多くの識者が言い始めている。
「ニッポンは、今後、転落途上国になる」、と。
ん? 「転落途上国」??
どうやら、「発展途上国」ではなくて、
発展した後、途上国に転落する国家、という意味らしい。
尊敬する宮台先生も、こう言っていました。
「(元号を決める等の政治利用の危なさを国民が気にしない状態について)そういう事を気にする余裕もなくなってきたってのが、さもしく浅ましい今の日本の劣化状況そのものなんですよ。どの道ね、日本は三流国化していく事は確実なので。二流国じゃないですよ!三流国化する事が確実なので。むしろね、浅ましくさもしい国民や、その国民に相応しい政治的な動きがあるという事がね、後から我々に取っては振り返るべき、ネガティブな意味での見本ですよね。橋頭堡(きょうとうほ=事を起こす足場・拠点)になると思う」
日本は三流国化していく、と。
いわゆる「先進国」から転落し、三流国に成り下がっていく。
これが、知識人たちの大方の予想です。
これから、日本はどうなっていくんでしょうかね?
現政権が云々、という話もあるけれど、今の日本は、誰が総理大臣になっても、苦難の道のみ。
その根っこにあるのが、「超高齢社会」+「超少子社会」だと思います。
戦争の爪痕は、まだ残っている。人口ピラミッドとして。。。
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そのニッポン。
ニッポンは、昔から「官僚主義」の国として知られていました。
(*「民主主義」というのは形・言葉だけで、実質は「官僚主義」だ、と)
(*なお、仏教では元来「民主」とは「民の主(ぬし)=国・国家なんですって!)
官僚主義と言っても、あまりピンと来る人はいないと思いますが、、、
東大を頂点とする大学ヒエラルキーの頂点に立つ人が「官僚」になり、
その官僚が頂点となって、国を統治する「主義-ism」と考えてよいでしょう。
この官僚と共に戦後のニッポンを作ってきたのが、「自由民主党」ですね。
戦後ニッポンは、自由民主党がほぼすべてを作ってきました。
ニッポンの「総理大臣」は、ほぼ自由民主党の中から出てきています。
ただ、戦後のニッポンは、官僚たちの手で作られてきたのもまた事実。
その官僚を中心とした統治思想を、「官僚主義」と言います。
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では、官僚主義とは何か?
興味深い「定義」があったので、ここでご紹介します。
官僚制に特有の行動様式や精神構造であり,一定の思想内容をもつ信条ではない。その特色として,秘密主義,わずらわしい手続主義,先例踏襲,画一主義,形式主義,創意の欠如,派閥意識,縄張り根性,役得の利用,傲慢などをあげることができる。官僚に特徴的な行動や態度に対する民衆の軽蔑,非難の意味がこめられた言葉である。
この定義が実に興味深かったので、どこが興味深いのかを書いておきたいと思います。
①一定の思想内容をもつ信条ではない
これが、実に興味深いんです。
ニッポンという国には、実は右も左もないんだ、と。官僚主義である以上、そこに思想的な信条はない。
実によくニッポンを言い当てていると思います。
僕は、ニッポンのことを考え続けて、その結果、戦後日本は「拝金主義」だと思うに至りました。
拝金主義もまた、思想的信条はなくて、「現世ご利益」、お金がすべてだという考え方です。
その拝金主義とセットになって蠢いてきたのが、この「官僚主義」。
どちらも、思想的な信条はない、と。
実に興味深くありませんか??
②秘密主義
これもまた、ニッポンの津々浦々に広がる「主義」ではないでしょうか?
大事なことは、ニッポンのどの組織においても、秘密裡に決められている。
それが、オープンにされることはなく、密室ですべてが決まる、と。
会議の前には、必ず「口合わせ」をします。会議中の議論はご法度。
2013年12月に成立した「特定秘密の保護に関する法律」も、まさにこれ。
特定秘密って何だ?って話ですけど、誰もよくわかっていないのでは??
この法律の施行以降、おそらく開示される情報は減ったのでは?、と懸念します。
でも、これもまた、「官僚主義」の一つの要素と言われれば、ああ、そうか、と。
③わずらわしい手続き主義
この言葉、素晴らしいですね。
まさに、ニッポンの行政は、「わずらわしい手続き主義」だよな、と。
行政だけじゃない。この国のすみずみまで、この主義が浸透しきっている。
学校現場も、まさにこの「わずらわしい手続き主義」のど真ん中だな、と。
どうでもいい手続き、いらない手続き、無意味なその作成。
何をするにも、「まずこの用紙を記載してください」というお役所的な対応。
この言葉をもっと批判的に捉えて、みんなでそれを指摘していかないと。
わずらわしい手続きに辟易して、肝心のメインの仕事は後回し。
これが、ニッポンの「官僚主義」です。
そして、それに対して、不平不満はあっても、誰もそれに異議を唱えない。
④先例踏襲と画一主義
これもまた、戦後ニッポンの根本的な<思想>ではないでしょうか。
かつての例を(思考停止状態で)無批判的に踏襲する、と。
すべての解答は、「前にそうだったから」。
議論によって民意の形成、なんて、一部を除き誰も望んじゃいない。
「前と同じように」が一番!、そう考えるのがニッポンという国であります。
同時に、日本は根っこの根っこから画一主義の立場を守ります。
みんな同じでいいんです。違わなくてよいのです。全ての処理は画一的に…。
出る杭はバンバン打っちゃえばいい。つぶれてたら、はい、おしまい。
ニッポンの国民は、可能な限り他(みんな)と違わないようにと配慮すればいい。
つまり、ニッポンの僕らは、なんにも考えなくていいんです。
①でも申し上げましたが、思想的な信条がないのですから、問題ありません。
口をぽかんと開けて、先例をただ踏襲して、画一化を目指しさえすればいい。
(そして、外国の圧力があった事柄だけは、ご都合主義的に形だけ変更すればいい)
⑤派閥意識と縄張り根性
これまた、とってもニッポン的なワードですよね。
この国には「個人」は存在しないので、群れなければなりません。
それが「派閥」への意識の根源であります。
形式的には「個人」が尊重されることになっていますが、、、
でも、この国でうまく生きていくためには、「個人」は無化しなければなりません。
自民党の一部の議員さんも「日本に『個人』はいらない」と言い切っています。
(でも、日本人全体の総意が、これだと思います)
そのために、戦後ずっと機能し続けてきたのが、「学校教育 Schooling」でしょう!
派閥は、どの組織にもあります。
派閥というとあれですけど、「グループ」と言えば、誰もがピンとくることでしょう。
とにかくグループを作りたがる。そして、「みんな」を作りたがる。
そして、そのグループを作ったら、他のグループと争うことになります。
それが、「縄張り争い」ですね。
今も自民党内には、派閥がいっぱい並んでいます。
でも、霞が関の官僚たちもまたこの派閥と縄張り根性で溢れています。
どの省に配属されるかによって、その後の人生が大きくかわってきます。
れっきとした「縄張り」はありますから、そこでコンフリクトが生じます。
予算の配分とその取り合い・奪い合い。
ニッポンは古来より、そういう「派閥」や「グループ」のの論理を重視するのであります。
⑥官僚の態度に対する民衆の軽蔑および非難
「官僚主義」とは、民衆の非難=批判の声である、と。
そう、僕たちは、この「官僚主義」を批判的に捉える必要がある。
僕らは誰一人として、誰かに支配されたり、コントロールされたくはない。
そして、僕らは一人ひとり自分の頭で考えることができる。
小さい子どもでも、「ぼく、ひとりでやるもん」って言える。
でも、官僚主義は、僕ら民衆を「愚民」と考え、押さえつけようとする。
そして、わずらわしい手続きを僕らに課し、無能にさせる。
僕ら「民衆が賢くなること」を誰よりも恐れているからだ。
為政者(官僚たち)は、民衆が支配されていないと感じながら、
支配されている状況を何よりも望むし、好む。
「僕たちは支配されていないし、自由だ」と感じさせながら、
裏で秘密裡に支配を強めていく。
それを「官僚主義」というのであれば、ニッポンはまさにそれだ。
***
僕も、教員という立場であり、ともすれば「官僚主義者」になりかねない。
学生たちを「無能」と決めつけ、先例を踏襲し、画一的に扱いかねない。
やっても意味のないレポートや課題を学生たちに出しかねない。
そして、せっせと「学生」の「規制」を強めかねない。
今の若者は、かつての若者のような「喧嘩上等」の精神は出してこないから、
教員も、それに甘えて、ますます己の権威を振りかざしかねない。
怖い立場だ。
また、学問世界でも、「派閥」(学派)やら「縄張り根性」が跋扈している。
真理の追究が僕らの使命なのに、くだらない「派閥」同士の争いを繰り返している。
専門家たちの間では、縄張り争いを繰り広げ、自分たちの権限を強めようとしている。
…
冒頭にも記したように、官僚主義には、思想的な信条はない。
官僚主義は、形式主義であり、イデオロギーをもっていない。
官僚主義国家日本には、なので、右も左も実はないのだ(と思いたくなる)。
あるのは、官僚(とそれに癒着する政党)と、支配される従順な国民だけ。
先日見た映画『新聞記者』の最後のフレーズが忘れられない。
「この国の民主主義は、カタチだけでいい」(という官僚の言葉)。
否、カタチも実はないのだと僕は思う。
日本にあるのは、ただただ形骸化した官僚主義が横たわっているだけ。
ニッポンの人たちはいつになったら、自律的な生き方をするのだろう。
ニッポン人は、いつになったら、この官僚主義を捨て去れるのだろう。
ニッポン人は、いつか、思想的な信条を持てるのだろうか。
…
僕は、ニッポンという国が大好きだし、この国に生まれてきてよかったと思う。
この国に暮らす人たちも、大好きだ。
モノ言わずに、静かに、真面目に、ルールや規範を重んじて、ぐっと我慢して…
自分よりも「みんな」を重んじ、そして「和」を尊び…。
心優しい人たちがたくさんいてくれる。
でも、その一方で、僕たちニッポンの人たちは、権威や権力に戦う意思をもっていない。
僕たち一人ひとりが自分をもち、そして権威や権力に厳しい目を向ける時、
その時に、きっとこの「官僚主義」は内側から壊れていくんだろうと思う。
そのために、「教育」があるのだとも思う。
官僚主義を強化するような「教育」は、やはり認めるわけにはいかぬのだ…。
「寝た子を起こすな」ではなく、「寝た子をたたき起こす」。
それができないなら、僕は教師を辞めなければいけない。
寝た子を実際に起こすのは大変なことだけど、、、
でも、「起きろ!」と叫び続けなければ、僕ではない。
それが、教師の真の使命だと僕は確信する。
…
PS
現在公開中の「新聞記者」、とっても面白かったです!!
新聞記者とエリート官僚の「あいだ」を描く作品です。
最後の最後で、この国の「官僚主義」は…
その深い闇が描かれます!!