2025年3月31日。
今日をもって、僕の21年目の教員人生が終わります。
2004年4月に専任講師として着任して、21年が過ぎ去ろうとしています。
毎年恒例になっているので、今年度も最後に振り返りたいと思います。
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20年目の教員人生は、(上の記事を読むと)ホントぼろぼろでしたね…。
ただ、今振り返ると、「なんで、あんなに怒ってたのかな」って思う自分がいて、不思議です。
21年目となる2024年度は、自分の教育方法を見直して、新しい自分探しをする感覚で、試行錯誤を繰り返しました。「どうやっていったらいいんだろう?」、「どういう先生になることが一番ベストなんだろう?」って自問自答しながら。
これまでの自分の核(コア)となる部分は残しながら、どうやって、今の時代の教育にふさわしいかたちで、最もベストな教師になっていけばよいのか。何か変なことをすると、すぐに訴えられる時代ですし、ネガティブな感情や言葉を表出すれば、一気に攻め込まれる時代です。
とはいえ、僕には、無感情のロボットみたいな? あるいは、可も不可もない無難な?先生にはなれないし、なりたいとも思いません。どうしたら、「kei先生らしさ」を残しながら、「誰にも後ろから攻撃されない先生」になるか?!と、もんもんと過ごした1年でしたね。
結果として、21年目の今年度は、無難で平和で何も起こらなかった1年にはなりました。物足りなさは少しあるけど、俯瞰してみれば、「自分も、学生たちも、無難で、何も起こらない平和な1年」だったかな、って思います。
そして、振り返ると、「敵はいなくなった。けど、同時に、味方もいなくなった」っていう気がします。
これまでは、僕を嫌う学生が多数いる一方で、そんな僕に共鳴して、僕を慕ってくれる学生も(少ないながらも)一定数いました。けど、今年は、なんだろ、なついてくれる学生はいたけど、僕という一人の人間に共鳴して、先生として慕ってくれる学生はあんまりいなかったかなっていう感じですかね。(いや、慕ってくれる学生は例年以上にいたはいたんだけど、、、なんか、これまでと違うんです。「優しくて、なんでもいうことを聞いてくれるから、好き」みたいな感じで…)
ただ、それって、今年度の話っていうわけじゃなくて、2020年のコロナ禍以降の教員人生においてずっと続いている傾向でもあるかな、とも思っていて。
つまりは、2020年以前のような「教師ー学生の教育的関係」になれないもどかしさがずっとある、みたいな。
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その一方で、「軽音部」と「ペンギンクラブ」の活動は、かつてないほどに多忙を極めました。
いわゆる「通常の教育活動」以外の活動は、これまでにないくらいに充実しました。
こういうとあれですけど、もう「通常の教育活動」は身動き一つとれないっていう感じになっていて、もう「教育すること」そのものがある種のハラスメントみたいにまでなっているんです。おそらく日本の教師や教育者たちはみんなそれを肌で感じていると思います。怒ることも叱ることも褒めることも何か声をかけることも、全部、ダメなんです。児童・生徒・学生たちの「受け取り方」の問題になるので、何もこちらからは「言ってはいけない」んです。そういう意味では、もう日本の教育って、根本から崩れ落ちているんだろうな、とも思います。誰がやっても、もう教育活動はリスクが高すぎる、と。
でも、皮肉なことに、そうであればあるほど、課外活動・部活動・サークル活動は活性化していくといいますか。僕のケースで言えば、部活動やサークル活動で、教育的な関係をより豊かに生きることができるようになる、って感じですかね。
今年度は、軽音部、ホントに過去21年で最高に盛り上がった1年になりました。
僕自身も、色んなバンドをすることができて、完全燃焼しましたね。この3月の卒業ライブはもう、ホント、異常なほどに盛り上がり、最後、本当に本当のロックなライブを創造することもできました。「マジ、これ以上、無理だ…」って思うほどに、最高のライブイベントを実施することができました。
ペンギンクラブの方も、過去にないくらいにアグレッシブに活動を展開しました。詳しくは書けないけど、さまざまな施設に行き、いろんなボランティアをさせてもらいました。また、新たなプロジェクトを立ち上げて、合計7回、そのプロジェクトを実施することができました。こちらも「マジ、これ以上は無理だ…」って思うくらい、充実した活動内容となりました。
更に、そのペンギンクラブの活動の延長線上に「ドイツ修養の旅」を組み込んで、5年ぶりに学生3人をドイツ~オーストリアに連れていくことができました。それについては、先日毎日レポしたので、ここではいいですよね…(苦笑)。
僕のライフワークである「バンド」と「ボランティア」、その両方が過去一番で充実したっていう意味では、最高の1年になりましたね。
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ただ、やっぱり割り切れなさもあって…。
この1年を振り返ると、僕って、もはや「教師」ではなくて、「部活の顧問」じゃないか…って思ってくるんです。それはそれで別にいいんですけど、そもそも「部活の顧問」がやりたくて、教員になったわけじゃないわけで…。
21年目はとても充実した1年ではあった。けど、それは「教師」としてではなかった…、と。あくまでも、「部活顧問」としての充実感・満足感でしかなかった、と。
そう思うと、すごく充実してはいたけど、それでよかったんだろうか?!、という問いも生まれてきます。
でも、それでよかったんだとも思います。
というのも、この1年は、次の1年、2年、その先に向かうための(僕にとっては自分を見つめなおすために必要な)通過点だったんだと思うからです。大きな大きな回り道というか、迂回路というか。
僕はやっぱり、「教育・保育・福祉」の研究者だし、そこでこそ本領を発揮したい!って、この1年で思うに至りました。その教育・保育・福祉の専門領域の中で、教師としての力をもっと鍛えていきたい!、って、この2025年3月末の今、思うようになってきています。
次の22年目の目標というか、22年目~の課題が見えてきた気もします。
どうあっても、もう昔には戻れませんし、戻る気もありません。そうではなくて、「新しい自分自身」を創っていかなきゃいけないんですね。
そのための準備をこの1年かけて、やってきたのかな?!って。
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でも、振り返ると、色んなことがあった1年でもありました。いいこともいっぱいあったし、本当にきつく苦しいこともありました。過去にないくらいに、最高で最低の1年でもあったかな、って(まさに今)感じています。特にこの数か月は、疾風怒濤の日々になったことだけは間違いないです。
うん、まさに疾風怒濤(Sturm und Drang)って言葉がぴったりだな…。
また、猛犬みたいな人が実は愛情たっぷりの天使さんだったり、愛情たっぷりの天使だと思っていた人が実は猛犬だったり…。そして、そういう人たちにたくさん振り回され、噛まれ、ちぎられ、踏み倒され、、、(そういう経験は、今年度だけじゃないか。ずっとそうやって踏み倒されて生きてきた人生だったな…)
ま、でも、そういうふうに振り回され、噛まれ、ちぎられ、踏み倒されるのもまた、僕という教育バカの阿呆教師の責務なんだろうな、、、とも。
好かれたり、嫌われたり、好かれていたけど嫌われたり、嫌われていたけど好かれたり、最初から最後まで苦手意識を持たれたり、、、
まぁ、ホント、面倒くさい先生なんだろうなって思いますね、我ながら、、、💦
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今日をもって、21年目が終わります。
明日から、22年目の教員人生が始まります。
そろそろね、「終わり」も意識して、1日1日を大切にしていきたいなって思うようになってきました。
あと数か月で、僕も50代に入ります。もう主観的にも客観的にも、若くはないんです…😢
これまでみたいに、やみくもに突っ走っていって許される年齢でもなくなってきて…。
それに、いつまで「教師」として生きていけるのかも、すごく不透明にもなってきていて。60歳までは続けたいなぁと思いつつも、これから先、どうなるかなんて、ホント分からないし、いつ倒れてもおかしくない年齢にもなってきていて。
これからの1年は、「50代をどう生きるか」という問いとも向き合わなければならなくなるんですね。
BUCK-TICKのあっちゃんやX JAPANのHeathさんのこともあるし、「60歳を迎えること」がどれほど大変か、思い知っているつもりです。次の50代が、僕の最後の「代」になるかもしれない…って。
教育も研究もいいけど、まずは、自分自身のケアをしっかりやらないといけないなって思います。
これからは、これまで以上に「ワークライフバランス」を意識ないとって。文字通り、「仕事」と「命」のバランスを取っていかないと、本当に危険ですからね。
さ、じゃりんこ教員人生、22年目。
どうなることやら、、、
希望的観測を言えば、何もなく平穏無事な1年になりますように…😂
そして、何も嫌なことや否定的なことが起こらない、平和な1年になりますように…。
旅は道連れ、世は情け。
旅も人生も、共に歩む仲間が必要なんですよね。
そして、旅も人生も、互いに情けの心をもっていなければならないんですよね。
22年目の我が教師人生、どこにどう進んでいくのかな?!?!
不安でもあり、また、楽しみでもあります。