故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

讃岐鉄道の開通

2013年05月22日 12時20分36秒 | 歴史

今朝も5時から歩きに出た。先ずは地元のアイリス祭を。

 

朝早いので、もちろん閉まっているが苗の販売もやっているようだ。  ここは少し前にはレンゲ祭をやっていた所。

 

香川県唯一の一級河川、土器川を渡り南へと。ここは飯山町「なかむらうどん」ネギは自分で刻んで入れる事で有名。昼前になると土手の方まで行列が続く。

 

これがメニュー。熱いうどん・冷たいうどん・釜玉うどんの3種類で、各・特大(3玉)大(2玉)小(1玉)となっている。非常に分りやすい。

 

そんなんで、今朝も2時間程の歩きだった。  帰った後の、朝食が美味しいんだよなぁ~

今日は讃岐鉄道が開通した日だ。明治22年5月23日。          多度津で回船問屋を経営していた景山甚右衛門が、上京して鉄道を見たときに地元においても鉄道の必要があると判断し、金刀比羅宮へ向かう参拝客の輸送を目的に設立した。発起人には計画に協力した香川県会議員の大久保之丞も名を連ねている。明治22年の今日、讃岐鉄道が初めて丸亀駅 ~ 琴平駅間を開業した。日本全国で9番目、四国で伊予鉄道に次ぎ2番目の開業となった。開通の祝辞で大久保之丞は、『塩飽諸島を橋台として架橋連絡せしめば、常に風波の憂なく、南来北向東奔西走瞬時を費さず、それ国利民福これより大なるはなし。』と瀬戸大橋構想を提案している。また大久保之丞が景山甚右衛門宛てに出した手紙などが町に残っている。   明治30年には、 高松 ~ 丸亀間を開業した。しかし明治37年には山陽本線を建設した山陽鉄道に買収され、明治39年には日本国有鉄道になった。 讃岐鉄道の鉄道営業は僅か15年であったが、明治35年には旅客列車に食堂車を開始し、女性の接客員(女ボーイ)を乗務させるなど、経営は積極的であったという。   また志賀直哉も、「暗夜行路」の1節に「停車場の待合室にはストーブに火がよく燃えていた。其処に20分程待つと、普通より小さい汽車が着いた。彼はそれに乗って金毘羅へ向かった」描いている。

  景山甚右衛門

って事で今日はこの辺で。じゃ~またネ



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