S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

障害者のきょうだい

2005年05月02日 | 「障害」に関わること
障害者の「きょうだい」という立場で、以前、インターネット上にネットワークを作られた方がいらっしゃった。
この方のサイトを初めて見たのは5年前。
この方の「妹」としてダウン症の「兄」と自分のきょうだいとしての立場を語る文章は、とても興味深いものだった。
この方の作られたネットワーク、別の団体のHPのコンテンツのひとつとしてリニューアルするときに、この文章はネット上から消えてしまった。
保存しておけばよかったと後悔しきり。

普通に人と知り合って、「きょうだい」の立場の方に出会うことがある。
以前、看護師の学校の講師をしていらっしゃる方の「論文」に必要な調査・取材を受けたことがあって。
そのお話をする中で、この方が実は「きょうだい」という立場でいらっしゃることがわかって。
そのことからこの方は、わたしから「逆インタビュー」をさんざんかまされることになったこともあった。
娘が保育園に通っているときに、同じクラスの母親の方にも「きょうだい」の立場の方がいらした。
この方のお話も、とても興味深いものだった。

ネット上で、きょうだいの立場の方とお話ししたこともある。
わたしのHPの「きょうだい」に関する文章に対しての「リンク依頼」が始まりのおつきあいだった。
その方が縁で、他の「きょうだい」の方ともお話ししたりした。

また、全然違うサイトで、相手の話を聞き、そしてまたそこでも聞くことになる。
「きょうだい」の立場にいるんだと。

個性はいろいろだと思う。
でも、わたしが出会った「きょうだい」の方たちは、総じて根本のところで我慢強い。
自分を殺して、黙って耐えようとする個性を感じるところがある。
「親」と「きょうだい」は、障害児・者の「家族」という上では立場を共にするが、「親」としての立場と「きょうだい」としての立場は、それぞれに違う。
そのそれぞれに違うことに対して、概して「親」は、一貫性に欠けるところがあると思う。
「きょうだい」児が社会から与えられるハンディを親は心配するけれど、実は最も精神的なハンディを与える可能性を持っているのが「親」なのだと思う。

障害者の“きょうだい”のつぶやきというブログを見つけ、一気に全文を読む。
「きょうだい」の立場の方から聞いた話との共通点を見出したりもしながら、全ての文章がとても興味深かった。
ネットの匿名性ということでの自由さが与えてくれる、まっすぐな「つぶやき」を閲覧できること、感謝したい気持ちになった。

*参考リンク
全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会
ダウン症児・者の兄弟姉妹ネットワーク
SIBGATE -障害児・者のきょうだいの情報とコミュニティスペース-

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障害者の“きょうだい”のつぶやき:「きょうだい」同士の温度差