goo blog サービス終了のお知らせ 

Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

小国ながらも、したたかに生きるパラオ人の知恵―パラオ論—

2015年末、

パラオ共和国に行ってきました。

本欄に画像を表示

パラオ共和国は、日本から約4000kmほど離れたところにある小さな南の島の国。人口は2万人で、その8割がパラオ語を話すパラオ人で、2割がフィリピンからの移住者みたいです。また、パラオ人の約半数が「公務員」らしく、皆、のんびりと生きているそうです。第二次産業(主に工場)はなく、主要産業の8割が「観光業」となっています。この国の中心は、コロール(Koror)です。

が…

現在の首都はマルキョクというとても小さな町(というか村?)にあります。2006年に、中心地であるコロールから移転したそうです。その理由は、コロールの人口過密にあったそうです。新たな首都建設のために、台湾からの財政援助も受けたそうで、国会議事堂前にはそのことが記載されたモニュメントが建っています。

ところが、マルキョクに移転しても、ほとんど誰もコロールから離れる人はいなかったそうです。なので、首都なのに、マルキョク周辺は、過疎なんてレベルじゃなく、何もないんです。こんなに何もない首都なんて、他にあるんでしょうか。小さなホテルが数か所、レストランは一カ所のみ、という状況らしいです。現在のこのマルキョクの人口も、なんと560人ほどだとか。560人しか住んでいない場所に、首都のある国なんて、、、。ビックリですよね。

パラオは、もともとは大陸(インドネシア、オーストラリア、フィリピン等)から渡ってきた現地人(パラオ人)しかいない小さな島でした。が、大航海時代(15世紀~17世紀)に、スペイン人によって発見され、キリスト教の布教活動を目的に、現地の人との接触が始まったそうです。どの本を見ても、パラオの歴史は、スペイン人との交流から始まっています。というのも、パラオには「書き言葉」がなく、その歴史を示す文書が残っていないからなんだそうです。一つ伝説になっているのは、現地のパラオ人がスペイン人と共にスペインに行き、そこで亡くなった、という話です。

パラオは、スペイン統治に続いて、ドイツによる統治に苦しめられます。当時のドイツ人たちは、パラオの資源に目をつけ、現地のパラオ人を奴隷の如くに扱い、かなり暴力的に統治したそうです。そのドイツと第一次世界大戦で戦った日本は、1914年にパラオに向かい、ドイツ人を追い払い、そして、パラオを統治するようになりました。ドイツと日本はここで敵対関係にありました。その後、1920年から1945年までの25年間、パラオは日本の「植民地」となったわけです。

このように、パラオは15世紀以降、ずっと「外国の脅威」にさらされ続けてきたのです。今も、実質的に安全保障についてはアメリカに依存しています(この文脈で日本を考えると、2015年の安保法制定は、アメリカからの安全保障の独立として考えることができます)。1945年以降、ずっとアメリカの統治下にあったパラオですが、1981年に、自国憲法を制定し、自治政府も発足させました。その後、パラオは「パラオ共和国(Republic of Palau)」として、パラオ語では「Beluu er a Belau」として、独自の道を歩んでいます。


パラオというと、まずは「ダイビングやシュノーケルのメッカ」、ないしは「南国リゾート」として知られています。パラオに行く人は皆、パラオの美しい海や自然に感動したと言います。ダイビングをするにも最適な場所で、アジア各地からダイバーが集まってきています。事実、海は美しく、ここでしか見られない魚もいっぱいいます。

そして、過去の戦争の戦地としてのパラオです。2015年4月に天皇陛下が御訪問されました(僕は2014年半ばから行こうと思って計画を立てていたんですが、スケジュールがどうにも合わず、2015年末になってしまいました…)。パラオ最南端の島であるペリリュー島は、日本とアメリカが激しく島の奪い合いをした場所でもあります。日本人の死者1万人とも言われており、生存者はたったの34人だけ、という話でした。たくさんの犠牲者を出した島でもあり、日本人として訪れるべき場所かなと思います。

世界屈指の美しい海を持つリゾート地であり、且つかつての戦地である、というパラオ。

パラオの人たちは、長い外国からの侵略の故か、かなり「したたかな一面」も持っています。現在、2万人いると言われているパラオ人の約半分の人が「公務員」で、いわゆる「重労働」は主にフィリピン等からの移住者が担っているそうです。公務員の給与は、アメリカからの財政支援と、年間14万人に達する観光客からの税収で賄われています。

一つ例を挙げると、パラオ共和国に入国した際、観光客は、出国時に50💲の「出国税」を払わなければなりません。14万×50💲で計算すると、年間700万💲の収益となります。日本円だと8億円くらいですかね。パラオでは、黙っていても年間8億円の税収が入ってくる仕組みになっているんです。更に、環境保護地区で楽しむ際には、さらに「許可証」が必要となり、これも20💲~100💲ほどかかります。主な産業が「観光」で、産業の8割が観光業となっています。農業や林業はほぼ行われておらず、食料品も輸入に頼っているそうです。気候的にも、家畜が成立していません。豚や牛もこの島にはほぼいません。野生の鶏もいますが、パラオ人はそもそも鶏肉を食べる習慣もないそうです。ゆえに卵も乏しく、また味も悪いそうです。

なので、基本的にパラオ人たちは、働きません。まさに「南国の知」そのものという気もしますが、「発展」や「発達」や「成長」を求めていません。「現状維持」でよいと考えています。なので、パラオには大学もなく、優秀な人たちは、アメリカやグアムの大学に行ってしまうそうです。そして、戻ってこないそうです。「経済成長」「経済発展」を求める人には、キツい場所だと思わされました。水木しげるさんの思想を共有する人なら、きっとこの国はいい国となるでしょう。でも、知的で、成長や発展を良しとする人には、耐えがたい場所かもしれません。今日も明日も明後日も、同じ日々の繰り返し。それ以上もそれ以下も求めない。そういう国でした。

逆に、パラオから日本を考えると、日本は、「恐ろしいほどの先進国」なんだなぁ、ということ。普段、日本にいると自覚できませんが、パラオから日本を眺めると、日本はとてつもなく「近代的な国」であり、「合理性」や「利便性」や「発展」や「成長」にがんじがらめに縛られた国なんだなぁ、と。

一つ面白いのは、この国には、「信号機」がないんです。一つもありません。

2004年頃に、コロール市内に何カ所か信号機が設置されたことはありました。が、その3年後の2007年には、全て撤去されています。パラオには、信号機は要らなかったんです。信号機がなくても、事故は起こらない、と。むしろ、信号機ができたことで、事故が起こったとさえ言われています。さらに、信号機が故障した時に、その信号機を直せるエンジニアが存在していなかったんだとか。パラオは、人口のわりに、車の交通量がとても多いです。が、事故はかなり少ないそうです。人が道を渡れば、みんなちゃんと止まってくれます(確認済)。

信号機がなくても、安全な運転が守られている。これこそ、まさに「南国の知」だ!と思いました。

一番強く思うことは、「日本が嫌で嫌でしょうがない人は、一度、是非パラオ共和国に行ってみては?!」、ということです。パラオは、ハワイよりも近いです。飛行機で4時間です。

でも、そこでの生活や文化や生き方は、日本とは全く異なります。そもそもの「原理」が違います。あくせくアリのように働いて、次々に消費して、エネルギーを無駄に使って、昼も夜もない生活を繰り返す日本。そういう日本で生きることが辛い人には、パラオは最高の「外国」なのではないかな、と思います。

また、もしかしたら、「先進国でしか生きられない自分」に気づけるかもしれません。パラオの生活は、「単純」で、「質素」で、「シンプル」で、「発展」や「成長」を(そもそも)求めてない生活です。「原理」が違うんです。正直、僕には「無理だ…」と思うような生活形態でした。僕は、変化や成長や発展が好きな人間なので、先進国でないと生きていけないと自覚しています。

が、もしかしたら、パラオ的な生き方の方が性に合っている人も、いっぱいいるように思うんです。変な話ですが、「死のう」と思って悩んでいるくらいなら、そのパワーをパラオに向けてみてはどうだろう?、と思うんです。

具体的には、まずはパラオで一度生活してみる、というのも「アリ」ではないかな、と。

じゃ、どこでどう働けばええねん!?って思う人は、こちらをご覧ください。

ここは「22歳~28歳の女性に限りますが、、、(;´・ω・)

例えば、ですけど、こういうお店で働けるんですね(なんかちょっとあれですけど…汗)

他にも、こういう求人は色々とあると思います。例えば、このサイトなど!

日本で生きることは、世界トップクラスで「成長」や「発展」を考えて生きるということ。それが性に合う人もいっぱいいるでしょう。でも、そうでない人もいます。そういう人が、日本で生きていくのは、本当に辛いことです。でも、日本国内にいる限り、この成長や発展という思想から抜け出すことはまずできません。常に、「成果」や「結果」が求められる「先進国」ですから。

もしかしたら、「海外移住」(その勧めやその支援)こそが、本当の意味での「ケア」だったり、「支援」だったりするのかな、と(半ば)ホンキで考えるようになりつつあります。

(つまり何が言いたいかというと、日本国内の視点で支援をいくら考えても、その人自身がそもそも日本的=先進国的な生き方とマッチしていなければ、そもそも、ダメなのではないか、と。先進国的な生き方が無理なくできる日本の他の人々と同じようにガツガツと生きていけない人に対する支援は、そもそもガツガツを奨励する日本では、成立しないのでは?、と)

僕は幸いにも不幸にも、ガツガツ人間で、先進国的な進歩・発展型の生き方しかできない人間です(このことも、パラオとの出会いで気づかされました)。けど、そうでない生き方しかできない人もいるのではないか、と。そして、それゆえに、この国の内で、苦しんでいるのではないか、と。


話が逸れました(汗)。

パラオの話に戻りましょう。

コロール街中を眺めると、主に日本、中国、韓国からの観光客が圧倒的です。

僕が見た限りは、白人の観光客もポツポツいますが、かなり存在感は薄いです。パラオ共和国は、東アジアの旅行客に支えられている一面を垣間見ることができました。今は、圧倒的に中国人観光客が多いそうです。日本人も負けてられませんが、そもそも母数自体が違うので、張り合えません(それに、今の日本の若者はミクロネシアにそもそも来ようとしていませんし…)。

パラオの産業の8割が「観光業」です。なので、「外国人観光客」に支えられているのが、パラオの現状です。その頼みの綱である観光客の多くが今や、中国人(台湾人)です。

個人的には、もっと日本人がパラオにやって来てほしいと願います。パラオ語の約25%~30%が、日本語と言われているくらいですからね。世界でも他に例をみないほどの「親日国」とも言われています。

一番感動したのは、「ダイジョウブ(大丈夫)」という言葉が、普通に通じることでした。さらに、ビールで乾杯する時は、皆、「ツカレナオース(疲れ治す)」と言うそうです。「アリガトー」も通じます。そんな国、他にはないですよね。


パラオ共和国最南には、「ペリリュー島」があります。

このペリリュー島には、かつての日本軍が残したものがたくさん残っています。

ペリリュー島については、また別記事で詳しく書きたいと思います。

(上の写真は、ペリリュー島に残された旧日本軍の小型の戦車です!)

エメラルドグリーンの海が美しすぎました。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「哲学と思想と人間学」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事