Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

或る意味で「幸福論」①-働いて、休んで、遊んで、また働いて、休んで、遊んで…

最近、レストランなどで、ロボットが働く光景を見るようになりました。こういうロボットを見るたびに、「ああ、もう人って要らないんだなぁ」って思います。

「先生」や「保育士」という仕事は、まだ幸い、ロボットには任せられない状態にあります。

でも、いつの日か、ロボットが「教育」や「保育」をする日が来るかもしれません。AI技術の進化と共に、またネット環境の進化と共に、特に「学び」については、「先生」「授業」以上に、いいメディアがどんどん出てきています。

実際に「先生」をしていて思うのは、「もう、<教える存在>としての先生の役割はどこにもなく、せいぜい<社会のルールを教える存在>and/or<無条件受容をする母的存在>でしかないなぁ」ってことです。何か知的な文化の伝承みたいなことは、誰も求めておらず、「労働社会で生きていく方法」と「存在を無条件で肯定すること」の二つだけを真面目に果たしておけば、「いい先生」になれるんですよね…。

***

今や、ほとんどの人が、「働くこと」と「休むこと」をただただ繰り返しているように思います。「労働」と「余暇」のあてどなき繰り返しの日々。コロナ禍においても、そこは変わらず、「働いて」「休む」をただ繰り返すだけ。

職場で自分を押し殺して、組織の駒となって、自らその一部として大切な命を削ってその組織のために尽くし、心身共にヘトヘトになる。

そして、休日は、死んだように眠るか、日ごろのうっぷんを晴らすべく消費活動を楽しむか、趣味や娯楽に没頭するか、あるいはどうでもいいおしゃべりを内々の友だちをして発散するか、そんなことをしていないでしょうか。

お金のために働いて、そして、休日は自分の欲求や欲望を満たすために遊んだり、休んだりする。その永遠の繰り返し。「頑張って働こう」「死ぬほど休もう」「趣味を生きよう」「消費を楽しもう」、それだけの日々を生きている人がいったいどれだけいることでしょう。

働いて、休んで、遊んで、そしてまた働いて、休んで、遊んで…

こういう人たちは、ず~っと「自分のため」に生きているですよね。働くのは何のためかといえば「お金」のためでしかない。お金がもらえない職場で働く「変わり者」ももしかしたらいるかもしれないけど、普通、そんなことはあり得ない。なぜ働くのかといえば、「お金」以外に理由はない。「やりがい」なんて持ち出す人がいたら、その人を一番警戒した方がいい。仕事にやりがいを求める人は、あなたを「搾取」する人(あなたの大切な命の時間を差し出せ、と要求する悪い人)以外のなにものでもない。

そんなお金のためでしかない職場でいくら真面目に働いたところで、あなたが幸せになることはありません。なぜなら、真面目に働いているあなたは、まさに「自分のために生きているだけ」だからです。あるいは「家族のため」でも変わりありません。「自分のため」「自分の家族のため」、その精神は、エゴイズム(利己主義)です。自分がよければそれでいい。自分が稼げればそれでいい、と。

そして、休日がやって来ます。ただいま、ゴールデンウィーク真っ最中。

平時であれば、「旅行に行く」という選択肢があり、ある程度余裕のある人は海外旅行に行ったり、国内の贅沢な旅行を楽しむのでしょう。もちろん「自分(たち)のために」。

休日にすることといえば、「休むこと」「寝ること」「ゴロゴロすること」「買い物すること」「遊びに行くこと」「趣味に没頭すること」「遊園地等に行くこと」「友だちとおしゃべりすること」くらいでしょうか。家族がいる人なら「家族サービス」もありますね。まとめれば「休息」か「消費活動」か「娯楽活動」といったところでしょうか。

こちらも真面目に考えれば、全部「自分(たち)のため」なんですよね。自分が疲れているから寝たりゴロゴロしたりして過ごすのも、自分のため。買い物や趣味・娯楽だって、自分のため。それを家族で一緒にしたとしても、結局は自分たちのため。

24時間365日、「自分のため」に生きている人。つまり、自分のために(お金のために)、真面目に働いて、自分のために、休んで、自分のために、消費して、自分のために、趣味に生きている人。

そういう人だらけじゃないか!っていう警鐘を鳴らす人もいっぱいいます。

(職場にはいない)誰かのために、(職場や家庭以外の)社会のために、何か行動をする、といったときに、あなたは何を思い浮かべるでしょうか?

あなたの時間の中で、誰かのために、社会のために、どれだけの時間を割いているでしょうか。

そう尋ねられたら、「あ、選挙には行ってるよ」と答える人がいます。そう、選挙に行く、というのは、上に挙げたどの行為とも違って、(本来的には)「自分のため」の行動ではありません。残念ながら、「自分のため」「自分(たち)の利害のため」に選挙に行く人もいっぱいいると思いますが、基本的には「みんなのため」になっているはずです。

ですが、選挙なんて、年に数回あるかどうかの話で、ここで問う話ではありません。

自分の利害のない誰かのために、自分や自分の家族や自分の職場ではない社会(地域社会・公共)のために、日々、あなたはどういうことをしていますか?、と。

***

先に、「「労働社会で生きていく方法」と「存在を無条件で肯定すること」の二つだけを真面目に果たしておけば、「いい先生」になれる」と書きました。

これもまさに、「働くこと」と「休むこと」につながる話ではないかって思います。教師自身が子どもたちに、「しっかり働いて、あとは休んでね」というメッセージを送っている、といいますか。「しっかり働きなさい」と「そのままでいいんだよ」の果てなき繰り返し。

その帰結が、まさに「自分のためだけに生きる」「自分と自分の家族のためだけに生きる」、という生き方なのではないでしょうか。70年代の「教育の科学化」も、80年代の「受験戦争」も、90年代~00年代の「ゆとり教育」も、00年代の「教育格差」も全部、「自分のために生きろ」という隠れたメッセージが潜んでいたように思います。

真面目に働くことが悪いことだとは思いません。でも、それだけなら上の「ロボット」でいいんです。仕事の内容にもよりますが、きっと「僕」や「あなた」よりもミスなく働いてくれることでしょう。どんなに注意を払っても、ロボットの正確さには勝てません。

休日に休んだり、遊んだり、消費活動をしたりすることも悪いことだとは思いません。「労働」はそもそも疲れるものだし、今のこの時代の労働は、体力以上に心にズドンと負担がかかっています。休まなければ、もたないでしょう。また、消費活動や娯楽活動も、「息抜き」「気晴らし」には最適なものでありましょう。

でも…

それだけでよいのでしょうか? それだけに生きていれば、幸せになれるのでしょうか? 自分だけが、自分の家族だけが幸せならそれでよいのでしょうか? そのような考え方で、本当に幸せになれるんでしょうか。

 

なんでこんなことを書いたかというと、この動画を見たからです。

学生時代から大好きな宮台先生と、新鋭気鋭の30代の若き学者の「対談」。この番組をみて、色々考えたことをまとめてみました。

よかったら是非この動画も見てみてください\(^o^)/

今回は「問い」だけにしておきます✨

<つづく>

この本だ!

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