S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

「障害者自立支援法案」と、選挙

2005年09月05日 | 「障害」に関わること
劇場型選挙だか、刺客だか、マドンナ対決だかなんだかと、報道は忙しい。
「解散」という言葉のもとに、あっという間に廃案になってしまったものに「障害者自立支援法案」がある。
この法案自体を調べ、勉強し、動向を見守っていた人たちにとって、突然の解散は口をあんぐりと開けたものになったことはまちがいない。

選挙カーが街を走り回り、駅前では誰かが声を張り上げる。
個人の一票というものがどれだけの価値があるのか、よくわからないことも多い。
でも、本当の価値とは、一票を投じるときに持つ思考の機会にあるのかもしれない。

廃案になった「障害者自立支援法案」。
これが新しい政府によって取り上げられるとき、どういった展開を見せていくのか。
どういった展開を見せるのであっても、この法案に直接関係がある自分は、何をどう考えていくのか。
そんなことを最近、考える。

政党への障害者政策アンケート 回答を、繰り返し、読む。
希望や理想はあっても、非現実的な建前論は結局は宙に浮く。
現実的な線でどういう展開になっていくか、方向性なども推測しつつ。

ただ、障害児の家族になりたての人には、このアンケートに出てくる「用語」自体がわかりにくいかもしれないなあ、と。
簡単に、わが家のライフサイクルに従って解説。

乳児期:
娘は生後3ヶ月に行われた「心室中核欠損症の根治手術」において、育成医療という制度を利用。
制度申請のために書かれた書類に、手術とそれに伴う入院治療費にかかる額は500万円と明記。
500万円の医療費に対し、通常の医療では自己負担額は3割の150万円で、この150万円が育成医療によりまかなわれたことに。
「障害者自立支援法案」では、この育成医療という制度がなくなり、「利用者に対して原則的に1割ないし3割の応益負担(定率負担)」になる。
これに従うと、150万円の1割ないし3割ということで、娘のケースでは15万円から45万円の負担が生じることになる。
参考:(4)自立支援医療導入について
ダウン症の場合、ダウン症という告知と共に手術が必要な先天性疾患の合併症の告知がされることが多く、その衝撃は大きい。
医療費に対しての公的制度が無かった時代には、先天性疾患の合併症の告知をせずに、疑いのまま放置して悪化していった例が多く、それは「知的障害児に対して高額な医療費を要求するのは酷だ」という思考が裏に存在していた要素がある。
そうした時代に全くの逆戻りをするとはいえないとは思うものの、起こりえるという可能性は捨てきれないと思う。
実際、産院によっては、生まれた新生児にダウン症の疑いを持ちつつ必要な検査をせず、その後の公的検診に任せるかのように退院させてしまう例もある。
尚、娘の合併症であった「心室中核欠損症」の根治手術のみという医療は、根治に手術が必要な疾患の中で安価な方とは言えないが、さらに高額の医療費を必要とする先天性疾患は多々あるのは現実。
また、育成医療という制度がなくても乳児、幼児、児童に関しての医療費助成を利用できるケースも出てくるが、この制度は自治体により格差が存在する。

成人後:
応益負担と応能負担。
応益負担とは、制度を利用する本人の利益に従い、必要な額を自己負担していくというもの。
応能負担とは、制度を利用する本人の支払能力に従い、必要な額を自己負担していくというもの。
公的福祉制度において、受益者負担の流れというものがあるが、障害者福祉に関して意味が大きいのは、「本人の負担額を計算するときに、本人の所得額のみで計算するか、本人の世帯の所得額で計算するか」という部分。
「本人の世帯の所得額で計算する」のみになった場合はきょうだい児に扶養義務を与えていくものになる可能性が高く、きょうだい児の経済的負担だけではなく、きょうだい児の育児環境やきょうだい児本人の人生設計に対しての感覚にも影響していく要素がある。
障害者本人に基づく計算というものは、精神的自由と独立という上で障害者運動が切り開いた「財産」であり、これが逆行することは、戦前の「障害者は家族の厄介者扱い」という思考を持つことにもつながりかねない要素がある。
この部分をどう考えるか、アンケートの回答は興味深い。
参考:(2)費用負担の範囲について