故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

安政の大獄の始まり

2013年09月07日 08時45分49秒 | 幕末史

今朝は仕事が休みなので歩き時間を長くした。丸亀駅から港を歩き商店街も。ここは「ふたば西保育園」 入口にこんな碑が、子供たちの顔、その下に「ともだち」台石には『香川県の幼児教育はこの地から』と、ある。

 

ここは三宝稲生神社の前にある碑。丸亀の芝居小屋「稲荷座跡」だ。明治・大正時代はこんな娯楽の施設が何軒かあったみたいだ。

 

帰りに柞原町を通ると、こんな長屋門がある家に。こういう建物も少なくなってきた。大変だろうけど残してほしい建物だ。

 

帰宅後に雨がパラパラと降ってきた、降り出したらよく降るようになってきた。勝手な考えだけど、天気が続いてくれないと畑仕事ができないよ~う。そろそろ秋の野菜を植えないとなぁ~                                                  今日は安政の大獄の始まり、安政5年(1858)9月7日、尊攘派の小浜藩士・梅田雲濱を京都で捕縛。この日から『安政の大獄』が始ったと言って良いと思う。 安政5年(1858)から安政6年(1859)にかけて、江戸幕府が行なった弾圧である。 大老井伊直弼や老中間部詮勝らが、勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印した。また将軍継嗣を徳川家茂に決定したが。これらの諸策に反対する者たちを弾圧したものである。尊皇攘夷や一橋派の大名・公卿・志士らで、弾圧された者は100人以上といわれる。形式上は将軍・徳川家定が命令を発し行なったことになっているが、大老・井伊直弼が全ての命令を発したものである。家定の命令で行われたのは徳川慶勝や松平慶永・徳川斉昭・慶篤と一橋慶喜に対する隠居謹慎命令だけで、大獄の初期の少しの期間だけである。   って事で今日はこの辺で。じゃ~またネ


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