Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

結愛ちゃんが残した手紙を改めて読みなおす-目黒の女児虐待死事件-

東京都目黒区で、痛ましい虐待事件が起こった。

5歳になる結愛ちゃんが、義父の暴力やネグレクトによって死亡した。

この事件は、僕がここで説明しなくても、皆が知っていることだろう。

先週は、もうこの事件のことばかりが繰り返し報じられた。

この事件が世間で注目されるきっかけとなったのが、彼女が残したと思われる「文章」だった。

彼女の「文章」を何度も何度も読んで、この記事を書くことを決めた。

色んな人がこの事件について色々と言っている。

僕の意見をここで記しておきたい。

(「常識的」にしか物事が考えらない人は、以下読まないでくださいね)

まず、結愛ちゃんの残した「言葉」を再読したい。


ママ もうパパとママにいわれなくても

しっかりじぶんから きょうよりか

あしたはもっともっと できるようにするから

もうおねがい ゆるして ゆるしてください

おねがいします

ほんとうにもう おなじことはしません ゆるして

きのうまでぜんぜんできてなかったこと

これまでまいにちやってきたことを なおします

これまでどんだけあほみたいにあそんだか

あそぶってあほみたいだからやめる

もうぜったいぜったい やらないからね

ぜったい やくそくします


この結愛ちゃんの言葉をどう読めばよいか。

そして、この言葉から、今後の虐待対策をどう考えればよいのか。

また、このような悲しい事件を二度と繰り返さないためにどうすればよいのか。

このことについて、幾つか論点を絞って、考えたい。

①今回の事件は、「パッチワークファミリー(ステップファミリー)」の問題である

既に明らかになっているが、結愛ちゃんの母親の優里さんは雄大氏と「再婚」している。なので、結愛ちゃんは「再婚家庭の子ども」ということになる。更に、優里さんと雄大氏の間に子どもがいるので、「パッチワークファミリー」と言っていいと思う。まだ日本ではあまり知られていないが、ドイツではかなり認知されている「新しい家族の形態」である。日本では、「ステップファミリー(義理家族)」とも言う。

メディアではほぼこの言葉は使われていないが、パッチワークファミリーを生きるためには、知っておかなければならないことがたくさんある。その一つが、「新しいお父さん(雄大氏)」と「前のお父さんの子ども(結愛ちゃん)」の関係構築の難しさだ。母親や新しいお父さんがどう思おうと、どう言おうと、子どもにとっては、「前のお父さん」が「本当のお父さん」だ。だから、「新しいお父さん」は、子にとっては「エイリアン」なのだ。(*シュトロバッハさんの『離婚家庭の子どもの援助』より)

雄大氏は、「言うことを聞かなかったので、4,5日前に顔面を殴った」と言っているという。それ自体、絶対に認められることではないが、僕らは「なぜ言うことを聞かなかったのか」について、真面目に考える必要がある。

日本では、パッチワークファミリーの情報が極めて少ない。少ないだけじゃなくて、話題にならない。僕も、シュトロバッハさんの本の翻訳をしたり、パッチワークファミリーの論文も書いたりしているけど、全くレスポンスはない。「赤ちゃんポスト」や「匿名出産」については色々と尋ねられたり、取材を受けたりしているけど、それよりも前からやっているこの研究には、全く関心をもたれない。離婚することが当たり前になり、母子家庭の貧困の問題が取り上げられ、それを抜け出すために、「再婚」する女性や男性が増えている。「再婚」まではスムーズにできても、「連れ子」がいる場合、新しいお父さん(お母さん)と連れ子のいるお父さん(お母さん)は、どちらも、パッチワークファミリーについて学ばなければならない。

でも、そういう話に全くなっていない。

また、一方だけに連れ子がいる場合のその親(優里さん)の心理的プレッシャーについても考えなければいけない。優里さんは、逮捕後に「自分の立場が危うくなると思った」と述べている。それは「DV」かもしれないし、また「経済的立場」だったかもしれない。

②今回の事件は、緊急下の女性(夫婦)の問題ではない

虐待死については、僕もこれまで色々と書いてきたし、論じてもきた。虐待死の中には、「緊急下(in need)」の場合と、そうでない場合(慢性的に持続的に行われる場合)がある。結愛ちゃんの場合は、前者ではなく、後者である。虐待を示すMaltreatment(Misshandlung)の意味は、「不適切な子育て」「不適切な子どもへの関わり」「不適切な養育」である。今回の事件は、まさにmal=「悪い」「悪質な」「悪性の」トリートメント(子の扱い)だった。

ゆえに、今回の事件は、赤ちゃんポストや内密出産では救えない事件だったと言える。親自身が「緊急性」を認識していなければ、どうにもならない。恐らく、雄大氏も実の母の優里さんも、「子どもを捨てたい」「子育てを放棄したい」とは思わなかっただろうし、思ったとしても、手放すことはしなかっただろう。虐待問題や、虐待後の措置の問題、すなわち親権をめぐる問題では、「虐待を繰り返すのに、親権は絶対に放棄しない親」の問題が潜んでいる。乳児院や児童養護施設に入所している子どもの「養子縁組」がなかなか進まないのは、親が親権を放棄しない(できない)からだというのは、この業界では「自明」の話。

だから、赤ちゃんポストや匿名出産といった「匿名支援」とは異なるアプローチが必要になる。

ただ、だからといって、児童相談所の権限を強めるとか、親権制限をもっと強めるとか、そういうアプローチでこの問題が解決するとは必ずしも言えない。そのことを警告するYouTubeもあった。(こちらを参照

どういう支援があったら、この家族全体を救えることができたのか。今のところ、それを提示する記事やコメントは見当たらない。僕としては、①の話と関連して、まずは「パッチワークファミリーの作り方」というか、「パッチワークファミリーを生きるにあたって、予想される困難」をきちんと伝えていくことだと思う。(義理父に連れ子が殺される事件は、ずっと繰り返されている)

③今回の事件は、「日本の子育て」の根深い問題を表している

今回の事件がメディアやSNSで話題になって、また、上に挙げた結愛ちゃんの手紙を読んで、強い怒りを感じた。でも、それは雄大氏や優里さんに対してというよりはむしろ、それを「傍観する人々」に対して、だ。その中には、テレビの中で、結愛ちゃんの手紙を涙ながらに読み上げるアナウンサーやそれに共感するコメンテーターも含まれる。

僕は、「教育」や「子育て」について研究している人間だ。しかも、そのベースには、ヨーロッパの教育学や子育てがあって、日本の教育や子育てを批判的に見ている。 

結愛ちゃんのこの手紙、「虐待で殺された結愛ちゃんが書いた手紙」というフィルターを外して読んでもらいたい。「虐待されていないけど、厳しい家庭で育つ子どもの手紙」と思って読んでもらいたい。

どうだろうか。

それほど驚くほどの文章ではないのではないだろうか。いや、文章を書いたという点で凄いが、5歳の女の子なら、かなりの文章は書ける。今の子たちは、相当の「教育」を受けているから、5歳の女の子なら相当書くことができる(子もいる)。これを、本人が書いたのか、それとも親に書かされたのかという議論もあるが、そこは問題ではない(言葉はそれ自体、親や教師や保育士から教わるものだから)。

そうではなく、この文章に書かれていること全部が、日本の子どもにとっては、実はとても当たり前に言っていること=言わされていることなのではないか。

「もうパパとママにいわれなくても しっかりじぶんから きょうよりか あしたはもっともっと できるようにするから」は、それこそ、虐待を受けているかどうかは問わずに、言わされている言葉ではないか? 「言われなくてもしなさい!」「なんども同じことを言わせないで!」「なんでこんなことできないの?」「どうしてできないの?」…、日本の親は、とにかくこういう言葉を日常的に「吐く」。多くの親が「なんでできないの!!」と子に向かって叫んでいないか?

「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」という言葉も、厳しい家庭の子どもは、みんな言っている言葉ではないか? 「ゆるしてください」、その言葉を言う子どもを何人見てきただろう。「ごめんなさい」「ゆるしてください」、そうやって大人に「謝罪」する子どもがどれほどいることか。僕の学生の中にも、「すみませんでした」「ごめんなさい」とすぐに言う子がいるが、話を聴くと、厳しく躾(というマルトリートメント)を受けて育ってきたことがすぐに分かる。

「きのうまでぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことを なおします」というのも、普段、日本の親が言いがちなことを見事に示している。「あんたはぜんぜんできない!」「ぜんぜんダメ!」「できないことはすぐに直しなさい!」、父母に限らず、日本の親がすぐに子に言ってしまうことそのものではないか。(僕的には、子どもには一回たりとも、「ぜんぜんできない」と子どもに言うべきではないし、なおすことも一つもない、と考えている。ルソー派なので…)。

「これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめる」という言葉を読んだ僕は、失神しそうになった。この一文は、まさに「日本の教育そのもの」ではないか!、と。僕は「子どもの仕事はただ遊ぶこと」だと思っているが、日本の親たちは、「遊んでないで!」「遊んでばかりいないで!」「遊ぶんじゃない!」「遊んでいる子はバカだ」、と普段から言いがちではないか? 遊ばせないで、塾に行かせたり、遊ばせないで、スマホやTVやDVDを見せるだけだったりとか。「どんだけあほみたいにあそんだか」とあるが、もしかしたら、離婚前のことを言っているのかもしれない。再婚前は自由に遊べていたのかもしれない。

(彼女の名前は「結愛」=「愛を結ぶ」「結ばれた愛」だ。生まれた時、すなわち5年前は、親からそういう思いをもたれていた、ということだ。少なくとも、生まれた瞬間、名づけられた瞬間は、母親に愛されていた。そこを僕らはもっと重く受け止めなければならない。優里さんの状況を改善することができたら、最悪な事態は防げていたかもしれない。また、恐らく再婚直前直後は、義父もそれほど酷くはなかったと予想される。もし再婚前にそういう男だと分かっていたら、再婚はしなかっただろうから。つまり、義父も再婚後に「変わった」、「変貌した」と。)

最後の「ぜったい やくそくします」というのも、躾の厳しい家庭で育つ子の「常とう句」ではないか? 「いい、約束だぞ」「約束やぶるなよ」「約束をやぶったら、…」、日本の親が言いがちなフレーズそのものではないか。

以上、全文を見てきた。

この文章から、僕らは学ばなければいけない。認識しなければならない。

結愛ちゃんのように育てられている子どもは、まだまだたくさんたくさんいる、ということを。

というか、日本人の子育て観そのものではないか!、と。

だから、今回のこの事件の報道やコメントをみて、怒りが強烈にこみ上げてきた。「なんで、そんなに他人事のように言うんだよ!?」、と。親だけじゃない。保育士や教師も、この結愛ちゃんの言葉を、自分への言葉だと捉えなければいけない。それを意識していない人が最も問題だ。「結愛ちゃん、かわいそう」と言いながら、自分の子どもに(自分の園児たちに)同じようなことをやっていないか?、言っていないか?と。

子どもは、親に謝る必要なんてないの。子どもは、何度も何度も同じ間違いをして、それでようやく自分でやめるようになるの。遊べばいいの。遊ぶことが子どもの最大の仕事なの(それが分からない人はホイジンガの「ホモ・ルーデンス」を読んで!)。

できないことなんていいの。できなくていいの。できる必要もないの。できないことを詫びなくていいの。

だいたい、大人だって、何にもできないじゃないか。偉そうに言っている大人のあなた、何ができるの? 何かすごいことができるの? 自分が大したことないのに、子どもに(子どもにとって)大したことを求めないでほしいの。子どもは、ただ存在しているだけで、すごいパワーをもっているの(それが分からない人は、世阿弥の「風姿花伝」を読んで!)。

ここまで読んでくれた人は、もう、雄大氏や優里さんをただ「悪人」として叩くことはしないと思う。

叩くべきは、この日本で渦巻く歪んだ子育て観の方だ。子どもは親や保育士の「所有物」ではないのだから。

マルトリートメントという観点で見れば、日本の子どもはほとんどが虐待を受けているのだ。(やや誇張して言っています…)

結愛ちゃんの命を無駄にしないためにも、またこういう事件を二度と繰り返さないためにも、僕らはもっと熟考しなければならない。ミクロレベルで「どう対応するか」だけではダメで、もっと大きな問題としてこの事件を捉えなければならない。さもなくば、また同じように、親の行き過ぎたトリートメントによって、子の命が奪われるだけだろう。

僕らはもっと子育てについて学ばなければならない。そして、伝えていかなければいけない

子どもを作る行為は「快楽」であるが、子どもを育てる行為は「知的(理性的)」である。また、子どもを作る行為は、私事であり、極めてプライベートな営みであるが、子どもを育てる行為は、社会的であり、公共的(public)であり、連帯的であり、共同的である。

【補足1】(

この結愛ちゃんの事件と同じ時期に起こった「新幹線殺人事件」の小島一郎氏(22)もまた、父親(52)に、マルトリートメントを受けていたと想定される。

週刊文春(6月21日号)に、彼の父親のインタビューが掲載されていた。彼は、新幹線内で「なた」で殺人行為を働いた一郎氏に対して、とても厳しい教育(という名の虐待)を行っていたと思われる。そんな父と子を知る人がこう語っていた、という。

父親は『男は子供を谷底に突き落として育てるもんだ』という教育方針で息子に厳しかった。共働きのS家(Sは実父のこと)では同居している(父方の)祖母が食事の用意をしていたようですが、『姉のご飯は作ったるけど、一郎のは作らん』とよく言っていた。実質的に育児放棄されていた。一郎君と家族の会話はだんだんと少なくなっていったようです

この記事を読む限り、一郎氏の親と結愛ちゃんの親は、似たような行為をしていたように思う(もちろん「程度」は異なるが…)。

結愛ちゃんの父親(と母親)を責める人は、考えてほしい。もし結愛ちゃんが「男の子」で、もし彼女が今回殺されないで育っていたら、どんな22歳になっていたか、を。

逆も考えてほしい。もし小島一郎氏の親が、結愛ちゃんの父親の雄大氏だったとしたら…

「善」と「悪」が反転するのではないだろうか。

【補足2】

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ちなみに、出版社の「在庫」はもうありません。再版の見込みもありません。

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コメント一覧

kei
新米保育士さん

こんにちは。先日はどうもありがとうございました(メッセもありがとうございました!もっとお話が聞きたくなりました) 僕もとても楽しかったです。

是非このブログもどうぞよろしくお願いいたします! 教育や保育の話ももっと書いていこうと思っていますので。その際には是非ご意見をお聞かせください!

メッセに記載されているアドレスにお返事してもよいですか??
新米保育士
御礼
講演会での貴重なお話、ありがとうございました。Blogを遡って拝読し、こちらの記事などもとても興味深いものでしたので、コメントを残させて頂きました。
先日、「新幹線殺人事件」の公判もあり、そのニュースを見聞きしながら感じ入るものがあったので、こちらの記事を拝読しながら、さらに視野を広げられました。勉強の機会を頂きまして、ありがとうございました。
ととろ
こんばんは、古い記事に突然コメントさせてもらいます。
確かに、子育てしている世代には耳の痛い持論かなと思います。海外のように人様の前では自分の子を自慢したりだとかできないので…親バカだとか甘やかしになるのでは、とか。さじ加減が難しく私も日々思い悩みながら子育てしています。命の危険に伴うルール、例えば交通ルールだとかはめちゃくちゃ厳しくしていますがそれでもなかなかヒヤッとすることはなくなりません。
子供の仕事は食べる寝る遊ぶこと、と私も子供に言っていますが、生活のルールも守らないと家庭を回せません。ご飯の時間、お風呂、歯磨き、薬を飲ませたり、髪を乾かして、明日の洋服や持ち物を準備して、早寝早起き、子供を育てるためにやることもたくさんあって、そのなかで遊んでばっかりいないでおもちゃ片付けて!とか早く食べなさい!とか、寝ないで遊んでばっかりだとお化けが来るよとか脅したり怒ったりするのは本当に大変なことです。
もちろんなるべく怒らず優しい親でいたいのですが、忙殺されていつの間にか鬼ババになるのです。そんなとき、パートナーや友達が愚痴を聞いてくれたり、地域の子育て支援センターの先生でもいい、話を聞いてくれるだけでもきっと鬼から優しい親に戻れると思います。
孤立化は本当にしんどいです。赤の他人でも道を譲ってくれたとか、本当にささいな優しさでも心は暖かくなると思います。
虐待の連鎖も、日本の子育て観が変わらないことと同じようにあると思います。死ななかったサバイバーたちは子育てのときに苦労します。もらえなかった優しさを与えることの難しさ…自分には許されなかった子供に対する優しさや愛を与えていく立場になるのです。そこを乗り越えるために必要なのは自分を認めることからかもしれません。私も厳しい家庭で育ったので…
大人になって立派になれたと思ったのに日々子育てを通して、まだまだだったとまた鍛えられています。立派な親とゆうのはどういったものか…指針がないなか手探りで、きっとそんな人は多いでしょう。
うまく伝えられませんが、あなたのように問題と向き合って考えてくれる人がいることが嬉しいです。
疲れた親がいたら共感してくれたり優しくしてあげることで世の中うまく回るんじゃないかな…とか思ったんですけどどうでしょうか。
Unknown
久しぶりこのブログ見ました。

私への貴方の反論を見ました。
下記の貴方の言葉を引用しますね



(それに僕が子育てしているかどうかも関係ありません。僕に何人も子どもがいたらどうしますか?)



貴女の考えは「人の親」の考えではありません。結婚もしてないし子供もいないでしょうが貴方は(笑)

そんなん、机上の空論ですよ(笑)

空論で理想論だからね
軽いんですよね

やったこと無いからね


あー、ちなみに貴方が未婚で子供もいないなんて事はすぐに解りますよ

結婚して子育てに一所懸命にしてる人間は
Twitterに独り言を言いませんからね(笑)


聞いてくれる嫁がいるから(笑)

だし

ラーメン食べ歩きもしないよ

愛しい自分の子供が家で待ってるから(笑)

以上です。
菊地
菊地
チコちゃん悪い
kei
1ファンさん(恐れ入ります…)

コメントありがとうございました。

知味斎って、あの幻の?…
https://blogs.yahoo.co.jp/hanafuku51/27474439.html

僕は行けずに終わりました。どんなラーメンだったんだろう?と思ったことがあります。支那そばやも、佐野さんが厨房に立っておられた頃の話で、興奮してコメントを読ませていただきました。

今回の事件も、もう多くの人の記憶から消えかけようとしています。何度も繰り返し、この問題については語っていかないといけないな、と改めて思っています。そして、「大人に何が出来るのだろう」という問いをしっかりと持ち続けたいな、と思いました。

ありがとうございました。
kei
Unknownさん

コメントありがとうございました。(お返事遅れてすみませんでした)

僕は、一応匿名のDr.keiというキャラクター設定なもので(実名バレバレなのですが…)、実際のお父さん・お母さんからのコメントはとてもありがたいです。

結愛ちゃんの死から僕らが学ばなければならないこと。

それをしっかりと言葉にしないと、それこそ、結愛ちゃんに失礼かな、と今、強く思っています。

恐ろしいもので、もう、この事件の風化も始まっているように思います。こういう事件は繰り返されています。一番大事なのは、二度とこういう事件を繰り返させない、ということだろう、と思います。
1ファン
Keiさん初めまして。また初めて書込みさせて頂きます。

元々ラーメンが大好きで、インターネットが無い時代には、ラーメン本を頼りに食べ歩き。その後、ラーメン本などの元記事を書いたりする位ラーメンに嵌りました。
辻堂にあった知味斎が一番好きなラーメンで、その次が支那そばやさんでした。
支那そばやさんの店主は、まじめで、スープの出来が悪いと店を開きません。
でも、シャッターが半分開いているので覗いてみると腹減ってるのか?と声がかかり、クリームシチュウやカレーを振舞ってもらったこともありました。テレビに出るようになって、テレビ用のイメージが付いてしまいましたが、実際は優しい方でした。

3年前に千葉に転勤になり、ラーメンを探しにKeiさんのブログを拝見するようになりました。深謀遠慮の語り口に共感した為です。

結愛ちゃんのことがヤフーニュースの一覧に上がった時、内容を想像し、しばらく記事をクリックできませんでした。しかし、夜のテレビニュースでは盛んに放映されています。

この手のニュースを見るたびに思うのは、僕に預けてくれたらと思う。
子育ては大変ですが、”普通”の男が何かを成し遂げるなんて、子供を育て上げることぐらいしか、出来ないと30過ぎに気が付いたからです。

テレビのニュースを見ても記事を読んでもただ可哀そう、鬼親だとのコメントで、涙を流して記事を読むだけ。
あまりに腹が立ち、しばらくテレビも新聞もネットニュースも見る気が失せました。

Dr.Keiさんのブログで、今回の記事を拝見し、色々と考えさせられ、また、すーっと落ちるものを感じました。
特に
子どもを育てる行為は、社会的であり、公共的(public)であり、連帯的であり、共同的である。という一文。

大人に何が出来るのだろう。

Dr.Keiさんに共感します。
Unknown
初めましてですが、コメントをさせて頂きたいと思います。
簡単ですが、自己紹介を。
私は36歳の父親で3歳男の子と、5歳の男の子がいます。
普段はラーメン中心でブログを頻繁に拝見させて頂いていましたが、今回の記事を読ませて頂き、色々と考える事がありました。
率直な感想としては、考える部分や共感するところが多々ありました。
今もリアルタイムで長男が嫁に謝らされてました…
躾は勿論必要だと思いますが、躾の方法であったり接し方なのかと。
日本だけなのかは分かりませんが、確かに知り得る限りでは大人優位みたいな習慣は私も感じます。
私自身が人様に胸を張れる大人と思っていないですし、大人が子供よりも立派な立場とも思いません。
子供に教えられる事も山程あります。

keiさんの綴った内容はあくまで1つの考えであって、理解に苦しむ方もいらっしゃるのも分かりますが、内容に対して配慮されている事は十分に伝わりました。
それに対して頭ごなしに否定するのはどうなのかな?と感じたのでコメントさせて頂いたのですが、子供が居るとか居ないとかじゃなくて、むしろ子供がいるからこそ自分に無い考えを取り込もうとする努力が親であるからこそ必要なのじゃないかと思います。
国は中々変わらないと思うので、先ずは身近にいる親達がコツコツ努力して国を動かす力をつけられたら良いなと思います。
kei
Unknownさん(二つ目のコメント)

上に書いたコメントと重なりますが、「人の親になって日々子供と向きあ」ったとしても、今回の事件については、語れないと思います。しかも、今回のこの事件は中身的にもとても複雑で、感情的にどうこう言えるものでもありません。

それに、この記事が「実体験」に裏打ちされていないかどうかは、分かりませんよ。僕ももしかしたら、雄大氏みたいな考え方をもっている人間になっていたかもしれないですし…。

もし僕の見解が的外れだと言うのであれば、そこを具体的に反証していただけたら幸いです。間違っていれば、その部分については是非再検討させて頂きたいと思います。

こんな末裔のブログにまでお目を通してくださり、ありがとうございました。
kei
Unknownさん

コメントありがとうございます。死因については既に公表されているとおりだと思いますし、それはとうぜん踏まえた上での記事です。だから、この記事でも、冒頭で「「常識的」にしか物事が考えらない人は、以下読まないでください」と注記いたしました。雄大氏を悪人として叩いても、次の犠牲者を止めることにはなりません。そうではなく、こういう事件がどうして起こるのか、その根っこは何か、その一つの見解を申したまでです。慢性的なマルトリートメントに苦しみながらも、誰にも気づかれないで育っている子どももまだまだたくさんいます。そのあたりは、自分が子育てしているからどうこうという話では全くありません。(それに僕が子育てしているかどうかも関係ありません。僕に何人も子どもがいたらどうしますか?) それに、当事者であればあるほど、自分が当事者であることを意識して、表に出さない努力をするのが「プロ」だと思います。今回の事件に関して言えば、だれも経験できないような話だと思います。雄大氏の過去も出てきていますが、彼もまた色々な意味で「当事者」だったとも思います。

以上、Unknownさんへの僕のご返答となります。

いずれにしても、貴重なコメントありがとうございました。こんなマイナーで幸の薄いブログにまで目を通していただき、感謝しています。
Unknown
子育ての本を色々読んで勉強するのも良いですが

一番の勉強は実際に人の親になって日々子供と向きあう事です。

本や研修で勉強する事だけで実体験をしていないと
頭でっかちで体は貧弱な人間になってしまいます。
Unknown
ゆあちゃんの死因は

『両親の長期間にわたる虐待と、低栄養状態などで起きた肺炎による敗血症にて死亡。』


と警察の公式発表があります。

○慢性的な親の暴力

○子供にご飯を食べさせない


以上の二つが死因です。


これのどこが『悪人ではない』のですか?

日本人の子育て感が間違ってる
とか関係ありませんよ。

私は2歳の子供を持つ父親ですが
可愛い我が子に 『虐待と飯抜き』 なんて行為
考えられません。

論点がずれていますよ。


あなたはお子さんいるんですか?

多分、居ないでしょうね
人の親をやってないから
当事者ではないから、論点がずれるのです
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