故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

伊予小松藩の旧城下町かいわいの散策

2014年02月19日 09時21分52秒 | 歴史

今朝は4時20分に起きた。何でこんなに早く目が覚めるようになったんだろう???。もっとゆっくりと寝てもいいものだけど。昨夜、布団に入ったのが9時半だったから、6時間50分の睡眠時間。まぁ~熟睡しているから良いかと。そんなんで歩きに出たのが4時45分から。まだまだ暗いから懐中電灯を片手に、車のライトに光る反射腕章を腕に巻き歩く。6時20分頃になると、やっと周りが見えるようになる。丸亀高校正門前の梅の木を横目に、帰宅したのが7時過ぎ。今日の歩きは15,653歩だった。

昨日の続き、篤山旧宅を後に、『養正館跡』に。 ここは7代藩主一柳頼親が享和2年(1802)に開校した「倍達校」であったが翌年に近藤篤山を迎えた。篤山は名称を「養正館」と改め、江戸の昌平黌の制度を取り入れた。養正館の教授役は篤山から長男・南海、次男の簀山へと受け継がれ多くの有能な人材を輩出してきた。(説明板による)

 

史跡『小松藩陣屋跡』

 

円覚山 仏心寺に。 このお寺は2代藩主一柳直治が初代藩主直頼の7回忌に一柳家代々の菩提寺として建立された。山門。

 

本堂。 お参りしました。

 

これは『供待』。大名の菩提寺にある独特の場所で、藩主が参拝している間、供の侍たちが待つ待合所である。 初めて見たけど、冬なんか、ここで待っているのは寒かっただろうなぁ~

 

鐘楼。 宝暦8年(1858)の作。太平洋戦争での供出を免れたらしい。

 

御霊屋門。 元藩主の墓所に建てられていたが明治時代に寺内に移築したもの。

 

この仏心寺は椿寺としても有名らしいけど、殆ど終わっていて、ここだけしか花が見れなかった。

 

って事で今日はこの辺で。じゃ~またネ


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