S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
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自費/半自費出版本から

2005年10月19日 | 書籍紹介
家には何冊かの自費出版、もしくは半自費出版本がある。
親戚の人間が出版したものを年始回りの時に置いていった本があるが、笑顔とありきたりの社交辞令で受け取っても大半の人がただ受け取るだけだと思う。実際数冊手渡されたその書籍を実際に読了したのは、多分親戚中でわたしだけだと思われる。
半自費出版本とは、一定の部数の本の出版に関して、自費出版を手がける出版社と共同出資で出版され、書店にも配本されるシステムらしい。たいがいは与えられるのはチャンスだけで、残るのは行き場のない本の山と、経費に対しての請求書という展開のようだ。
個人が本を出版したい、個人の書籍を購入して読みたい、この両者にはかなりの距離があり、販売される形での出版に至らせる本を作るのは、結局百万円単位の金を使う「道楽」というものらしい。
ウェブ上に「書きたい人」が山ほど存在する中で、書籍が商品として成立し、「読まれる本」となるのは、ほんの一握りだと思う。

そうした「個人の書籍」に類するもので、わたしにとって大事な書籍として本棚に並んでいる代表作はこちら。

 あの子の笑顔は永遠に
 笹井 裕子 著
 (ホームページ自費出版図書館より借出可能) 
 ウェブ上で閲覧できる書評
 *「あの子の笑顔は永遠に」書評/特定非営利法人(NPO)日本せきずい基金
 *「ある頸損者のベンチレータ事故死」 /"WORKING QUADS" HomePage 働く四肢まひ者たち(ワーキング・クォーズ)
 
 夢を持って体操に取り組んでいた少年が、ある日突然、事故に遭う。それは練習中の事故、体操クラブの指導ミス。そして頸椎損傷者としての人生が始るが、19歳でその生涯は終わる。原因は命をつなぎ止めるはずの医療機器の突然の故障。この突然の故障に、不幸な状況も重なっている。24時間介護にあたっていた母親が救急車を呼ばなければならないほどの大量の鼻血、そしてその後の耳鼻科受診時。母の留守中に徹夜明けで介護にあたっていた兄が、その故障の時に居合わせており、自分を責める弟の最期という展開。事故が発生したことに関しての裁判にも至る問題、命をつなぎ止めるはずの医療機器の突然の故障、家族による24時間介護の過酷さの問題等、個人の体験談を超える貴重な手記と認識している一冊。新聞紹介により、直接著者に電話を入れ、購入。多数の反響の中、丁寧な応対と内容のお話を直接お聞きすることもでき、著者の人柄にふれられたこと、丁寧なメッセージを書かれた手書きの紙がそえられていたこと等も含め、わたしにとっては貴重な一冊。

 詩集 ふうか
 脇坂 安郎 著
 赤ん坊が生まれた。その赤ん坊はダウン症だと父親は聞かされる、母親はまだ知らない。出生後すぐに集中治療が必要になり別の病院に搬送された我が子に、父親は母親が搾乳した母乳を届ける日々が始まる。そして母親への告知。
 個人の体験が美しい旋律のように記された一冊。心象風景が見えてくるような内容の高さだけでなく、装丁や行間、本の大きさ等、書籍ならではの価値は高いと思う。アマゾンにて、元価格より高いユーズド価格で出品されていることも注目に値する。入手は購入ではなく、著者から直接いただいたのだが、プレゼントとして使いたくて改めて購入させていただいた経緯がある。
以下、母親が赤ん坊がダウン症だと告知された日を綴った一編の一部を引用。
君を抱いてお乳を与える妻も
いつのまにかうつらうつら
その頬に涙の跡が幾すじも
陽にひからびている

ああ 今日は小春日和だ
(「小春日和の母子」より)
 
(所蔵用とは別に「貸出用」があるので、関心ある方は左メニューのメールフォームからご連絡下さい)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
何だか自分的にタイムリー; (あをまる)
2005-10-21 01:26:03
自費出版、先日ある出版社に原稿を送り、所謂その「半自費出版」を勧められた所です。

、、、しかしやはり「百万円単位の道楽」なのですね;(ああっ;その金額を道楽に使えるよーな身分では無いのに~;)

母は「若いうちにしか出来ない贅沢もあるから」と賛成してくれ(というより寧ろある程度の余裕がある年配の方向けの道楽という印象もありますが)弟は「高すぎて勿体無い」と反対;

私もただ本を作るのなら数万円で製作出来る「同人誌ルート」を知っているだけに頭抱えています。



でもここで紹介されている御本のように誰かの本棚に大切に並ぶ機会がもしあったら、、とか思ったり、、う~んう~ん;(悩)
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Unknown (S嬢)
2005-10-21 06:28:30
あをまるさん、あのね。

手厳しいことを言うようですが、それは「勧められている」のではなく、「営業されている」のではありませんか。

原稿を募る出版社にとっては、原稿持ち込み者は「お客」なんですよ。

そこを理解されていますか。

こちらに飛んで、リンク先をよく読んで、その上でわたしは決めていただきたい。

http://d.hatena.ne.jp/satomies/20051019



この記事で上げた本ですが。

一冊目は、新聞記事でこの本について取り上げなければ、「自宅の在庫の山」という分量はかなりあったと思います。

二冊目は、「自宅の在庫の山」抱えてらっしゃいました。

数十冊の在庫があるとしたら、これは「たった数十しか残らなかった」という結果だと思います、この手の本は。

つまり百部単位で自宅に山積みされることに耐えられるか。

その積み上がる在庫にかけた金額を、惜しいと思う気持ちを全く持たずにいられる精神力があるか。

わたしはここがポイントだと思います。

ちなみにタダで配っても、義理で渡される本を大切にする人はほとんどいない、捨てるに捨てられないものを渡されるという、相手にはとうてい伝えられない感覚を持つ人が本当に多いということも忘れないで欲しい。
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