Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

【損得の人】と【愛の人】-恋愛交差点、番外編

僕らの生きるこの社会には、二つのタイプの人間がいます。

一つ目のタイプは、「損得の人」。

二つ目のタイプは、「愛の人」。

これまで僕が「haveの愛」と言ってきたその「have型」の人間が、「損得の人」。

これまで僕が「beの愛」と言ってきたその「be型」の人間が、「愛の人」。

損得の人は、自分が損か得かで動きます。

これをしたら自分の得になるなと思えば、動くし、損をするなと思ったら、動きません。

それは、今得になるかどうかだけではなくて、未来の得につながるとなるなら、動きます。

その時の基準は、「私」です。

「私」が得になることを、最優先します。それが結果的に「相手」にとっても得になるなら、それを「ウィンウィンの関係」と呼びます。YouTuberのヒカルくんは、これを動画で常々言っていますね。

ヒカルくんはとても潔くて、「自分にとって得かどうか」で動くと明言しています。(ただ、だから、彼が「損得の人」かどうかは、分かりません。本人とその周囲の人にしか分かりようがないので…)

そういう損得の人は、相手の人間(「他者」)を、「手段」として、「道具」として、利用します。手段として使えるならおつきあいするし、道具として利用できるならおつきあいします。結果として、その他者とつきあうことで、得になるなら、付き合うし、損になるなら、お付き合いいたしません。「ビジネスライクな関係」を好む人は、みんな「損得の人」と言えるでしょう。

損得の人は、自分自身も、相手側から見たら、「手段」や「道具」に過ぎないということも分かっています。自分自身も、常に「利用される」ということを自覚しているので、常に警戒します。「他人を見たら、まず疑え」、と。

損得の人にとって、「他者」は、自分の所有物を奪う恐ろしい存在です。財を多くもった人が言っていました。「お金持ちになると、詐欺をするような人間がいっぱい集まってくる」、と。損得で生きて、そして財をもった人は、それだけ他者を警戒するし、恐怖を抱いているんですね。

学生たちを見ていても、「損得の学生」は結構います。「自分が得になるのかどうか」で、真面目に勉強する科目とそうでない科目を上手に分けて、考えています。あるいは、「損」になりそうな科目はできる限り、回避します。「自分の役に立たない勉強なんて、する意味も価値もない」、と本気で考えています。

大人の世界(主に労働世界)では、…言わずもがな、ですね。

他方、愛の人は、損得勘定で動くことを嫌います。損得ではなく、「相手が喜んでくれるかどうか」「相手がどう思っているのか」「相手が幸せかどうか」をまず考えます。

自分が得をするかどうかではなく、誰かのためになっているかどうかを気にします。自分が損をすることになっても、それが誰かのためになるなら、したくなります(ひねくれものかも…)。

また、誰かが困っていたり、泣いていたり、ふさぎ込んでいたら、「何かしなきゃ」「何かしてあげなきゃ」って思ってしまうんです。それが「余計なお世話」になることもあるかもしれませんが、そうせざるを得ないタイプの人間なんです。

愛の人の中には、自分の身近な人たちにだけ、その愛を示す人もいれば、また、自分とは縁もゆかりもない人に対してもなお、深い愛情を向ける人もいます。

その射程の程度はさておき、愛の人は、損得ではなくて、信念や信条に基づいて動きます。「困っている人に手を差し伸べた方がよい」という信念がある人は、どんな時でも、自分が困っていても、自分が損をすると分かっていても、困っている人のところに行きたくなるんです。

お金儲けを前提としないNPO活動に力を入れる人とか、儲けが期待できない保育や介護など社会福祉の仕事をしている人とか、そういう人は、損得で動くタイプの人間とは程遠い感じがします。(損得で動く福祉専門職の人もいるかと思いますが、、、)

そういう人にとって、他者は、「手段」でもないし、「道具」でもありません。自分と同じこの世界を生きる仲間として、パートナーとして、大切にしなければならない存在です。

愛の人は、その相手(他者)もまた、自分が困ったときに助けてくれる存在だということも分かっています。見返りを期待しているというのではなく、他者もまた自分を支えてくれる存在(共存在)なんだ、と考えているんです。

だから、損得の人が抱くような不安や疑念や恐怖を、愛の人はもっていません。もし自分のもっているものを欲しがったら、あげちゃうんじゃないかなって思います。自分があげることで相手が喜んでくれるなら、「それでいいか」ってなるからです(現実的には、そこまで割り切って生きている人はすごく少ないと思いますが、、、)。

損得の人は、常に不安を抱えていきています。自分の財が失うことを恐れています。不安や恐怖が強いので、ますます「損得」で動くようになります。

愛の人は、常に平安で平穏な世界の中にいます。自分の財を失うことを恐れていないし、取られても、「まぁ、いっか」ってなります。不安も恐怖も疑念もないので、ますます「愛」で動くようになります。

損得の人は、自分以外の人間(他者)がどう思っているかどうかなんて、どうでもよいと思っています。その人間が自分の「得」につながればよいだけなので、相手のことを知る必要も、相手の心の奥底を理解する必要もないんです。だから、「利己主義」に生きるんですね。

愛の人は、他者がどう思っているか、どう感じているかを大事にします。優れた愛の人は、その他者の置かれている状況やその背景もしっかりと読み取り、その他者の生きづらさや生きにくさについても、察すること(エンパシー)ができます。自分はそれでいいけど、この人(他者)にとっては不都合なんじゃないかな?って推測できるんですね。そういう人の生き方は「利他的」であり、「利他主義」で貫かれています。

卓越した損得の人は、きっと「優秀なビジネスマン」になることができるでしょう。損得で生きるので、当然「得」を呼び寄せます。得が多ければ多いほど嬉しいのが、「企業」です。人格としての企業は、まさに「損得の顔」をしています。

他方で、卓越した愛の人は、「優れた教師」、「優れた保育士・介護士」、「優れた医師」とかだけではなく、「優れた政治家」「優れた官僚」になれるでしょう。残念ながら、日本の政治家や官僚の多くが、「損得の人」になっている気もしなくもないですが…

優れたジャーナリストやマスコミ関係者も、やはり「優れた愛の人」になり得ます。自分の損得を超えて、愛と正義と真実に基づいて、「世の人のため」「本当に困った人のため」にと、人々が日常生活で気づけない小さい(でも、とても重要な)問題を提起してくれます。「赤ちゃんポスト」や「内密出産」の取材を受けていて、いつもそれを感じます。ジャーナリストや記者の方たちも、(この問題に関心のある人は)みんな「愛の人」だなぁって思っています。

日本は、損得で動く人と、愛で動く人、どっちが多いのでしょうか?!

また、どちらのタイプの人が多い方が、優れた国と言えるでしょうか。

この「損得の人」と「愛の人」を縦軸にして、「民主主義」と「権威主義」を縦軸にして考えると、、、

こんな感じになるかな?!って思いました。

これは、思いついたまま、図にしているので、まだまだ検討しなきゃいけませんが…💦

民主主義国で損得の人が多く集まっているのは、「アメリカ」かなと思います。もともと「自己責任」「自助」の国ですからね。世界の財がもっとも集まっているのも、アメリカですし、GAFA(GAFMA)も全部アメリカです。民主主義国であり、且つ、欲望の資本主義を貫くアメリカは、まさに、「民主主義×損得」の国にふさわしいかな、と。

他方、同じ民主主義国でありながら、愛の人が多く集まるのが、今のヨーロッパの国々だと思われます。「他者」のことをかなり突き詰めて、追及してきたのが、ヨーロッパの国々でした。だから、僕はヨーロッパをリスペクトしています。

(*サンデルらの「コミュニタリアニズム(communitarianism)」は左下の「民主主義+愛」の最果てに位置し、ノージックらの「リバタリアニズム(libertarianism)」は右上の「民主主義+損得」の最果てに位置し、ルソー・カントらの「リベラリズム」は、「民主主義+損得+愛(ピティエ)」なので、左端(やや下)かな、と。で、「功利主義」は、「民主主義+損得強し(功利性)」なので、左のやや上かな。ただ、このカテゴリーだと右側が無視されるので、この四分類では世界は語れない)

権威主義国で損得の人が多く集まっているのが、中国やロシアかな、と思われます。欧米型の民主主義を否定し、強靭な国家体制の中で「資本主義」を徹底化しているのが、中国やロシアではないかな、と。もちろんその中にも「愛の人」はいると思います。でも、愛の人は、他者を愛するがゆえに、時に政権や政府に抗います。権力者に抗う人間を逮捕したり、暗殺したり、収容所に入れたりするのが、権威主義国です。だから、おのずと、愛の人は消えていくことになります。

一番難しいのが、「権威主義国×愛の人」でした。権威主義国にありながら、愛の人が多く存在する国と考えた時に、僕が思いついたのは、「北朝鮮」と「日本」でした(苦笑)。この話は長くなるので、ここではしませんが、権威主義国に愛の人はいるのか?と問うと、該当する国が出てきません。ただ、「愛」を「愛国」に変えたら、北朝鮮と日本が世界トップクラスじゃないかな、って(自民党を支持する人は、もっぱら「損得の人」と「愛国の人」ですよね=「経済活動の自由」と「排他的自民党偏愛」の政党ですよね)。

日本は今や、(一応一瞬だけ政権交代できるにはできますが)「自民党一党独裁国家」で、今はその勢いがどんどん増していますが、でも、その一部に「愛の人」がいることも間違いありません。ヨーロッパほどじゃないにしても、愛の人も少なくないのが日本という国だとも思います。

この「愛の人」(Beの愛の人)を増やしていくことが、この国の、このアジアの平和と幸福にとって最も大事なことだと思います。

Fin.

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