フランス旅行6日目:5月28日(月)
《6日目の日程表》
↑ 地図:トゥール→フージェール→モンサンミッシェル
トゥールのホテルを朝8時ごろ出発。
約218Km離れたフージェールへ向かう。
途中、1時間ほど走ったサービスエリアの待ち合わせ場所で、
走行距離規制により専用バスの運転手が交代した。
その後、さらに2時間走った後、トイレ休憩のためガソリンスタンドへ立ち寄った。
↑ トイレ休憩のため立ち寄ったガソリンスタンドの売店
このガソリンスタンドの売店で数独の本を発見。
3段階のレベルに分かれていた3冊(2€/1冊)を購入した。
↑ 購入した数独の本
【フージェール】
11時過ぎ、要塞都市フージェールに到着。
↑ フージェール城
↑ 国境を守る城塞として強固な防衛設備
↑ フージェール城と旧市街
↑ 旧市街
↑ 旧市街にあった郵便ポスト:フランスの郵便ポストは黄色。
約1時間30分の要塞都市フージェール観光を終え、
次の目的地モンサンミッシェルへ。
(フージェール→モンサンミッシェル:約50Km)
【モンサンミッシェル】
13時過ぎ、モンサンミッシェル【世界遺産】に到着。
モンサンミッシェルの手前2Kmのところで、専用バスを降り、シャトルバスに乗り換える。
↑ シャトルバス
↑ シャトルバスの車窓から幻想的なモンサンミッシェルが見えてきた
モンサンミッシェル【世界遺産】は、
708年、ノルマンディ大司教が3度に及ぶ大天使ミカエルのお告げを受け、
「この島の頂上に礼拝堂を作るべし」に従ってつくられた修道院。
その礼拝堂が10世紀にはベネディクト教会の修道院となり、
11世紀から500年をかけて増改築。
14世紀には英国との百年戦争で城砦となって15世紀後半に現在の形になった。
1870年に島をつなぐ道路ができて、満潮時にも往来できるに至った。
シャトルバスを降りて、モンサンミッシェルの全貌と対面。
↑ モンサンミッシェルの全貌
フランスで最も美しい修道院とされ、毎年250万人の巡礼者や観光客が訪れる。
添乗員さんによれば、
モンサンミッシェルは、世界遺産の中でペルーのマチュ・ピチュに次いで2番目に人気だとか。
大通り門をくぐって最初に見えるお店が、
オムレツ発祥の店として有名なラ・メール・プーラール。
オムレツは、疲れ果てた巡礼者たちの体を癒すためにプーラール夫人が考案。
↑ オムレツの発祥の店「ラ・メール・プーラール」
続いて、王の門をくぐる。
↑ 王の門
ここから先は、賑やかな参道グランド・リュが続く。
↑ グランド・リュ
グランド・リュ:巡礼者たちに宿や食事、巡礼の証を提供した店が軒を連ねたのがはじまり。
13時30分、この一角のレストランで、お目当てのオムレツ・メニューの昼食をとる。
↑ 昼食を取ったレストラン
昼食後の14時40分ごろ、修道院の見学開始。
↑ 哨兵の門
哨兵の門:グランド・リュから階段を50段上った先にある。
修道院の入口。
↑ 振り返ると城壁の向こうに干上がったサン・マロ湾が見える
↑ 石の壁に囲まれた参道を上へ
↑ さらに上部へ
↑ モンサンミッシェル修道院
↑ モンサンミッシェル修道院
モンサンミッシェル修道院は、1300年もの間、歴史に応じて役割と姿を変えてきた。
10~11世紀のロマネスク様式、12~13世紀のゴシック様式が混在する。
シンボルの中央の鐘楼と尖塔は1897年に完成。
↑ 鐘楼
↑ 尖塔を飾る聖ミカエルの像
↑ 修道院の出口付近にあった聖ミカエルの像のレプリカ
↑ 西のテラス
教会正面にあるこのテラスは、海抜80mの高さにあり絶景が楽しめる。
↑ 西のテラスからの眺め
↑ サン・マロ湾の遠くに島が浮かぶ
モンサンミッシェルもあのような島の上に造られたとか。
修道院付属の教会の内部に入る。
↑ 礼拝堂
↑ 礼拝堂
↑ 列柱廊
列柱廊:四角と円、光と影のシンメトリーが美しい中庭。
修道士の憩いと瞑想の場。
↑ 修道僧の納骨堂
大きな車輪のある通路。
車輪は牢獄時代の19世紀に設置。
車輪の中に6人の囚人が入り、荷車を人力で動かしていた。
↑ 司祭館
最後は下層階級の人々を迎えた司祭館があり、
現在は土産物店になっている。
↑ 年月を物語る外壁
↑ 下の方へ下りて修道院を仰ぎ見る
↑ 修道院への道
この道のため、修道院付近の潮の流れが以前と変わったとかで、
もとの状態に戻すため、現在、橋を架ける工事が横で行われていた。
約2時間のモンサンミッシェル観光を終え、
17時過ぎ、シャトルバスで、ホテルへ。
↑ シャトルバスでホテルへ
↑ モンサンミッシェルのホテル
ホテル到着は17時30分ごろだった。
今回のツアーのテーマーは、モンサンミッシェルの見えるホテルに泊まることだった。
↑ ホテルの部屋のベランダから、
2Km離れたモンサンミッシェルが本当に見えた!
目的達成!
夕食はホテル・レストランでお魚メニュー。
夕食後、ホテルから見えるモンサンミッシェルの夜景を楽しんだ。
↑ 夕方(21時50分ごろ)
↑ 22時20分ごろ(コンパクト・デジカメの最大ズームで撮影)
↑ 23時ごろ(コンパクト・デジカメの最大ズームで撮影)
(つづく)
《6日目の日程表》
↑ 地図:トゥール→フージェール→モンサンミッシェル
トゥールのホテルを朝8時ごろ出発。
約218Km離れたフージェールへ向かう。
途中、1時間ほど走ったサービスエリアの待ち合わせ場所で、
走行距離規制により専用バスの運転手が交代した。
その後、さらに2時間走った後、トイレ休憩のためガソリンスタンドへ立ち寄った。
↑ トイレ休憩のため立ち寄ったガソリンスタンドの売店
このガソリンスタンドの売店で数独の本を発見。
3段階のレベルに分かれていた3冊(2€/1冊)を購入した。
↑ 購入した数独の本
【フージェール】
11時過ぎ、要塞都市フージェールに到着。
↑ フージェール城
↑ 国境を守る城塞として強固な防衛設備
↑ フージェール城と旧市街
↑ 旧市街
↑ 旧市街にあった郵便ポスト:フランスの郵便ポストは黄色。
約1時間30分の要塞都市フージェール観光を終え、
次の目的地モンサンミッシェルへ。
(フージェール→モンサンミッシェル:約50Km)
【モンサンミッシェル】
13時過ぎ、モンサンミッシェル【世界遺産】に到着。
モンサンミッシェルの手前2Kmのところで、専用バスを降り、シャトルバスに乗り換える。
↑ シャトルバス
↑ シャトルバスの車窓から幻想的なモンサンミッシェルが見えてきた
モンサンミッシェル【世界遺産】は、
708年、ノルマンディ大司教が3度に及ぶ大天使ミカエルのお告げを受け、
「この島の頂上に礼拝堂を作るべし」に従ってつくられた修道院。
その礼拝堂が10世紀にはベネディクト教会の修道院となり、
11世紀から500年をかけて増改築。
14世紀には英国との百年戦争で城砦となって15世紀後半に現在の形になった。
1870年に島をつなぐ道路ができて、満潮時にも往来できるに至った。
シャトルバスを降りて、モンサンミッシェルの全貌と対面。
↑ モンサンミッシェルの全貌
フランスで最も美しい修道院とされ、毎年250万人の巡礼者や観光客が訪れる。
添乗員さんによれば、
モンサンミッシェルは、世界遺産の中でペルーのマチュ・ピチュに次いで2番目に人気だとか。
大通り門をくぐって最初に見えるお店が、
オムレツ発祥の店として有名なラ・メール・プーラール。
オムレツは、疲れ果てた巡礼者たちの体を癒すためにプーラール夫人が考案。
↑ オムレツの発祥の店「ラ・メール・プーラール」
続いて、王の門をくぐる。
↑ 王の門
ここから先は、賑やかな参道グランド・リュが続く。
↑ グランド・リュ
グランド・リュ:巡礼者たちに宿や食事、巡礼の証を提供した店が軒を連ねたのがはじまり。
13時30分、この一角のレストランで、お目当てのオムレツ・メニューの昼食をとる。
↑ 昼食を取ったレストラン
昼食後の14時40分ごろ、修道院の見学開始。
↑ 哨兵の門
哨兵の門:グランド・リュから階段を50段上った先にある。
修道院の入口。
↑ 振り返ると城壁の向こうに干上がったサン・マロ湾が見える
↑ 石の壁に囲まれた参道を上へ
↑ さらに上部へ
↑ モンサンミッシェル修道院
↑ モンサンミッシェル修道院
モンサンミッシェル修道院は、1300年もの間、歴史に応じて役割と姿を変えてきた。
10~11世紀のロマネスク様式、12~13世紀のゴシック様式が混在する。
シンボルの中央の鐘楼と尖塔は1897年に完成。
↑ 鐘楼
↑ 尖塔を飾る聖ミカエルの像
↑ 修道院の出口付近にあった聖ミカエルの像のレプリカ
↑ 西のテラス
教会正面にあるこのテラスは、海抜80mの高さにあり絶景が楽しめる。
↑ 西のテラスからの眺め
↑ サン・マロ湾の遠くに島が浮かぶ
モンサンミッシェルもあのような島の上に造られたとか。
修道院付属の教会の内部に入る。
↑ 礼拝堂
↑ 礼拝堂
↑ 列柱廊
列柱廊:四角と円、光と影のシンメトリーが美しい中庭。
修道士の憩いと瞑想の場。
↑ 修道僧の納骨堂
大きな車輪のある通路。
車輪は牢獄時代の19世紀に設置。
車輪の中に6人の囚人が入り、荷車を人力で動かしていた。
↑ 司祭館
最後は下層階級の人々を迎えた司祭館があり、
現在は土産物店になっている。
↑ 年月を物語る外壁
↑ 下の方へ下りて修道院を仰ぎ見る
↑ 修道院への道
この道のため、修道院付近の潮の流れが以前と変わったとかで、
もとの状態に戻すため、現在、橋を架ける工事が横で行われていた。
約2時間のモンサンミッシェル観光を終え、
17時過ぎ、シャトルバスで、ホテルへ。
↑ シャトルバスでホテルへ
↑ モンサンミッシェルのホテル
ホテル到着は17時30分ごろだった。
今回のツアーのテーマーは、モンサンミッシェルの見えるホテルに泊まることだった。
↑ ホテルの部屋のベランダから、
2Km離れたモンサンミッシェルが本当に見えた!
目的達成!
夕食はホテル・レストランでお魚メニュー。
夕食後、ホテルから見えるモンサンミッシェルの夜景を楽しんだ。
↑ 夕方(21時50分ごろ)
↑ 22時20分ごろ(コンパクト・デジカメの最大ズームで撮影)
↑ 23時ごろ(コンパクト・デジカメの最大ズームで撮影)
(つづく)
去る6月23日(土)
北日本新聞旅行会主催
大展望の山・浅間「黒斑山(くろふやま)」登頂
に女房と参加した。
数日前までは台風5号の動向が心配されていたが、その心配も全くなくなり晴れの予報となった。
朝6時高岡駅南口に集合し、ツアー・バスに乗った。
高岡からの乗車は、我々を含めて6人だった。
既に砺波から乗車した2名が乗っていた。
↑ 新富バスセンターでの参加者を乗せる。
新富観光バスセンターでの乗車は、最も多く14名だった。
この後、最終の黒部インター駐車場からの1名を乗せて、総勢30名だった。
男性添乗員さんとバスの運転手さんのあいさつがあり、
バスは8時ごろ黒部ICから自動車道で、小諸ICに向かった。
途中、妙高あたりで雲行が怪しくなり小雨のぱらつきもあった。
しかし、小布施を越えるころから、太陽も見えはじめ、だんだん好天が期待されるようになった。
途中、トイレ休憩を2回はさんで、バスは予定通り小諸ICを通過した。
バスは、小諸ICから山道に入り、チェリーパークラインを上って、
11時ごろ、車坂峠の高峰高原ホテルに無事到着した。
↑ 車坂峠・高峰高原ホテル
11時30分ごろ、登山の準備を整え、2班(15名づつ)に分かれて、
2名のガイドさんの案内で黒斑山登頂へ出発した。
↑ ガイドさんよる浅間連峰周辺案内図のコース説明を聞く
↑ 浅間連峰「登山・ハイキングマップ」より抜粋
車坂峠(1970m)から車坂山を越えてトーミの頭(2300m)へ向かう表コースを登った。
ガイドさんから、火山岩や高山植物の話を聞きながらゆっくりとしたペースで登って行った。
12:20ごろ、見晴のよい場所で昼食休憩となった。
昼食は高峰高原ホテルで各人に弁当(おにぎり2個と簡単なおかず付き)が配布されたものを頂いた。
↑ 昼食の弁当を食べたとこらからの眺め。
眼下には、出発地の高峰高原ホテルが見えた。
昼食後、いよいよ本格的な登山になってきた。
ときどきガイドさんの高山植物の解説を交えながら・・・。
13:25ごろ、火山噴火が起こった場合の避難小屋(厚さ25mmの鉄板で出来たシェルター)に出くわした。
↑ 避難小屋(厚さ25mmの鉄板で出来たシェルター)
そして、それから少し登ると、13:30ごろ、眼前の展望がひらけ、雄大な山が現れた。
↑ 前掛山の雄姿
そこから、さらに急なガレ場をのぼり、
13:50ごろ、岩ばかりの小高いトーミの頭に到着した。
↑ トーミの頭(2300m)
小休憩し、浅間山連邦の外輪山・前掛山の眺望を楽しんだ。
↑ 山裾の方から前掛山山頂への登山道が見える
↑ 前掛山の左側には古い噴火口の跡が・・・
続いて、黒斑山の山頂を目指す。
14:10ごろ、黒斑山(2404m)の頂上に到着。
↑ 黒斑山(2404m)の頂上
ここでも、浅間山外輪山の眺望を満喫した。
↑ 雲が架かりはじめた前掛山
帰りは、表コースとは別の中コースを下山した。
↑ 14:50ごろ、ガスが崖下から湧いてきた・・・
↑ 16:00ごろ、無事高峰高原ホテル(看板)に到着。
↑ 高峰高原ホテル
約1時間の休憩となった。
全員で高峰高原ホテル内の温泉に入って登山の疲れを癒した。
17時ごろ、再びバスで帰宅の途に着いた。
高岡駅南口に無事戻ったのは、22時を少し回っていた。
北日本新聞旅行会主催
大展望の山・浅間「黒斑山(くろふやま)」登頂
に女房と参加した。
数日前までは台風5号の動向が心配されていたが、その心配も全くなくなり晴れの予報となった。
朝6時高岡駅南口に集合し、ツアー・バスに乗った。
高岡からの乗車は、我々を含めて6人だった。
既に砺波から乗車した2名が乗っていた。
↑ 新富バスセンターでの参加者を乗せる。
新富観光バスセンターでの乗車は、最も多く14名だった。
この後、最終の黒部インター駐車場からの1名を乗せて、総勢30名だった。
男性添乗員さんとバスの運転手さんのあいさつがあり、
バスは8時ごろ黒部ICから自動車道で、小諸ICに向かった。
途中、妙高あたりで雲行が怪しくなり小雨のぱらつきもあった。
しかし、小布施を越えるころから、太陽も見えはじめ、だんだん好天が期待されるようになった。
途中、トイレ休憩を2回はさんで、バスは予定通り小諸ICを通過した。
バスは、小諸ICから山道に入り、チェリーパークラインを上って、
11時ごろ、車坂峠の高峰高原ホテルに無事到着した。
↑ 車坂峠・高峰高原ホテル
11時30分ごろ、登山の準備を整え、2班(15名づつ)に分かれて、
2名のガイドさんの案内で黒斑山登頂へ出発した。
↑ ガイドさんよる浅間連峰周辺案内図のコース説明を聞く
↑ 浅間連峰「登山・ハイキングマップ」より抜粋
車坂峠(1970m)から車坂山を越えてトーミの頭(2300m)へ向かう表コースを登った。
ガイドさんから、火山岩や高山植物の話を聞きながらゆっくりとしたペースで登って行った。
12:20ごろ、見晴のよい場所で昼食休憩となった。
昼食は高峰高原ホテルで各人に弁当(おにぎり2個と簡単なおかず付き)が配布されたものを頂いた。
↑ 昼食の弁当を食べたとこらからの眺め。
眼下には、出発地の高峰高原ホテルが見えた。
昼食後、いよいよ本格的な登山になってきた。
ときどきガイドさんの高山植物の解説を交えながら・・・。
13:25ごろ、火山噴火が起こった場合の避難小屋(厚さ25mmの鉄板で出来たシェルター)に出くわした。
↑ 避難小屋(厚さ25mmの鉄板で出来たシェルター)
そして、それから少し登ると、13:30ごろ、眼前の展望がひらけ、雄大な山が現れた。
↑ 前掛山の雄姿
そこから、さらに急なガレ場をのぼり、
13:50ごろ、岩ばかりの小高いトーミの頭に到着した。
↑ トーミの頭(2300m)
小休憩し、浅間山連邦の外輪山・前掛山の眺望を楽しんだ。
↑ 山裾の方から前掛山山頂への登山道が見える
↑ 前掛山の左側には古い噴火口の跡が・・・
続いて、黒斑山の山頂を目指す。
14:10ごろ、黒斑山(2404m)の頂上に到着。
↑ 黒斑山(2404m)の頂上
ここでも、浅間山外輪山の眺望を満喫した。
↑ 雲が架かりはじめた前掛山
帰りは、表コースとは別の中コースを下山した。
↑ 14:50ごろ、ガスが崖下から湧いてきた・・・
↑ 16:00ごろ、無事高峰高原ホテル(看板)に到着。
↑ 高峰高原ホテル
約1時間の休憩となった。
全員で高峰高原ホテル内の温泉に入って登山の疲れを癒した。
17時ごろ、再びバスで帰宅の途に着いた。
高岡駅南口に無事戻ったのは、22時を少し回っていた。
フランス旅行5日目:5月27日(日)
《5日目の日程表》
↑ 地図:リヨン→ブールジュ→シャンボール→アンボワーズ→トゥール
↑ リヨンのホテル
リヨンのホテルを早朝7時30分ごろ出発。
約382Km離れたブールジュへと北へ向かう。
午前中いっぱいはバス移動。
10時20分ごろ、2時間走って漸くトイレ休憩。
日本では見られないトイレ休憩だけの広大なサービスエリア。
↑ トイレ休憩のための広場
↑ トイレ・ハウス
↑ お手洗用井戸
【ブールジュ】
北西方向に走り、12時ごろ、目的地:ブールジュに到着。
まずはレストランに入り、昼食(お魚メニュー)。
↑ 昼食を取ったレストラン
昼食休憩の後、13時20分ごろからブールジュ大聖堂観光へ。
ブールジュ大聖堂【世界遺産】は、11世紀に造られ、12世紀末にゴシックに改装された大聖堂。
特に12世紀末~13世紀ごろに作られたステンドグラスが美しい。
↑ ブールジュ大聖堂
↑ 大聖堂の入口
↑ 大聖堂の内部
↑ ステンドグラス
↑ ステンドグラス
↑ ステンドグラス
↑ ステンドグラス
↑ ステンドグラス
↑ 大聖堂の内部:ゴシックの特徴
↑ ブールジュ大聖堂の全景
ブールジュ大聖堂観光の後、ブールジュから約206Kmの移動。
ロワール地方へ。
【ロワール地方】
フランス中西部に位置するロワール地方。
中央に流れる国内最長のロワール河に沿って数々の街が栄え、
流域には「フランスの庭」と称されるほど風光明媚な土地が広がる。
中世にはこの豊かな土地で狩猟を楽しむために王侯貴族たちが
こぞって優雅な城を築き、栄華を極めた。
河と城が織りなす美しい景観は、
現代でも多くの人の心を魅了し続けている。
16時ごろ、シャンボール城へ到着。
↑ シャンボール城が見えてきた
シャンボール城【世界遺産】は、フランソワ1世の命で造られた、
ロワール最大級の豪勢な城。
完成したのはルイ14世の時代にあたる1658年で、
開始から実に約139年後のことだった。
この城の建築家は、フランソワ1世が呼び寄せたレオナルド・ダ・ヴィンチの影響を
強く受けているとされ、設計の素案を書いたのもダ・ヴィンチだといわれている。
↑ 城内へ
↑ 珍しいラセン階段
最大のみどころは場内中央のフランス・ルネッサンス様式の二重らせん階段で、
その構造は目を見張るほどの複雑さ。
上る人と下りる人がすれ違うことのない構造になっているのが特徴。
↑ ラセン階段は3階建ての主塔中央に据えられている。
↑ 王様の接見の間
↑ ハイヒールを履いたルイ14世の肖像画
↑ テラスからの眺め
↑ テラスからの眺め
↑ シャンボール城の全景:添乗員さん一押しの絶景ポイントから
シンメトリーが美しいシャンボール城。
↑ 絵になりそうなシャンボール城の全景
↑ お土産店
ここで、いろいろなお土産の試飲や試食ができた。ワインの試飲もあったが自重した。
↑ 看板の下の方に日本語が・・・。日本人観光客の多さの証。
シャンボール城での約1時間の観光を終え、
続いて17時ごろアンボワーズ城の見える観光スポットに到着。
↑ 大きなポプラの木の対岸にアンボワーズ城が見えてきた。
↑ ロワール河の対岸に日光を燦々と浴びてアンボワーズ城の全景が絵のようだ
↑ アンボワーズ城
アンボワーズ城【世界遺産】は、古代ローマ時代の砦をもとに、
15世紀の末にシャルル8世がイタリア・ルネッサンスの城を完成させた。
その後を引き継いだフランソワ1世はフランス・ルネッサンスを高めようと、
1516年、城に「モナ・リザ」を抱えたままのレオナルド・ダ・ヴィンチを招聘したという。
彼は様々な設備を設計して国王のためにアンボワーズで晩年を過ごし、
1519年にこの地で没した。
↑ ポプラの大木の根元で横になって対岸のアンボワーズ城を眺めている
レオナルド・ダ・ビンチの銅像
ここで、この日の観光を予定通り終了。
宿泊地トゥールへ。
【トゥール】
トゥールのホテル到着は19時30分ごろだった。
↑ トゥールのホテル
夕食は街のレストランで。
↑ 20時20分、集合。街のレストランへ。夕食はポーク・メニュー。
↑ 夕食後、レストランの付近を散策。
↑ 時計塔の針は、午後10時を指していた。
なかなか暮れないフランスの夕闇が漸く迫っていた。
(つづく)
《5日目の日程表》
↑ 地図:リヨン→ブールジュ→シャンボール→アンボワーズ→トゥール
↑ リヨンのホテル
リヨンのホテルを早朝7時30分ごろ出発。
約382Km離れたブールジュへと北へ向かう。
午前中いっぱいはバス移動。
10時20分ごろ、2時間走って漸くトイレ休憩。
日本では見られないトイレ休憩だけの広大なサービスエリア。
↑ トイレ休憩のための広場
↑ トイレ・ハウス
↑ お手洗用井戸
【ブールジュ】
北西方向に走り、12時ごろ、目的地:ブールジュに到着。
まずはレストランに入り、昼食(お魚メニュー)。
↑ 昼食を取ったレストラン
昼食休憩の後、13時20分ごろからブールジュ大聖堂観光へ。
ブールジュ大聖堂【世界遺産】は、11世紀に造られ、12世紀末にゴシックに改装された大聖堂。
特に12世紀末~13世紀ごろに作られたステンドグラスが美しい。
↑ ブールジュ大聖堂
↑ 大聖堂の入口
↑ 大聖堂の内部
↑ ステンドグラス
↑ ステンドグラス
↑ ステンドグラス
↑ ステンドグラス
↑ ステンドグラス
↑ 大聖堂の内部:ゴシックの特徴
↑ ブールジュ大聖堂の全景
ブールジュ大聖堂観光の後、ブールジュから約206Kmの移動。
ロワール地方へ。
【ロワール地方】
フランス中西部に位置するロワール地方。
中央に流れる国内最長のロワール河に沿って数々の街が栄え、
流域には「フランスの庭」と称されるほど風光明媚な土地が広がる。
中世にはこの豊かな土地で狩猟を楽しむために王侯貴族たちが
こぞって優雅な城を築き、栄華を極めた。
河と城が織りなす美しい景観は、
現代でも多くの人の心を魅了し続けている。
16時ごろ、シャンボール城へ到着。
↑ シャンボール城が見えてきた
シャンボール城【世界遺産】は、フランソワ1世の命で造られた、
ロワール最大級の豪勢な城。
完成したのはルイ14世の時代にあたる1658年で、
開始から実に約139年後のことだった。
この城の建築家は、フランソワ1世が呼び寄せたレオナルド・ダ・ヴィンチの影響を
強く受けているとされ、設計の素案を書いたのもダ・ヴィンチだといわれている。
↑ 城内へ
↑ 珍しいラセン階段
最大のみどころは場内中央のフランス・ルネッサンス様式の二重らせん階段で、
その構造は目を見張るほどの複雑さ。
上る人と下りる人がすれ違うことのない構造になっているのが特徴。
↑ ラセン階段は3階建ての主塔中央に据えられている。
↑ 王様の接見の間
↑ ハイヒールを履いたルイ14世の肖像画
↑ テラスからの眺め
↑ テラスからの眺め
↑ シャンボール城の全景:添乗員さん一押しの絶景ポイントから
シンメトリーが美しいシャンボール城。
↑ 絵になりそうなシャンボール城の全景
↑ お土産店
ここで、いろいろなお土産の試飲や試食ができた。ワインの試飲もあったが自重した。
↑ 看板の下の方に日本語が・・・。日本人観光客の多さの証。
シャンボール城での約1時間の観光を終え、
続いて17時ごろアンボワーズ城の見える観光スポットに到着。
↑ 大きなポプラの木の対岸にアンボワーズ城が見えてきた。
↑ ロワール河の対岸に日光を燦々と浴びてアンボワーズ城の全景が絵のようだ
↑ アンボワーズ城
アンボワーズ城【世界遺産】は、古代ローマ時代の砦をもとに、
15世紀の末にシャルル8世がイタリア・ルネッサンスの城を完成させた。
その後を引き継いだフランソワ1世はフランス・ルネッサンスを高めようと、
1516年、城に「モナ・リザ」を抱えたままのレオナルド・ダ・ヴィンチを招聘したという。
彼は様々な設備を設計して国王のためにアンボワーズで晩年を過ごし、
1519年にこの地で没した。
↑ ポプラの大木の根元で横になって対岸のアンボワーズ城を眺めている
レオナルド・ダ・ビンチの銅像
ここで、この日の観光を予定通り終了。
宿泊地トゥールへ。
【トゥール】
トゥールのホテル到着は19時30分ごろだった。
↑ トゥールのホテル
夕食は街のレストランで。
↑ 20時20分、集合。街のレストランへ。夕食はポーク・メニュー。
↑ 夕食後、レストランの付近を散策。
↑ 時計塔の針は、午後10時を指していた。
なかなか暮れないフランスの夕闇が漸く迫っていた。
(つづく)
昨日6月18日(月)、梅雨の晴れ間を利用して牛岳へトレッキングに行ってきた。
牛岳スキー場まで車で行き、標高987mの牛岳頂上へ登ってきた。
↑ 牛岳山頂
下山後、牛岳温泉に浸かり、トレッキングの疲れを癒した。
↑ 牛岳温泉の碑
牛岳スキー場まで車で行き、標高987mの牛岳頂上へ登ってきた。
↑ 牛岳山頂
下山後、牛岳温泉に浸かり、トレッキングの疲れを癒した。
↑ 牛岳温泉の碑
フランス旅行4日目:5月26日(土)
《4日目の日程表》
地図:アヴィニヨン→ポン・デュ・ガール→リヨン
【アヴィニヨン】
昨夜の宿泊はアヴィニヨンのホテルだったので、ゆっくりと9時ごろ、ホテルを専用バスで出発。
世界遺産・アヴィニヨンを観光。
アヴィニヨンは、かってローマ法王庁が置かれた由緒ある街。
中世に法王庁が置かれた旧市街地は、全体が城壁に囲まれている。
その旧市街地の北側、ローヌ川に架かるサン・ベネゼ橋は『アヴィニヨン橋』の歌で有名とか。
まずは12世紀に建てられたサン・ベネゼ橋を見物。
↑ サン・ベネゼ橋
↑ サン・ベネゼ橋:橋のない部分を観光船が通り抜けていった。
半分しかないこの橋は、17世紀のローヌ川の増水で半壊し、今の姿に・・・。
続いて、14世紀、約70年間使用されたローマ法王庁宮殿へ。
↑ 絶景ポイントからローマ法王庁宮殿の全景
↑ 法王庁宮殿
↑ 現地ガイドさんの説明
↑ 法王庁の内部
↑ 法王庁の屋上からの眺め
↑ 法王庁の屋上からの眺め
↑ マリア像
↑ 法王庁の屋上からサン・ベネゼ橋(中央部)を望む
↑ 宮殿から街の中心部へ
↑ 14~15世紀の時計塔がある街の中心部:時計台広場
そして、アヴィニヨン【世界遺産】観光後、このツアーでは南仏の最後の観光地:ポン・デュ・ガール【世界遺産】へ。
【ポン・デュ・ガール】
ガルドン川に架けられた、ローマ時代の巨大な水道橋【世界遺産】。
水源からニームの街まで飲料水を送っていた。
↑ バスを降りて水道橋へ
↑ 水道橋が見えてきた。
ローマ人の土木技術の高さに圧倒され、歴史のロマンに思いを馳せる!
感動の一瞬!!!
添乗員さんは、
日本の縄文式土器時代にローマ人はもうこんな素晴らしいものを造っていたこと
を何度も強調していた。
↑ 水道橋に平行して作られているの橋を渡って絶景ポイントへ
↑ 水道橋から見えるガルドン川
↑ 絶景ポイントから見た水道橋
水道橋が完全な姿で残っているのは全長275mのこの橋のみ。
高さは49m。
さらに橋を見る角度として最高といわれる展望台へ。
右岸の登り口から急な山道を登ると、
↑ 展望台から見た水道橋
夢中で水道橋を見学しているうちに14時となり、ここのレストランで遅めの昼食を取る。
プロヴァンス料理の昼食後、ローヌ・アルプ地方の中心都市:リヨン【世界遺産】へ。
ここから進路を北にとり自動車道を北上。
約232Kmの長いバス移動。
リヨンの街に到着したのは17時30分ごろ。
でもフランスの日は長く、これからでも十分に明るい陽射しの中で観光を楽しめた。
【リヨン】
リヨン【世界遺産】は、2000年以上の歴史を誇るローヌ・アルプ地方の中心都市。
ローマ帝国時代に植民地の首府として発展した旧市街には、今も当時の面影が漂う。
↑ ソーヌ川を右に見ながらリヨンの街が一望できるフルヴェールの丘へ
フルヴィエールの丘から
歴史の変遷が刻み込まれた旧市街地
およびソーヌ川とローヌ川にはさまれた新市街地を一望。
↑ フルヴィエールの丘からリヨンの街が一望できる
そして、このフルヴィエールの丘には、
ノートル・ダム・ドゥ・フルヴィエール寺院が立つ。
リヨンはこの丘を中心に栄えた。
↑ リヨンを見下ろす白亜の聖堂:フルヴィエール寺院。
南側の鐘楼には金色のマリア像がある。
↑ フルヴィエール寺院の入口から中へ
↑ フルヴィエール寺院の内部は修理中だった。
↑ 丘の上に立つフルヴィエール寺院:旧市街地街から(バスの車窓より)
旧市街地では、サン・ジャン大司教教会を見学。
↑ サン・ジャン大司教教会
↑ ロマネスク様式の特徴も見られる
↑ 入口より中へ
↑ 礼拝堂
ペテロ&パウロの生活を描いた12世紀のステンドグラスがある
↑ ステンドグラス
↑ 必見の14世紀造の天文時計とパイプオルガン
↑ マリア像
サン・ジャン大司教教会の見学を終え、ベルクール広場を通ってレストランへ。
↑ ベルクール広場のルイ14世像
19時、まだ明るさの残るレストランで夕食。
リヨン風ソーセージポークメニュー。
↑ 夕食を食べたレストラン
夕食後、ホテルへ。
↑ リヨンのホテル
ホテル到着は20時20分ごろだった。
(つづく)
《4日目の日程表》
地図:アヴィニヨン→ポン・デュ・ガール→リヨン
【アヴィニヨン】
昨夜の宿泊はアヴィニヨンのホテルだったので、ゆっくりと9時ごろ、ホテルを専用バスで出発。
世界遺産・アヴィニヨンを観光。
アヴィニヨンは、かってローマ法王庁が置かれた由緒ある街。
中世に法王庁が置かれた旧市街地は、全体が城壁に囲まれている。
その旧市街地の北側、ローヌ川に架かるサン・ベネゼ橋は『アヴィニヨン橋』の歌で有名とか。
まずは12世紀に建てられたサン・ベネゼ橋を見物。
↑ サン・ベネゼ橋
↑ サン・ベネゼ橋:橋のない部分を観光船が通り抜けていった。
半分しかないこの橋は、17世紀のローヌ川の増水で半壊し、今の姿に・・・。
続いて、14世紀、約70年間使用されたローマ法王庁宮殿へ。
↑ 絶景ポイントからローマ法王庁宮殿の全景
↑ 法王庁宮殿
↑ 現地ガイドさんの説明
↑ 法王庁の内部
↑ 法王庁の屋上からの眺め
↑ 法王庁の屋上からの眺め
↑ マリア像
↑ 法王庁の屋上からサン・ベネゼ橋(中央部)を望む
↑ 宮殿から街の中心部へ
↑ 14~15世紀の時計塔がある街の中心部:時計台広場
そして、アヴィニヨン【世界遺産】観光後、このツアーでは南仏の最後の観光地:ポン・デュ・ガール【世界遺産】へ。
【ポン・デュ・ガール】
ガルドン川に架けられた、ローマ時代の巨大な水道橋【世界遺産】。
水源からニームの街まで飲料水を送っていた。
↑ バスを降りて水道橋へ
↑ 水道橋が見えてきた。
ローマ人の土木技術の高さに圧倒され、歴史のロマンに思いを馳せる!
感動の一瞬!!!
添乗員さんは、
日本の縄文式土器時代にローマ人はもうこんな素晴らしいものを造っていたこと
を何度も強調していた。
↑ 水道橋に平行して作られているの橋を渡って絶景ポイントへ
↑ 水道橋から見えるガルドン川
↑ 絶景ポイントから見た水道橋
水道橋が完全な姿で残っているのは全長275mのこの橋のみ。
高さは49m。
さらに橋を見る角度として最高といわれる展望台へ。
右岸の登り口から急な山道を登ると、
↑ 展望台から見た水道橋
夢中で水道橋を見学しているうちに14時となり、ここのレストランで遅めの昼食を取る。
プロヴァンス料理の昼食後、ローヌ・アルプ地方の中心都市:リヨン【世界遺産】へ。
ここから進路を北にとり自動車道を北上。
約232Kmの長いバス移動。
リヨンの街に到着したのは17時30分ごろ。
でもフランスの日は長く、これからでも十分に明るい陽射しの中で観光を楽しめた。
【リヨン】
リヨン【世界遺産】は、2000年以上の歴史を誇るローヌ・アルプ地方の中心都市。
ローマ帝国時代に植民地の首府として発展した旧市街には、今も当時の面影が漂う。
↑ ソーヌ川を右に見ながらリヨンの街が一望できるフルヴェールの丘へ
フルヴィエールの丘から
歴史の変遷が刻み込まれた旧市街地
およびソーヌ川とローヌ川にはさまれた新市街地を一望。
↑ フルヴィエールの丘からリヨンの街が一望できる
そして、このフルヴィエールの丘には、
ノートル・ダム・ドゥ・フルヴィエール寺院が立つ。
リヨンはこの丘を中心に栄えた。
↑ リヨンを見下ろす白亜の聖堂:フルヴィエール寺院。
南側の鐘楼には金色のマリア像がある。
↑ フルヴィエール寺院の入口から中へ
↑ フルヴィエール寺院の内部は修理中だった。
↑ 丘の上に立つフルヴィエール寺院:旧市街地街から(バスの車窓より)
旧市街地では、サン・ジャン大司教教会を見学。
↑ サン・ジャン大司教教会
↑ ロマネスク様式の特徴も見られる
↑ 入口より中へ
↑ 礼拝堂
ペテロ&パウロの生活を描いた12世紀のステンドグラスがある
↑ ステンドグラス
↑ 必見の14世紀造の天文時計とパイプオルガン
↑ マリア像
サン・ジャン大司教教会の見学を終え、ベルクール広場を通ってレストランへ。
↑ ベルクール広場のルイ14世像
19時、まだ明るさの残るレストランで夕食。
リヨン風ソーセージポークメニュー。
↑ 夕食を食べたレストラン
夕食後、ホテルへ。
↑ リヨンのホテル
ホテル到着は20時20分ごろだった。
(つづく)