S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

「危険」の可能性への対応

2005年12月14日 | つぶやき
 ここのところ、小学生の下校時を狙った凶悪犯罪が増えていて、学校からお便りが来ました。子ども自身に安全を考えさせる、親と子で作るドリル形式のもの。親と子どもで、通学路上で何かあったときに助けを求められる場所を記述する防犯マップを作れるようになっています。

 この中で、「知らない人に連れて行かれそうになったときの対応は『いかのおすし』と覚える」という説明がありました。「いかのおすし」とは、いかない、らない、おごえで助けを呼ぶ、ぐ逃げる、らせる、というもの。これは警視庁が考えた標語だそうです。(広報けいしちょう臨時号
この標語をもとに、歌も作られているようです。(防犯ソング「イカのおすし」試聴

 いや、もちろんこれを子どもが認識しておくことは、自分の身を守るという意識で大切だと思う。話しかけられて、巧妙に誘い出されるときには有効かもしれません。
でもその上で、わたし自身の経験である「危機の記憶」では、これ全部、無理でしたね。
 やはり防犯ブザーの携帯が有効なのだろうと思う、声は出ませんから。ただ、人のいない場所、防犯ブザーの音が他者に聞こえにくい場所で防犯ブザーを鳴らしたときに、大きな音に相手が動揺してとっさに子どもに大胆な行動を取られたら終わりだ、という要素もあると思う。難しいところです。
 
 以下、わたしが考える護身の一部です。全部は出しません、誰が見るかわからないウェブ上になんてそう簡単には出せません。
自分の安全を確保できる距離感を体で覚えさせる
自分と相手との間に、相手の腕の長さ分以上の距離を常に確保する。この長さの距離が相手との間に確保されていれば、体に手をかけられることがありません。つかまれたり押さえこまれたりされなくても、親しげに肩に手をおかれるといったことから生まれてしまう心の隙も防ぐことができます。相手が一歩踏み出してきたら、一歩下がってこの距離感を常に確保すること、このことは重要なことだと思います。
しかし、とっさのときにこの距離感を思い出そうとしても難しいと思います。だからこの感覚を体で覚えさせる。つまり「鬼ごっこ」です。親と、大人と、大人の体を持った人間と「鬼ごっこ」をすること。思考ではなく、ボディイメージでつかんでおく感覚だと思います。危機を感じた時点で、思考は止まりそのことで行動が不能になる。いざというときにここから脱するために助けとなるのは、言い聞かせられて理解している「思考」ではなく、体で覚える「行動」だと思う。

腕や体をつかまれたら、足踏みをする
逃げる、抵抗するといった、意味のある行動ではなく、「おさえられたら足踏み、できたらモモ上げ」。逃げようと思うから体が固まる。要するに、モモ上げをしようと思ってモモ上げをするんです、逃げようではなく。これを体で覚えておくこと。
ここで生まれる効果は、まず時間稼ぎです。相手が次の行動に出るまでの時間が稼げます。理由がはっきりしない行動は、相手を不可解な気持ちにさせ、相手に隙を生む可能性も生まれます。相手が自分の体の一部をおさえていて、その力に隙を感じたら、すぐに逃げる。逃げられる体の準備はしてあります、モモ上げしてますから。
相手にとっては、単なる足踏みやモモ上げは、抵抗という「攻撃」には見えにくいですから、足踏みを始めたからといって、即座に子どもに対しての攻撃が強くなるわけでもない。しかし足踏みを開始することで子どもの体はかたまらず、次の行動へのウォーミングアップが準備されるわけです。
また、この状態を第三者に目撃されたときに、この状態は明らかに「変」です。第三者の視点は止まりますし、注目されればそこで相手があきらめてくれる可能性もあります。相手は体の一部をつかむ以上のことはこの時点ではしていませんから、ここで手を放しやすいという要素もあると思います。「変」は「見られる」という原則の有効利用です。
 コンセプトは「体で覚えること」。一般的なマニュアルの理解だけでは、逆にシチュエーションに対しての恐怖だけを刷り込んでしまうことにもなりかねず、そのことが、逆にとっさの危機に「体が固まってしまう」危険を呼ぶものでもあるとの認識も必要なんではないかとわたしは思います。

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