Greetings From Japan

日々の暮らしをのんびり綴っていきます。

ベルリンの壁

2012-08-22 09:35:22 | 旅行(Travel)

ベルリンの壁。

冷戦の真っただ中にあった1961年8月13日に、住民の流出を防ぐために東ドイツ政府

によって建設されました。

1989年11月10日に破壊され、1990年10月3日に東西ドイツが統一されるまで

、この壁がドイツ分断や、冷戦の象徴となっていました。

壁の高さは3mくらいでそれほど高いものではありませんでした。

しかし、壁は西ベルリンに面した壁と東ベルリン側にもう1枚同様の壁あり、その間は

数十メートルの無人地帯となっていました。無人地帯には番犬が放され、一時期、対人

地雷も設けられていました。東から西に逃れようとして殺された人々は136人いたそうです。

その壁の一部が記念碑的に残されている所が「イーストサイドギャラリー」です。

1990年にこのイーストサイドギャラリーで、118人の画家たちが壁に作品を描きました。

「ホーネッカーとブレジネフの熱いキス」を描いた風刺画。

ホーネッカーは当時の東ドイツの指導者、ブレジネフはソ連の指導者。

まじかで見ると、もっと気持悪かったです。「もう誰にもこの二人を止めることが

できない・・・。」というメッセージがあるとか。

あれ?日本人の画家が描いたのかな?と思いましたが、日本が好きなドイツ人の画家

の作品だそうです。

平和の象徴のハトが重い鎖をひっぱっています。

西側へ逃げようとしているとき検問所の遮断機が「ガシャン」と降りて、車の上部も

吹っ飛んだのでしょうか???

中央の女性の目から黒い涙・・・・。

珍しい形の車が止まっていてみんなが集まってきました。

後ろの壁には落書きがいっぱい。

落書き禁止の表示がありましたが、全く無視されています。

シュプレー川という川が道に沿って流れています。この川の向こうが旧西ドイツ。

川があるのでこの部分は西ドイツ側に壁がありません。しかし、川の底に鉄条網や

地雷があったようです。

シュプレー川にかかるオーバーバウム橋。この橋は冷戦時代、国境検問所が設置

されていました。2つの塔が立ち、上段をU-Bahn、下段を歩道が通る美しい橋

でした。こんな橋は、初めて見ました。

 

23年前のベルリンの壁が崩壊したとき、大勢の市民が壁に上って壁を打ち壊して

いた映像がまざまざと蘇ってきました。歴史の大きな転換点でした。

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (keko)
2012-08-23 07:37:49
のんびり暮らしている日本人には分からない厚い壁があったのでしょうね。一度、私も行ってみたいです。
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Kekoさんへ (Sako)
2012-08-23 20:56:15
日本もドイツのように分断されていたらと思うとぞっとしますね。ソ連が北海道をねらっていたようですが、そうならなくてよかったです。
返信する

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