連銀など中央銀行はThe nation's lender of last resortと呼ばれてきた。Last resortのresortには「行楽地」という意味の他「頼みの綱」という意味がある。勿論ここでは後者の意味で使われ、「その国の最後の頼みの綱の貸し手」という意味だ。信用不安から銀行間の資金貸借が困難になった場合、中央銀行は市中銀行に貸付を行う。このような機能をLender of last resortというのだ。
ところが最近の米国連邦銀行は、市中銀行への貸付だけではなく、不動産担保証券を担保に証券会社に融資をしている。又担保に取った複雑な有価証券の運用も行っている。そしてついに巨大保険会社AIGの株を80%保有することで、保険会社にも投資してしてしまった。「これはかってない特殊なことだ」とカーネギー・メロン大学のMeltzer教授はニューヨーク・タイムズで述べている。
同紙は「連銀は最後の貸し手であると同時に最後の投資家になった」と述べる。そしてこのことにより連銀は複数のお互いに矛盾する目標を抱えてしまったと指摘する。中央銀行としての伝統的な役割は「インフレを抑制しながら、完全雇用を実現」することと「金融市場を安定させる」ことだ。それに加えて税金を投入して、流動性の低い有価証券や問題金融機関の価値を高めて、納税者の負担を最小にするという難問を背負い込んだ。
まさに何でも連銀の世界になってしまった。この「緊急時には何でもあり」というのが、米国の特徴であり強みであると私は考えている。歴史に例を取ると第二次大戦で活躍したニミッツの例がある。開戦当時ニミッツは海軍少将だったが、彼の司令官としての能力を高く評価していたルーズベルト大統領は、ニミッツを中将を飛ばして大将に昇進させ、太平洋艦隊司令長官(大将ポスト)に任命した。ニミッツは後に太平洋方面の陸海空三軍の総司令官になり、対日戦争で大きな成果をあげた。これに対し日本は戦争が始まっても「ハンモックナンバー」(陸海軍大学の卒業成績順位)にこだわり、航空戦の経験のない南雲中将が航空部隊の司令官になるなどという官僚的な人事を行っていた。また陸海軍を統合的に指揮する機能がなかったことが、戦争をより悲惨なものにしたことは周知のところである。
話がわき道にそれたが今回の金融危機に「米国流の何でもあり」が出た訳だ。しかし何でもありを何時までも続けるとそれは大きな弊害をもたらす。例えば連銀が金融機関救済のため資金調達をするべくドル札を刷りまくるとインフレを起こす。
連銀が本来の連銀に戻るまで金融危機の終焉はないのだろう。