30代半ばの美女、悠子嬢には苦手なものがある。
「悠子さん、さっき山村さんが探していたよ」
「えっ!」
私がそう言うと、彼女は端正な顔をサッと曇らせた。山村さんは、もうじき50代に突入しようという男性で、決して悪い人ではないのだが、必要以上に顔を近づけて話をするという悪癖を持っている。相手が女性だろうと男性だろうと、美しくても十人並みでも、わけへだてなく、30cmほどの至近距離から話しかけてくる。同僚だけでなく、生徒からも至極不評だ。
「何の用でしょうね……」
彼の大きな顔と、押しの強い話し方を思い出したのか、悠子嬢は低い声になった。
すると、噂をすれば影ということわざ通り、山村氏が大きな足音を立ててやってきた。
「ああ悠子さん、いたいた。去年の学校説明会の資料を持ってるって聞いたんだけど、今すぐくんねーかなぁ?」
キスするのかと思う距離まで、彼の顔が悠子嬢に迫ってきた。メタボの腹も、セットで押し寄せる。
「今すぐですか? 次、授業なんですけれど……」
悠子嬢は決して彼の目を見ようとせず、さりげなく後退して答えた。これで山村氏との距離は1mに開いた。が、次の瞬間、山村さんが一歩前に出て間合いを詰めたため、また恋人同士の距離に戻ってしまった。
今、ここで山村さんを押したら、ブチューとなっちゃうだろうな……。
私は、氏を後ろから突き飛ばしたい衝動に駆られたが、グッとこらえた。
「じゃあ、10時まで。10時までにください! よろしく!!」
山村さんは再びサンダルの音をとどろかせて立ち去った。悠子嬢は憮然とした表情を浮かべ、返事もしない。ただでさえ生理的に受け付けないタイプなのに、とても人にものを頼んでいるとは思えない態度に憤ったのだろう。
そう、悠子嬢は、デリカシーのかけらもないこのオジ様が大嫌いなのだ。
しかし、はたから見ていると、悠子嬢のリアクションは楽しい。
嫌われていることに気づかない山村氏が、打ち合わせのため、悠子嬢の椅子を借りていたことがあった。席に戻ってきて、山村氏の姿を認めたときの彼女は気絶しそうになっていた。よく悲鳴を上げずにすんだと思う。彼が去ったあと、必死で座布団を手でパタパタと叩いていた。
氏が資料を配布して回っていたときもあった。悠子嬢がそれを手に取りじっくり読んでいたので、ついいらぬことを教えてしまった。
「山村さんたら、指をなめて配っていたわよ」
悠子嬢は目を見開いて息を呑み、あわてて資料を放り出した。
「笹木さ~ん、これあげるよ~」
珍しく、山村さんが都電もなかをくれたことがあり、私は素直に手を出した。
「わぁ、かわいい。ごちそうさまです」
「だろ、だろ? これ、いいよな」
すっかり得意になっている山村氏にお礼を言い、早速いただいた。美味しいものを食べて幸せな気分に浸っていたら、浮かない顔をしている悠子嬢が目に入った。
「どうしたの? 何か元気ないね」
「あの……さっき、山村さんがこれを……」
見ると、彼女の机の上にも都電もなかがあるではないか!
「アハハ、せっかくだから、食べればいいじゃない」
「いえ、食べられませんっっ!!」
悠子さんは、大きな瞳をうるうるさせて、泣きそうな顔で訴えた。
「捨てるのも悪いし、どうしようかと悩んでいました」
「もなかに罪はないよ。別に、山村さんの味がするわけじゃないし」
私の説得にもかかわらず、悠子さんはますますイヤな顔をして、結局食べなかった。
なんて不憫な都電もなか……。
悠子さんはこの4月に異動する予定だ。私は歓送迎会の幹事なので、悠子さんに花を手渡すプレゼンターを誰にするか、決めなければならない。異動者が男性ならば女性に頼み、女性ならば男性に頼むというように、異性を選ぶのが普通だ。
「ねえ悠子さん、誰からお花をもらいたい?」
「そうですね、こちらから指名するものでもないし、特には……」
「あっ!!」
うってつけの人が浮かんできた。思わずニヤリとすると、意図するところが悠子嬢にも伝わったようだ。
「笹木さん、まさか……」
「そう、そのまさか」
「そしたら、私、帰りますからね!!」
私が食べたもなかは、山村さんの味がしなかったけどな……。
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「悠子さん、さっき山村さんが探していたよ」
「えっ!」
私がそう言うと、彼女は端正な顔をサッと曇らせた。山村さんは、もうじき50代に突入しようという男性で、決して悪い人ではないのだが、必要以上に顔を近づけて話をするという悪癖を持っている。相手が女性だろうと男性だろうと、美しくても十人並みでも、わけへだてなく、30cmほどの至近距離から話しかけてくる。同僚だけでなく、生徒からも至極不評だ。
「何の用でしょうね……」
彼の大きな顔と、押しの強い話し方を思い出したのか、悠子嬢は低い声になった。
すると、噂をすれば影ということわざ通り、山村氏が大きな足音を立ててやってきた。
「ああ悠子さん、いたいた。去年の学校説明会の資料を持ってるって聞いたんだけど、今すぐくんねーかなぁ?」
キスするのかと思う距離まで、彼の顔が悠子嬢に迫ってきた。メタボの腹も、セットで押し寄せる。
「今すぐですか? 次、授業なんですけれど……」
悠子嬢は決して彼の目を見ようとせず、さりげなく後退して答えた。これで山村氏との距離は1mに開いた。が、次の瞬間、山村さんが一歩前に出て間合いを詰めたため、また恋人同士の距離に戻ってしまった。
今、ここで山村さんを押したら、ブチューとなっちゃうだろうな……。
私は、氏を後ろから突き飛ばしたい衝動に駆られたが、グッとこらえた。
「じゃあ、10時まで。10時までにください! よろしく!!」
山村さんは再びサンダルの音をとどろかせて立ち去った。悠子嬢は憮然とした表情を浮かべ、返事もしない。ただでさえ生理的に受け付けないタイプなのに、とても人にものを頼んでいるとは思えない態度に憤ったのだろう。
そう、悠子嬢は、デリカシーのかけらもないこのオジ様が大嫌いなのだ。
しかし、はたから見ていると、悠子嬢のリアクションは楽しい。
嫌われていることに気づかない山村氏が、打ち合わせのため、悠子嬢の椅子を借りていたことがあった。席に戻ってきて、山村氏の姿を認めたときの彼女は気絶しそうになっていた。よく悲鳴を上げずにすんだと思う。彼が去ったあと、必死で座布団を手でパタパタと叩いていた。
氏が資料を配布して回っていたときもあった。悠子嬢がそれを手に取りじっくり読んでいたので、ついいらぬことを教えてしまった。
「山村さんたら、指をなめて配っていたわよ」
悠子嬢は目を見開いて息を呑み、あわてて資料を放り出した。
「笹木さ~ん、これあげるよ~」
珍しく、山村さんが都電もなかをくれたことがあり、私は素直に手を出した。
「わぁ、かわいい。ごちそうさまです」
「だろ、だろ? これ、いいよな」
すっかり得意になっている山村氏にお礼を言い、早速いただいた。美味しいものを食べて幸せな気分に浸っていたら、浮かない顔をしている悠子嬢が目に入った。
「どうしたの? 何か元気ないね」
「あの……さっき、山村さんがこれを……」
見ると、彼女の机の上にも都電もなかがあるではないか!
「アハハ、せっかくだから、食べればいいじゃない」
「いえ、食べられませんっっ!!」
悠子さんは、大きな瞳をうるうるさせて、泣きそうな顔で訴えた。
「捨てるのも悪いし、どうしようかと悩んでいました」
「もなかに罪はないよ。別に、山村さんの味がするわけじゃないし」
私の説得にもかかわらず、悠子さんはますますイヤな顔をして、結局食べなかった。
なんて不憫な都電もなか……。
悠子さんはこの4月に異動する予定だ。私は歓送迎会の幹事なので、悠子さんに花を手渡すプレゼンターを誰にするか、決めなければならない。異動者が男性ならば女性に頼み、女性ならば男性に頼むというように、異性を選ぶのが普通だ。
「ねえ悠子さん、誰からお花をもらいたい?」
「そうですね、こちらから指名するものでもないし、特には……」
「あっ!!」
うってつけの人が浮かんできた。思わずニヤリとすると、意図するところが悠子嬢にも伝わったようだ。
「笹木さん、まさか……」
「そう、そのまさか」
「そしたら、私、帰りますからね!!」
私が食べたもなかは、山村さんの味がしなかったけどな……。
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