金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

連休後半の目標は「整理」でもモノは増殖しますね・・・

2016年05月02日 | ライフプランニングファイル

GW前半はバンクカントリースキーでしたが、後半は大きな予定はありません。正確にいうと遠出するような大きな予定はありませんが、書斎周りを中心に「断捨離」をするという予定があります。今日から少し整理にかかりましたが、結構時間がかかります。ひょっとするとGW中かかるかもしれません。

整理の手始めに木製の整理ケースを新調しました。今まで使っていたプラスチックケースが汚れてきたことが買替の動機ですが、プラスチックケースは安いのでついつい沢山買ってしまう傾向があります。引出が増えるとそれに合わせてモノも増えるというのが私の経験です。

ですから出来るだけ引出を少なくしてそこに収まる程度に小物を減らす、ということが目標です。ところが小物は減らないどころか増える傾向にあります。粗品で貰ったメモ用紙、ボールペン、封筒などというものは「その内使うだろう」と思っていても、使用量を上回って増えていきます。

書類の類は極力スキャナーで取り込んで廃棄しているのですが、幾つかの団体や会社に関わっているとオリジナルを保存する必要に迫られることもあり、じわじわと増殖していきます。身の回りを整理するには、まずこのような関わりを整理する必要があるかもしれません。

ところで今日スタッドレスタイヤからノーマルタイヤの履き替えのためディーラーに車を持って行ったところ、くじ引きでレジャー用の二人掛けチェアが当たってしまいました。

買うとすれば小1万円はしそうなものなので有難いといえば有難いのですが、それ程使うものではありません。

まさかドライブに出かけてワイフと肩を並べて座っている訳にもいきませんし(笑)・・・

モノを整理しようとしている時に限ってモノが増えるという皮肉。抽選で当たっても目先必要のないものは「要りません」と断る位の毅然さ?が必要なのでしょうか?

子供達が独立したので昔の子供部屋を私の遊び道具置きにしているのもモノが減らない原因の一つなのでしょう。

「なるたけ新しいものは買わない。もし新しいものを買うなら必ず前のものは捨てる」と誓っているのですが、それでも人からモノを貰ったりすることもあるのでモノは中々減りません。さてGWでどれ位整理が捗ることやら・・と早くも弱気になっています。

 

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月山礼賛

2016年05月02日 | 

山は皆好きだがとりわけ好きな山というものがある。

その一つが月山(1,979.5m)である。なぜ好きかというとまず「月の山」という名前が良い。

深田久弥は日本百名山の中で「月山の名の起こりは、半輪の月の形からではなく、その山を仰ぐ平野の人々が彼等のもっとも尊崇している農業の神、月読尊(つきよみのみこと)を祀ったからである。しかし、その心の底には。やはり月のように優しい山という感じがあったに相違ない」と述べている。

月のように優しい山という感じを昔の人が持っていたかどうかは知らないが、丸くて広大で無立木の山頂は月の山を想起させる。

芭蕉は悪戦苦闘して月山に登り山頂で一夜を過ごした。

「雲の峰いくつ崩れて月の山」

月山にはこれまで二度登った。最初は夏にワイフと姥沢からリフトを使って往復した。降りだしてもう少しでリフト乗り場に着くという時、バケツの底が抜けたような激しい雨に見舞われたことを覚えている。

二度目は鳥海山にスキー登山に行った翌日、姥沢小屋に泊まり、山岳部時代の後輩二人とスキーで往復した。この時は天候に恵まれていて、快晴無風の登山だった。

三度目になるはずだったこのGWの登山は強風と小雪混じりの悪天候のため、登山を中止した。

「月山は平凡にして非凡な山だ」と戦前の登山家・小島烏水は述べている。茫洋とした山容は平凡だが、懐の深い山である。

今回月山でバックカントリースキーをしている時に広い四谷川の雪原を登ってくる2名の登山者を見た。姥沢かあるいはもっと下の志津温泉からシールを着けて登ってきたのだろう。手軽さなら月山リフトを使うにこしたことはないが、月山の広大な雪の谷は自分の足で歩てみたいという衝動を起こさせる何かがあるのだろうか?

残念なことにそのような「衝動」を覚えるには少し年を取ってしまった。今ではリフト終点から月山に登るが精々であろう。

山形県には月山以外にも鳥海山・飯豊山・朝日連峰といった名山が幾つかある。姿かたちが颯爽としている点では鳥海山に軍配があがり、山深さの点では飯豊山や朝日連峰に軍配があがることは間違いない。

夏の月山は8合目までバスで登ることができる「易しい」山である。だが日本屈指の豪雪地帯だけに雪が降ると状況は一変し、時として大変タフな山に変貌する。

昔の人は月山に降り積もった雪が庄内平野を潤し米どころとしていたことを知っていて農業神の月読尊を祀ったのである。

今の月山は春には春スキー愛好者のメッカとなった。4月の月山も良いが一度もう少し夏に近い時期の月山に来て雪渓スキーを楽しんでみたいと考えている。2千メートルに満たない月山だが強風と豪雪のため上部は草原や砂礫地となり高山の様相を呈している。雪渓脇に咲く高山植物を楽しみながら3,4本滑ってビールを飲んで昼寝して午後を過ごしたいなどと思うことがある。

恐らくそれに勝る一日の過ごし方はほとんどないだろうなあ・・・・と私は思い始めている。

 

 

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蔵王諦め山寺へ

2016年05月02日 | 

5月1日(日曜日)山の会・GW登山最終日である。朝から雨が降っている。昨夜泊まった「ペンション・ぼくのうち」

http://www.zao-minsyuku.com/bokunouchi.htmlは、施設は老朽化しているが食事とロケーション(ゲレンデのすぐ下)は良かった。一泊二食7,800円は豪華な食事(ジンギスカン)を考慮すると値打ちアリだ。ただし設備が古いのでまた泊まるか?となると少し微妙だ。

さて雨のため蔵王登山は止めて、山寺(立石寺)に行くことにした。当初は芭蕉記念館でも見学・・・と思っていたが、記念館に着くと雨が小降りになり山寺を見ることができた。

山寺は初めて、という人が多いので山寺の1千段の石段を歩いて登ることにした。

車を山門脇の駐車場に回し、まず本堂にお詣り。

しばらく石段を登っていくと木立の中に色々な仏様が祀られている。

山寺は「静けさや岩にしみいる蝉の声」の芭蕉の句で有名なところ。芭蕉に誘われて私も一句詠んでみた。

「緑陰の石仏濡らす小ぬか雨」 北の旅人

小ぬか雨よりは時々粒の大きな雨が落ちてくるが、適当な表現が見つからないので「小ぬか雨」にした。雨に洗われた山寺の緑は美しい。

25分で奥之院到着。

下山時には五大堂にまわった。写真は納経堂。パンフレットなどによく出てくる写真だ。

山寺参拝後芭蕉記念館に立ち寄る。意外なことに?に皆さん芭蕉に興味をお持ちでかなり熱心に見物していた。

今回の登山隊は羽黒山に参詣に始まり、立石寺の参詣に終わった。これは芭蕉の奥の細道の逆回りだ。

芭蕉は立石寺で「閑(しずけ)さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだあと、最上川を下る。

「五月雨を集めて早し最上川」の名句が生まれた。そして羽黒山に登り「涼しさやほの三日月の羽黒山」と詠む。

それから月山登山だ。奥の細道には「雲霧山気の中に氷雪を分で登ること八里、更に日月行道の運関に入るかとあやしまれ、息絶え身凍えて頂上に至れば、日没して月あらわる」と書かれている。

「息絶え身凍えて」というのは芭蕉のレトリックだと思っていたが、芭蕉の年齢や当時の食料・装備を考えるとあながち大袈裟ではなかったかもしれない。月山は大きな山でいくつもの雪田を越えて歩いたと思われるからだ。

そして「雲の峰いくつ崩れて月の山」の名句が誕生した。

今年のGWの山旅は登山としては不調に終わった。だが登山もまた人生の一コマとすれば、山の替わりに芭蕉を訪ねた一コマもネガではなくポジティブに考えるべきだろう。人生に無駄など一つもない。良い旅だったと思い山寺を後にした。

 

 

 

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GWの月山を滑り倒した

2016年05月02日 | 

GWの前半(4月29日―5月1日)は、月山と蔵王山に山の会の連中とスキー登山に出かけた。正確にいうとスキーチームと登山チームの混成部隊である。

今回は天気が悪く月山・蔵王山とも登ることができなかったが、月山ではバックカントリースキーを存分に楽しむことができたのでスキー隊にとっては充実した1日だったと思う。

1日目29日は11時40分頃一行7名が山形駅東口に集合。2台のレンタカーで志津温泉・つたやに向かった。

旅館到着後登山隊3名は車で羽黒山に出かけ、スキー隊4名は宿の車で姥沢まで送って貰いスキーにでかけた。

宿では雨だったが姥沢まで登ると霰混じりの雪になっている。リフトで上まで登ると視界数メートルのガスである。

よそのパーティの2名のスキーヤーが滑り始めたので、その後を追いかけてホワイトアウトの中を滑っていく。後続の3人が気になるがあっという間に姿が見えなくなった。

白い無間地獄を降りていくような錯覚にとらわれながら、沢を滑っていくと左手にリフト乗り場が見えた。

この一本で十分、ということになりこの日は宿に戻り温泉・お酒・美味しい料理を楽しんだ。つたやは1泊1.7万円ほど。山屋が泊まる旅館としては高いが、お値段程度の価値のある旅館だ。

http://www.gassan-tsutaya.co.jp/

なお山スキーコース(姥沢から志津温泉)について宿の人に聞いたがあまり正確な回答はなかった(宿の人は志津温泉まで滑ることができると思いますといっていたが、姥沢では滑降禁止となっていた)。

翌30日志津温泉は晴れているが、風が強く月山方面に飛ぶように雲が流れていく。8時に旅館の車で姥沢に送って貰い、9時5分リフト終点から登山開始。シールを持ってきた私とYさんは駐車場でスキーにシールを貼った。

リフト終点では強い風が吹き、視界は悪い。

月山に向かう人は夏道沿い(といっても標識がある訳ではない)の四ツ谷川源流部を横断していく人と姥が岳から稜線に出る人がいる。前者の方が歩行距離が少し短いがガスが深くなるとルートを取り難くなるので、姥が岳に登る人が多かった。

我々は源流部横断を考えていたが、アイゼンが不調な人などが出てきて、ペースが上がらない。天候の回復も見込めずモチベーションも上がらないのであっさり今日の登山は止めることにした。

リフト終点の休憩所に戻ったのは10時。コーヒーを沸かして休憩した後、スキー隊は姥沢を滑り、登山隊は下山後湯殿山神社か注連寺に参拝にいくことにした。

下の地図は今回滑ったコースの軌跡だ。月山リフト終点から姥沢まで滑るコースは大きく分けると3つある。一つは姥が岳から南に延びる尾根に沿ってトラバースし、無立木の広大なスロープを滑るものだ。ここにはモーグル斜面もあるのでコブの好きな人はコブを楽しむことができる。

次のルートは姥沢沿いに谷を滑るものだ。下まで谷を滑っても良いが少し単調なので右手の樹林帯に入り林間滑降を楽しんだ。

最後のルートは休憩所の脇を少し登り四谷川の大斜面を見通すところから尾根沿いに滑るというものだ。

四谷川を除くと谷底を登ってくる人が見えた。また四谷川の谷底に向かって滑っていく人も何人かいた。滑っていくと姥沢の駐車場まで降ることができそうだが、リフト乗り場に戻るには右の尾根を滑って大きな斜面に出るのが良い。

ここは所々灌木が混じる急斜面でテールを飛ばしながら軽快に滑ることができた。雪はこの時期にしては軽く非常に気持ちの良いスキーを満喫することができた。月山スキー場はスキー場といっても標識はない。どこを滑っても良いが自己責任でどうぞ、ということだ。そこがワイルドで楽しい。

リフト終点付近はとても寒く霧氷は一日中溶けることがなかった。2時にはスキーを切り上げ、3時のシャトルバスで志津温泉に戻り、蔵王温泉に車を回した。

★    ★    ★

春に月山に登るのは2回目である。前回は天気が良く汗をかきながら頂上に登り、朝日連峰の雄姿を楽しんだ後、姥沢まで一気の滑りで下山したが、今回は天気が悪く登頂は断念し、バックカントリースキーを楽しんだ。

「月山は平凡にして非凡な山である」というのは黎明期の登山家・小島烏水の言葉だが、まさに荒れた時の月山は非凡な山である。

ところで月山・鳥海山・飯豊山など東北の2千メートル級の山は世界的に見ても貴重な山である。それは世界最大の積雪量と世界でもまれな強風にさらされ頂上部には無立木の大雪原があるからだ。雪のある山はヒマラヤ・ヨーロッパアルプス・ロッキー山脈などに沢山あるが、これほど身近でしかもバックカントリースキーに適した山がある国は日本以外に極めて少ないだろう。登山愛好者にとって日本は本当に恵まれた国なのだ。

山を愛するものにとって春先のひと時、山スキーを持って東北の山に入ることほど楽しいことはない。これ程楽しいことは人生にあまりないと思うのだが、我々の山の会でも本格的バックカントリースキーを目指す人が少ないことを私は少々残念に思っている。

ただしバックカントリースキーにはそれなりのリスクもあるので、無理に勧める遊びではない。

 

 

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