故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

テレビで見た都心の状況と、仏生山法然寺の十王堂

2013年05月11日 07時21分36秒 | 日記

今朝は4時半に目が覚め、外に出てみた。細い雨が降っていたので再度布団に入り、寝ようと思ったけどどうしても眠れない。5時20分になり起きてテレビを付けた。  小さな旅「仰ぎ見た夢~東京・西新宿」というのをやっていた。戦後の古写真から現在の写真まで変わってゆく町を。特に平成になってからの変わりようはスゴイ。東京都庁の建設に携ったことを今でも誇りに思う親子や、淀橋幼稚園は木造で、開園当時のままのテーブルやいすを使っている。一時300人を超えた園児も今年は20数人。来年の3月でこの幼稚園も60年の歴史に幕を閉じると。近くに住む人も「開発で色んなものが無くなり、今この幼稚園だけになってしまったのに残念」と 変わりゆく町を見ている。 この地区はビジネス街として昼間の人口は25万人・住んでいる人は2万人、シャッターの閉まった商店街に近々60何階のビル建設が始まる。地方の過疎化による変貌があると思っていたが、都心にも住民が住みにくくなった場所が増えている。 都会でも田舎でもみんな故郷に誇りをもって生きているんだなぁ~と。そんな事を考えさせられた番組だった。

これは仏生山法然寺の「十王堂」の外観。中には、亡くなった人が生前に犯した罪を裁く閻魔王など10人の王が安置されている。初七日=秦広王・二七日=初江王・三七日=宋帝王・四七日=五官王・五七日=閻魔王・六七日=変成王・七七日=泰山王で裁きが決定する。四十九日目を満中陰といい、死出の旅が終り、忌明けとなる。その後、百ヶ日に平等王・1周忌に都市王・三回忌に五道天輪王によって追加の裁判が行われる。各裁判の日にあわせ、罪を軽くすることを願い仏事供養が行われる。中には他に三途の川のほとりで亡くなった人から衣服をはぎ取る奪衣婆の木像も納められている。(説明板より)

 

七日ごとの王が並ぶ。

 

これは十王堂内の閻魔大王。

 

6時が過ぎてもまだ雨が降っている。今日の歩きは止めに。

雨ももうすぐ上がるだろう、今日は友人たちとバーベキューの予定・・・。楽しい一日になるといいなぁ。って事で、この辺で じゃ~またネ



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