自覚できるかが、今後の夫婦の関係においてきわめて重要な点になります。
逆に、「何もできない」という姿を女性に見せることで、女性側は大きく失望します。「この人は口だけだった」「この人は自分から何も動こうとしない」「赤ちゃん一人の世話もできない人間だったんだ」、と。
また、女性の側も、「男性には育児は無理」と思い込まないことが大事です。母親1年生と父親1年生の夫婦です。互いに学び合う、という姿勢がとても重要ですし、それもまた「共同」の「協働」のひとつのカタチなんです。相手がまともな人であれば、だいたいなんでもできます。そこを信じ抜き、どんどん任せましょう。(それができないということは、そもそも相手選びに失敗した、ということであります…かね)
➂社会資源はとにかくなんでも使う【情報収集能力】
21世紀の今、子育て系の居場所はたくさんあります。子育て支援サービスもいっぱいあります。居場所となるようなスペースもたくさんあります。そうした支援サービス(=社会資源)の情報を、夫婦共に探すことがとても大事です。
大事なのは、できるだけ「楽をすること」です。楽をするためには、情報収集が必要不可欠です。これは、もっぱら男性の仕事になるかもしれません。「こんなサービスがあるよ」「こんな子育て広場があるよ」「面白そうな親子向けイベントがあるよ」、と孤立する女性(母)に声をかけることはできると思います。産後うつの原因を見ると、「まわりに友達がいない」とか「まわりに愚痴をこぼせる相手がいない」といったものが出てきます。ネット時代の今、Googleなどで検索すれば、いろんなものがでてきます。そういう情報を集めるのもまた、夫婦関係を豊かにする一つの道だと思います。
➃夫婦が互いに愛し合うことが、最大の子どもの教育【愛する力】
"If the grown-ups know how to take care of each other, then the children who grow up in this environment will naturally know how to love, understand, and bring happiness to others." by Thich Nhat Hanh
「もし大人たち(夫婦)が互いにケアし合う術を知っていたら、その環境の中で育った子どもたちは、人を愛すること、人を理解すること、そして人を幸せにもたらすことを、自然に身につけていくだろう」(ティク・ナット・ハン)
*ティク・ナット・ハンは、ダライ・ラマ14世に並ぶベトナム出身の仏教者
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というわけで、、、
赤ちゃんが産まれた後の夫婦関係について語ってみました。
こう考えてみると、結婚する時から、いや、結婚する前から、男性も女性も、その生き方が問われている、ということになりますね。
子ども家庭福祉(児童福祉)では、もっぱら「壊れた(壊れそうな)家庭の支援」に目を向けますが、それだと遅すぎるんです。
もう一歩進んで、「どうしたら赤ちゃん出産後に、安定した、健全な夫婦関係や家庭環境をつくれるか」ということを真剣に考えていかなければならないと僕は強く思います。
人は、恋愛や結婚までは、死ぬほど(薄っぺらいことを)ぺらぺらとしゃべり、メディアでも面白おかしく、きらびやかに恋愛や結婚について話題にします。
が、結婚後となると、もっぱら悲惨な話や苦しい話や怖い話(&不倫話)ばかりになっています。(それがまた、少子化の原因になっているようにも思います…)
福祉と教育を両方30年くらい学んできた僕からすると、やはり子育て支援や家庭支援や家族支援には、教育的なアプローチも絶対に必要だよなって思うんです。
愛することを学ぶこと、結婚することを学ぶこと、夫婦を生きることを学ぶこと、父や母になることを学ぶこと、そして、赤ちゃんを学び、子育てを学ぶこと。
それも、単なる赤ちゃん体験学習とか保育体験ではなくて、それをしっかり知的に学ぶこと。
そういう機会は、本当にないと思います。
恋することも、愛することも、結婚することも、夫婦を生きることも全部、人間が生きていく上で最も重要なことなのに、それをどこでも学んでいないんです。
このことを僕はめげずに懲りずに言い続けたいなって思います。
>2008年から「愛することを学ぶこと」について僕は訴えているっぽいです(苦笑)
そして、いつか、夫婦の関係が運命と言えるように…。
…
次回は、「離婚(Scheidung)」について考えてみたいと思います。
離婚とは何か。離婚をどう考えればよいか。
離婚の人間学的な意味はどこにあるのか。(法的手続きについてはネットにいっぱい出ているので割愛します)
夫婦の関係が終わるとき、人は何を思い、何を考えるのか。
その関係の終焉以降、人はどう生きていくのか。
終わり(別れ)の先の未来はどう描けるのか?!