金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

風雪の山、私の「修証一如」論

2010年11月30日 | うんちく・小ネタ

「山登りで何が楽しいですか?」と聞かれて、大部分の人は頂上からの素晴らしい眺めと答えるだろう。私もまた頂上からの眺望を楽しみに山に登っている。先週末八ヶ岳連峰の横岳(2829m)に登りに行ったが、目的は頂上から新雪をまとった赤岳などの写真を撮ることだった。

ところが生憎八ヶ岳連峰は強風の上、粉雪が舞い視界は全くなかった。

森林限界を抜けて、強風の吹く急な新雪の斜面をラッセルしながら私は「修証一如」ということを考えていた。

「修証一如」とは道元禅師の正法眼蔵に出てくる言葉で、「修=修行」と「証=悟り」は一体であるという教えだ。日本思想史に燦然と輝く道元禅師の言葉を正しく理解しているかどうか自信はないが、私はこの言葉を次のように理解している。

「証」は山の頂上に立ち、眺望を楽しむことつまり登山の目的である。「修」は頂上に至る辛い登り、つまり手段だ。だがこう考えると「頂上に到達できないと失敗」「眺望が得られないと失敗」ということになる。確かに美しい景色を写真におさめることをビジネスとする商業写真家の場合はそうだろう。写真があって幾らなのだ。

だが趣味で山を登る我々は違う・・・と私は思った。たとえ頂上に至ることができなくても、雪を踏みしめ雪に遊ぶそのひと時もまた楽しみなのである。即ち修証一如なのである。

道元禅師は修証一如という言葉で、日々の座禅に精進することが総てであり、座禅を通じて何かを悟ろうとする考え方は間違っていると教えられた。

そんなことを考えながら風雪の中を歩いていたが、寒いものは寒いし、風に叩かれるとフラフラする。風雪の山は辛い・・・・。修証一如はいうは易く、行うは難いと思いながら私は横岳頂上の直下で雪道を引き返した。

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億を売り上げるレタスの川上村、日本の農業は弱くない

2010年11月30日 | 社会・経済

政府は今日(11月30日)、農業改革を検討する「食と農林漁業の再生推進本部」の初会合を開く。読売新聞は一面トップに「農業 衰退か改革か」という見出しを掲げて「農業開国」のキャンペーンを行っていた。

兼ねて述べているように私はTPP参加に賛成である。だが政治屋やマスコミの「農業 衰退か改革か」といった現実を直視しない二元論に非常に危ういものを感じている。

小規模な米作兼業農家のように、コスト競争力のない農業を行っている農家もあれば、これから述べる川上村のように競争力のある農産物を作り、豊かな暮らしを行っている農家もあるのだ。

☆  ☆  ☆

先週末野辺山のペンションに泊まった時、同宿者が一人だけいた。その人は山梨県から来た「富山の薬売り」さんで、そのペンションに2週間ほど泊まりながら、川上村などに常備薬のセールスを行っている。なぜこの時期に川上村を回るのか?というと、今がレタス作りが終わり後片付けの時期なので、農家の方が家にいるからだと薬のセールスマンは言う。

「年が明けるとレタス農家の方は海外旅行です」「今年は猛暑だったので、他の地域のレタスは不作(レタスは気温が高過ぎると『玉』にならないそうだ)で、1億円以上の売上を上げた農家もあった」と彼は続けた。

☆  ☆  ☆

川上村のレタスについてもう少し説明しよう。日本は世界5位の農業大国」(講談社)によると「村長が陣頭指揮を執り、村を挙げて輸出に取り組んできた川上村の農家一戸当りの野菜販売額は平均で2500万円を突破した」

川上村は2006年から台湾にレタスの輸出を始めた。台湾はレタスを食べる習慣がなかったが、レタスの活用法をPRした結果、台湾でもレタス文化が根づきつつある。

川上村は台湾の農家にレタスの栽培方法を教え、現地での生産にも進出。夏は日本からの輸入レタス、冬は現地産のレタスが台湾の店頭に並んでいるのだ。

☆  ☆  ☆

農業は自然の恵みを生かす産業である。その土地とその季節に適した作物というものがある。総ての農産物を自国で賄うことができる国はほとんどないはずだ。それぞれの国は自国の優位な作物に力を入れ、コスト競争力の劣る作物を輸入するというのがグローバル時代の農業のあり方なのだ。日本の農業を考える場合もこの視点を忘れてはならない。

日本の農業が押しなべて弱いというのは、自己保身を図る農林水産省の宣伝に過ぎないのである。

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