株主総会(6月)の準備等を進めていると、「アー、僕にもリタイアメントの時期が近づいた」と少し実感するこの頃だ。来月一杯で今の役職を退任する。7月からは某メーカーの監査役(非常勤)として暫くお世話になる予定だが、どうもビジネスの前線からは離れることになりそうだ。
その環境に身を置いてみると、先人のエッセーなどを読んでも感慨が違う。城山三郎に「四十代最後の年に」という小文がある。
・・・・「私の四十代最後の仕事となった『毎日が日曜日』は、当時出会った大学時代の旧友の一言がきっかけになった。「きみも、定年まであと五、六年か」と、私が何気なく訊いたのに対し、友人は答えた。「実質的にはとっくに定年だ。四十代の終わりからは、もう『死に体』も同然さ」
知的にも肉体的にも出力100パーセントという年代なのに、何ということか、私は思った。先の長い人生を、「死に体」のままで、どう生きるつもりなのか、と。私は自分の問題として考えたい、と思った。・・・・・・・・・
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四十代の終わりからは死に体も同然、というのは少し厳しい例かもしれないが、多くの会社では、五十代中頃には、子会社への出向等という形を取る。それを「死に体」と切り捨てる積もりはないが、モチベーションがガラッと変わることは事実だろう。モノ作り系の人の場合はよく分からないが、管理畑ではこのような形でバトンタッチが行なわれていく。その中で多くの人は「次の生きがい」を見つけて、新しい人生へのトランジションを始める訳だ。
もっとも計画性のある人はトランジションも上手くいくのだろうが、私のように「なるようになるさ」といういい加減さで生きてきた人間にはトランジションの絵が描けていない。
週末には、その手の本など読んでみようか?という気がしないではないが、今週日曜日は山(清里の飯森山)であり、来週はワイフと旅行の予定だ。結局「気の重い」話を避けながら、目先の楽しみに身を浸し、ずるずるとニア・リタイアメントという汽水域に進んでいく・・・というのが私の場合のようだ。