今日(26日)から世界経済フォーラムが主催するダボス会議が始まる。これに関連してエコノミスト誌はThe rich and the restと記事の中で、胡錦濤国家主席、英国のキャメロン首相、アメリカ第二の富豪ウォーレン・バフェット、IMFのストロス・カーンという一見共通性のないリーダーがある懸念を共有していると書き出す。その懸念というのは所得格差が社会と経済の安定性を脅かすというものだ。そして多くの会議参加者がこの懸念を共有していると思われる。世界経済フォーラムの新しい調査によると、フォーラムのメンバーは経済的格差の拡大は世界的な統治の失敗とともに次の10年の主なグローバルリスクであると考えていることが分かった。
だがエコノミスト誌は関心事が格差の結果の是正に傾き過ぎることに警鐘を鳴らし「政策立案者は不平等そのものを攻撃するよりもも、不平等を生み出す社会や市場のゆがみを取り除く努力をするべきだ」と主張する。
不平等を生み出す仕組みとは例えば、中国で戸別制度と呼ばれる地方の住人が都市部に移籍することを禁じる仕組みだ。エコノミスト誌はこのように中国の例を出すものの、改革の緊急性が高いのは先進国の方だと述べる。先進国では能力の低い人の将来性が悪化しているからだ。
エコノミスト誌のこの記事はかなり長いのでポイントの紹介はこの辺でやめる。もし日本語で全文を読まれたい方はこちらへどうぞ。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5312
さて私はここでエコノミスト誌の指摘と日本の新卒者の就職難の問題を考えてみた。今年の新卒者で就職が決まっている人は69%で、31%の人は就職先が未定だ。これは1990年代半ば以降最悪の就職率だ。
この就職率の悪さは景気低迷の結果だけだろうか?
確かに新卒者の就職率は悪い。だが一方で中小企業は強い求人ニーズがある。つまり大企業では求職数が求人数を上回り、中小企業では求人数が求職数を上回るというミスマッチが発生している。このミスマッチを解消するキーワードは「職の流動性」mobilityなのだが、新卒者と企業側双方に職の流動性に対する不安感や不満が強いので、新卒者は安定性が高いと思われる大企業を指向するというのが日本の新卒者就職事情だ。
一部で是正の動きはあるものの、大学3年から学生は就職活動にプライオリティを置くので、学業はおろそかになる(かって山登りに明け暮れた学生時代を送った私に学生の不勉強を詰る資格はないが)。だが採用する企業の方は必ずしも学生の大学における学業の習得度合いだけを重視している訳ではない。企業は大学のネームを見ることで、学生の高校時代の成績、つまり地頭の良し悪しを判断しているのだ。その裏には「地頭の良い学生を採用すれば社内教育で使えるようにできる」という社内教育思想(ないしは幻想)があると思われる。
このようにして採用され、社内教育された社員は社内固有文化に染まっていくので、mobilityは低下している。
就職難問題を格差論的にみると、新卒時の就職の成否というワンタイムの出来事が長い人生の経済的格差の原因になる可能性があるというのが、今の日本社会のリスクだろう。このことについて日本のリーダーがダボス会議で発言するのかどうかは知らないが。
だがここでもう一歩踏み込んで新卒者の就職難問題を考えてみよう。キーワードになるのは、エコノミスト誌が「現在の技術は能力のあるものには有利に働くが、先進国で能力の低い人の将来性は暗い」と述べている点だ。
現在の日本の卒業生は、日本人だけでなく、アジア諸国の学生を中心とする海外の学生とも競っている。国際的な業務展開を望む企業は、優秀な人材を内外から求めるからだ。英語や中国語という「技術」を持っているものが有利なのは当然だ(彼等は日本語も堪能だ)。
日本の海外留学生が低下する一方、中国人等の留学生数は飛躍的に増えている。これらは日本の学生の質が相対的に低下している一つの兆候だ。厳しい就職活動も学生の知識習得と人間力涵養の上でマイナスに作用している。
つまり日本の教育システムと就職システムや労働市場が、相対的に質の低い学生を生み出しそれが格差の一つの原因となっているというのが私の見解だ。
そしてエコノミスト誌の筆法を借りるならば、リーダー達がやるべきことは、結果としての格差を攻撃するよりも、格差の原因の解消に取り組むべきだということになる。