茜ちゃんの「島日記」

奄美群島から文化の発信を試みております。自然・文化・民俗学など想い付くままの事柄どうぞお聞きください。

サワラチャンの加計呂麻日記-063

2013年09月20日 | 教育

 

サワラちゃんの加計呂麻日記

                       -063

 

 

ツバル ・ 前にも紹介しましたが・憧れ! 

台風18号はどうした訳か、南西諸島には一滴の雨も降らさないで、北上されました。爺に意地悪した訳だな。畑は水が欲しいって泣いている!京都の鴨川の三条大橋が水面まであと少し。こんな事なんて未だ見た事なかった。今年の気象は全国で異常でした。皆さんも気を付けて下さい。

ブログを公開し始めたのが、大津を離れる年の2011年の1月

未だ3年足らず。それでも最近は一時7本公開していたものを、

やっと、整理して週3本ペース更改 。

畑仕事と資料調べ、貝の採取に忙殺されて一時後悔しました。

でも、視聴者が1本当たり1.000人超え/週になってくると、

好い気なもんで爺も調子が出て参りました。

それぞれバラエティーに富んでおります(自画自賛!

では、今週も元気に行きましょうか! 

 がんばって!爺ちゃん  「サワラちゃん

 

  

 

 先月の8/31で、いよいよ離島・加計呂麻島暮らしも2年になります。目出度く9月になって3年目に突入! 都会生活が殆どの爺にとって(来年は70歳になります)離島暮らしは、生まれて初めての生活。  島に来る前に知人の医者から頂いた、BRUTUSという雑誌一冊。 

                   

 特集は島暮らし  

 

中を読むと、抱腹舌鋒の記事が書いてある。<ホンマかいな?X>という感じ。           それでは、今回も島暮らしの実体験をご紹介! 

 

 島暮らし-007  

 

 

 

 最近、離島、陸の孤島などに I ターン者 が増えております。しかし、それらの方々の中には一抹の不安が有ると思います。それで、爺が生の情報をお話したいと思います

 

これからは島暮らしというだけでなく、本州・九州・四国などの山奥の限界集落、周りと隔絶されたような陸の孤島状態の地域をも含むと、お考え頂きたい。

 

 


 さて、先回は山口県周南市の山間僻地で発生した凶悪事件を紹介しながら、僻地、陸の孤島、離島の集落の状況について、一般論的な事を書いてみました。今回は<アジアの庶民の考え方>、次回は<郷に入れば郷に従えに付いて書いてみましょうか。


 それでは、その前に東南アジアで起きた、本当のようなのような話を・・・・

 

 アジアの庶民の考え方 

 

カンボジアのお祭り

 

 

第一話・・・カンボジア 

A <あるご夫婦がカンボジアのある田舎に住むことになりました。ある日、奥さんが花の苗を沢山買って来て、庭に植えようとしました。ところがその時思ってもいないことが起こりました。近所の奥さん達が突然やってきて、その苗を奥さんの所の庭に、勝手に植え始めたのです

日本なら先ず考えられない事ですね。<お節介>と言われても、仕様がないということです。ところがその土地ではそれが当たリ前。 

B <また、ある時、この奥さんの家で、洗濯機を新しく購入しました。日本でも昔からあった、二層式の古いタイプの洗濯機・・・家の水道の蛇口の傍に置きました。使い始めてから数日後、ビックリする様な事が起こりました。近所のオカミサン達が断り無しに、勝手に洗濯機を自分達で使い始めたのです。唖然としたそうです

大阪のオカミサンなら ちょっと、何すんねんって叫んだでしょうね。でも、これはその土地では当たり前。

            **********************************

第二話・・・タイ 

                                          チェンマイの露天の娘

 

 <ある時、日本人の男性が、タイの田舎の娘と恋に落ち結婚しました。瀟洒な家に二人で住むことになりました。ある時、この嫁の家族が遊びに来ました。数日して帰ると思ったら何時までも長逗留し、そのまま住み着いてしまったのです。それから何人もの家族がやってきて同じ行為に及んだのです。とうとう主人はどちらが家主か分らない状態になり、肩身の狭い立場になったとか

娘達

 

「そんな馬鹿な」 ではないんです。 どうもそれは普通の事のようです。

!・・・じゃナインです。

第1.2話は、実際に日本人が現地で体験されたことです。日本じゃ先ず考えられない事ですね。でも、<所変われば品変わる>なのです。でも、現地の人にとっては、生まれた時この方空気を吸う如くなされてきた慣習ですから、疑問の沸きようも無い。ビックリするのは現地に飛び込んだ人ばかりとなります。

後にお話しするJAIKAの職員などは、未開発地にも派遣されるので、よりビックリするような事に遭遇するかもしれません。はじめて爺が島に来た時、海上タクシーの使い方が分らないので、大分戸惑いました。何時発着するか全く分らず。<説明、案内標識>もなし。見よう見まねで覚えました。<こりゃ、エライとこ来たのかも????>と思いましたが・・・今じゃ・・・・

 

 

    喫茶店でちょっと一服   

                          株式市場の天気予報    

 FRBの議長候補NO1のサマーズ氏が辞退とか。上院の人気が無い事が、ご本人痛く気にしているようですが。やりゃいいんですよ。大統領がご推薦なんですから。   まさか、まさか・・次期大統領を狙っている・・・そりゃ無いでしょう。 仕事が出来たからって、おいそれと成れるというものじゃないんです。これでFRB議長はかのご夫人で決まり。

 東京は<東京五輪>で、段々盛り上がって来ました。しかし、長期フローチャートの月足はそれを知っていたみたいですね。神様仏様のチャートですね。これを既に見据えて長期戦を腹に決めた人は賢い。大儲けしたでしょうね。いや、まだまだ売りはしません。下値で買い増したでしょうね。

年金資金管理の担当部署もその内の一つかな。それでも数兆円儲かったとか。お願いしますよ。爺の年金の原資ですから。株式投資は現物・長期投資が一番でしょうか。でも、先行きが見えない・・・人間は所詮こんなものでしょうかね。

                   月足フローチャート

 

 

2013 09 20    14.742.42    23.76   

 順調な戻り基調で推移しています。特に悪材料が有りませんし、戻り高値奪回は間近でしょう。 

現在先の高値付近まで戻っていますので、ヤレヤレ売りが有るだけです。

13W,26Wとのクロスは発生しませんでした。

このまま株価は上昇し、戻り高値を奪回するでしょう。

 

 

安部内閣の支持率も様変わりの67%↑ ツイテキマシタ、日本も!

これが大事なんです。財務、官房長官、経済産業大臣が確りしてますし、

今までの中では近年稀に見る安心出来る内閣

これが市場に好影響。年末¥20.000Point夢じゃない!

尖閣諸島のデモンストレーションも本当のデモ、でも。

中国国内は反日に神経を尖らしているそうで静かです。

これは国内向けのアジテーションですね?

そ~と、して置くに限ります。

振り上げた拳は、いつか降ろさねば。

初の女性駐日大使も間もなく就任する。

女性は真面目だから、結構はっきり物を言うかもね。

何せKennedyのお嬢さんだがね!

本日はそういう事で

爺、調子に乗るな! サワラ 

 

 

金融経済学入門講座

 

 

NY株式市場 

昭和恐慌と金解禁

 

1930年前後の政治経済情勢金解禁-006

 


 昭和元年・1926年 大正天皇崩御 ・ 昭和天皇

       1927年 金融恐慌(片岡大蔵大臣失言事件)

              台湾銀行救済緊急勅令枢密院で否訣

       1928年  張作霖爆殺事件

             1929年 ニューヨーク株式市場大暴落・・・世界大恐慌


 1927年に枢密院で台湾銀行救済緊急勅令否訣され、それが引き金で日本の金融世界は金融恐慌に突入して行ったのですが、この時政権に付いたのが、憲政会の若槻礼次郎内閣でした。時の大蔵大臣は<片岡 直春>でした。

銀行の取り付け騒ぎを起こして多くの銀行が潰れました。全国で潰れた銀行が44行。預金額にして8億3千万円・・・・当時の全国の預金量は91億円・・・11%がOUTになりました。自殺者も出たそうです。平成大不況でも拓銀や特殊銀行が潰れ、有名な銀行は殆ど合併などして、世間から消えて行きました。如何ににすざましい事だったか分ります。

 

外国の銀行取付騒ぎ

 

でも、何故これ程の銀行が潰れたのか・・・予定の行動だったのか・・・必然か

この頃、政府は金本位制復帰を模索していました。金本位に戻ると金が海外に流失して、不景気になるから内容の悪い銀行は、この際膿を出して整理した方が良いという判断が有ったようです。

 

当時の国会内では震災手形善後処理法案でおお揉めの最中でした。1927年3月14日、東京の渡辺銀行が「とうとう支払不能になりました」と大蔵次官に報告しました。大臣にメモが渡され、この事を議会で言明。ところが実際は渡辺銀行は翌日までに資金繰りが付いた。

しかし、既に公のニュースが世間に飛び回っている。これで万事休す!これより銀行の取り付け騒ぎはいっそう酷くなりました。事の真相は闇の中。あるいは筋書き通りだったかも。良くあるケースです。

 

行政改革会議・1996年

 

 

 

 平成の大恐慌ともいえる金融再編成は、「構造改革」の基に行なわれた大鉈だったのでしょうか。されば、これも政金融財界の当初からの筋書きだったのでしょうか。1920代の金融恐慌を見直すと、そのような感じもしますね。世の中の裏側の世界の奥底はなかなか見えないものです。

大蔵省がどの程度これに関与していたか、今になっては分らないが・・・・IMF+が筋書きを造った・・・という話の信憑性は果たしてどうなのでしょうか。橋本行革の主人公は黄泉の国・・・大蔵省をよっこして、首相+日銀+IMFでの芝居はちと無理かな?これは後々考えましょう。

 

金融恐慌の処理 

 

  台湾銀行救済緊急勅令を枢密院で否訣で、若槻内閣は責任を取って倒閣。次は政友会の田中義一内閣。大蔵大臣は財政金融のベテラン・高橋 是清でした。

 

A-2日間の銀行自発的休業 B- 大口預金21日間支払い停止の勅令発布 C- 日銀は紙幣を印刷して銀行に貸し出す。(片面刷りの200円札紙幣)・・この時、銀行にこの紙幣を山積みして、顧客の動揺を押えたとか。・・これで漸く騒ぎは収まったとか。

しかし、束の間の事。 それから1929年のNY株式大暴落・・昭和恐慌にまっしぐらでした。 

 次回はいよいよ高橋 是清の腹心・井上 順之介が大蔵大臣として登場してきます。緊縮政策と世界恐慌・・・金解禁・・・大失政と揶揄される羽目になります。では、本日はこの当たりで終わりにします。

  

 

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