昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

饂飩供養

2017-05-12 14:30:44 | お惣菜

毎回、食い物ネタで済みません。
昼食に何を食うかで思案した。
昨日の晩はダイエットの目的で軽いものしか食べていない。
そもそも、昼食はダイエットのために食わないのが、オカブのポリシーだった。
しかし、そのダイエットの果ての小食ゆえに腹が減って腹が減って仕方がない。
特に、炭水化物に飢えている。
そこで、饂飩でも茹でて食おうということになった。
饂飩も、この腹の減り具合では半端な量では、腹が収まらない。
そこで、今日は「饂飩供養」にすることにする。
「饂飩供養」って、なんのことじゃい?と怪訝に思われる読者の方も多いと思うが、これは禅家で催される行事で、なにかの節目に、饂飩を修行僧に振舞って、彼らを供養するというもの。今日は、オカブが自分を供養することになる。
「饂飩供養」の日は、饂飩が食い放題になるので、普段、粗食、しかも命をつなぐだけの量の食事で耐えてきた修行僧は、目の色を変えて、饂飩を貪り食うそうだ。
道元の「典座教訓」に、中国に渡った道元が、阿育王山の典座(調理係)の僧と面談する場面が出てくる。僧は、端午の節句に大衆の僧を接待するために、麺汁(饂飩)を作ろうと思ったのだが、生憎、椎茸を切らせてしまった。寧波に日本の椎茸船が着いたというのを聞いたので、はるばるやってきたという。道元はこの僧の学識と気高さに感銘を受け、もっと禅について語り明かしたいと思ったが、僧は用事を済ませると、荷物をまとめ、さっさと帰ろうとする。道元は、食事の世話など雑事は置いておいて、禅の本道について問答しないかと、僧に留まることを乞う。そこで、僧は日本からの若い留学生よ。あなたは弁道(禅の本質)のなんたるかを理解していないと、呵々大笑して去る。道元は冷や水三斗を浴びせられたように、僧の言ったことを心に刻むというくだりである。
饂飩のことで道がそれたが、このように由緒正しい饂飩であるが、オカブは生活良品の「讃岐うどん」(1パック158円)を4束茹で、ヤマサの昆布汁に浸して、豚のように食らった。
ちなみに道元の頃の饂飩は、今のような細長いものではなく、ワンタンのようなものであったという。
饂飩は美味かった。

卯の花や功徳のあらむ施主となり   素閑



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