Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

「人は詩的に大地に住まう」-いざ、生まれ故郷へ! 「出自(Herkunft)を知る」の現象学的アプローチ?!-

今回、どうしても行きたい場所がありました。

それは、48年前に、僕が生まれたその場所です。

なんとなくの記憶を辿り、google mapを使い、、、

僕の生まれた場所は、四日市です。

四日市が、僕のHeimat(故郷)…になります。

故郷といっても、父の赴任先であり、ここに祖父母がいたりしたわけではないのですが…

なので、家系的には、縁もゆかりもない場所になるんですよね。

縁もゆかりもないけど、ほかではなく、紛れもなく僕が生まれた場所です。

近鉄四日市駅

です!

四日市駅を降りると、懐かしい「バス」がいっぱい走っていました。

この「バス」もまた、僕の「原風景」の一部なんですよね。。。

これが、1975年、僕が生まれた日の近鉄四日市駅です。

うっすらと、僕が生まれた「産婦人科」の看板が見えます。

ここが僕の産まれた場所なんですね。

この近鉄四日市駅から5分くらい歩いた場所に、、、

ありました。残ってました。

僕が生まれた病院、山本医院

もう営業していないのですが、奇跡的?にgoogle mapに情報が残っていたんです。

厳密に言えば、「山本医院跡地」になるのかな?!

ここで、僕は48年前に生まれたんですね。。。

上の48年前の写真と比べると、同じ建物だと分かります。

建物の上の看板はなくなっていますが、窓の数や建物の形そのものは変わってません。

手前の平屋の家は解体されて、大きな建物が立っているので、駅からは見えなくなってますね。

48年、つまりは半世紀の時間で、ここまで変わるんですね、、、

(写真の画質の影響もあると思うけど、、、)

こちらです!!

この病院で、僕が生まれて、その3年後、僕の弟もここで生まれました。

僕の原初的な記憶の一つに、この山本医院の前にあった「自動販売機」があります。

その自動販売機に、「桃ピーチ」のジュースが売っていて、弟が生まれた時に、その桃のジュースを飲んでいた記憶がなんとなくあるんです。

すごく暑い日に、桃ジュースを飲んで、美味しかった記憶がうっすらと残っているんです。

その暑さ、そして、桃ジュースの美味しさをなんとなく薄っすらと覚えているんです。

この薄っすらとした記憶は、後に「写真」や「母からの話」で作られたものかもしれないし、実際に記憶にかろうじて残っているものかもしれません。

でも、実際に、その場所に来ると、その記憶とは違う医院でありました。

「こんなところだったのか、、、」

48年前の記憶なんて、もう「あるのか」「ないのか」さえ分からないんです。

ただ、なんとなく、「嗚呼、ここが僕のルーツ(Herkunft)なんだなぁ」って思いました。

嬉しいとか、懐かしいとか、そういう感覚はありません。記憶にほとんど残ってないので、共感するとか、感動するとかというのとは違う感覚です。

「ここで産まれたんだ…」

っていう、なんだかよく分からない感覚なんです。

「しみじみ」っていうのではないし、「ふむふむ」って感じでもない。ノスタルジーを感じるわけでもないし、安心感が増すわけでもない。。。

一言で言えば、「そっか…」って感じ??

多分、これが、「知る」っていうことそのものなのかな、って。

この建物で、48年前に、僕は生まれたんだ…。

今、「出自を知る権利」の問題について、改めて研究しているんですけど、、、

その中で、「何を知れば、出自を知ることになるのか?」という問いを出しています。

親の名前を知れば、出自を知ったことになるのか。

親の住んでいるところを知れば、出自を知ったことになるのか。

出自の中身を問うことなく、ただ連呼される「出自を知る権利」に疑問を抱いています。

biological or genetic originsに限定すれば、「肉親の情報」になるかとは思います。

けれど、僕らのoriginsは、biological、geneticなものに限らないはずなんです。

この山本医院で「僕は産まれた」という事実と、そして、その場所そのものを見ること=知ること。

これもまた、きっと「自分の出所」「自分の根拠」「自分のルーツ」にかかわるんだと思います。

強いて言えば、「ecological origins」になるのかな。

いや、あるいは、「Hometown's origin」??

それを知る権利となると、「right to know one's hometown」となるかな?

あるいは、「right to know ecological origins of children」かな、、、

知るべき出自に、このhome townは入り得るのか、得ないのか。

どこで、産まれたか。

誰のお腹から、産まれたか。

そして、どこで一番最初に暮らしたか。

この三つは、おそらくは根源的な「知るべき出自情報」なんだろうな、と。

僕は、0歳から4歳まで四日市で暮らして、その後、桑名に移って、小学1年生の終わりに、千葉にやってきました。それはかなりの「大移動」でした。

だから、正直なところ、四日市に、そんな「思い出」ぽいものはほとんどありません。情緒的な感情はほとんどありませんし、「懐かしさ」もなくはないけど、そんなにemotionalなものでもない。

この辺は、「小さい頃からずっと同じ場所で暮らした人」とは全く違う感覚なんだとも思いました。

思い出や記憶が何もない場所、でも、事実として産まれた場所。

そこを「知ること」の意味、、、

感情的・情緒的な感覚は何もないけど、知ること自体が重要となる、という意味。価値。

それが、「出自を知る権利」の意味や価値なのかな、と思いました。思えました。

産まれたばかりの僕がいた「山本医院」。

たしかに、僕はここで産まれたんです。

この「山本医院」もまた、僕にとっては「知るべき事柄」のような気がしてなりません。

この看板も、きっと48年前からあったんだろう、と思います。

この看板もまた、僕が生まれた時代を感じるレイアウトというか、字体というか。

証拠という証拠はなかったとしても、、、

ここで自分が産まれたんだと思うと、やっぱりじわっと来ますね。

そう、出自を知る権利って、「じわっとくる感覚」なんですね、きっと。

鵜の森公園が近くにありました。

きっと、ここも母親に抱きかかえられて、歩いたんだろうな…。

記憶も思い出もなんにもありませんが、、、

それと、もう一つ。

僕が(おそらく)はっきりと覚えている風景がこれなんです。

湯の山温泉行きの近鉄の電車。

このホームからのこの眺め、、、

僕の中では、「記憶通り」なんです。

そして、この線路の分岐点。

右の線路は、桑名~名古屋方面へ。

左の線路は、湯の山温泉へ。

この左の線路に、幼い頃の僕は「ロマン」を感じていました。

この線路の向こうに何があるんだろう???って。

この問いは、今でもはっきりと覚えています。

結局、湯の山温泉には行ってないのかな???

でも、多分、僕の人生の最初の「気がかり」がこれだったと思います。

「この線路の向こう側には、いったい何があるんだろう」

そして、ワクワクしていました。

覚えていない過去。

覚えている過去。

覚えていると思っている過去。

色んな過去があるんですよね。

「出自を知る権利」が問題となる子どもたちの問題も、自分の問題として考えることができるのかも。

それは、「僕はどこから来たのか」「私はどこで産まれ、どこで生きたのか」、という問題です。

きっと、普通に生きていれば、それは「問題」にはならないんだと思います。

でも、それが「問題」となる場合がある。

ただ、それは、ほとんどの人も、問題にしていないだけで、いつでも問題なんです。

ハイデッガーも、「故郷喪失(Heimatlosigkeit)の時代」と言ったりもしました。

故郷、ルーツへの問い、もう少し、続けたいと思います。

ですが、まずは、「ラーメン🍜」ですよね!!

四日市のラーメンといえば、、、

まずは、、、

あのお店ですよね!!!

山本医院を通り過ぎて、鵜の森公園を横切って、、、

あのお店に向かいます!!!

分かる人には分かるかな???😊

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