故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

土肥大作・七助の墓のある法音寺へ

2013年03月08日 17時36分24秒 | 幕末史

今朝は目が覚めたのが6時半、でも何故か身体がしんどくて起きられない。昨日の草抜きで疲れているのか?もう歳なのか? そんなかんだで起きたのは7時が過ぎていた。もちろん朝の歩きは中止に。9時前から畑に。耕運機を借りに行って(我が家には農機具は無いので兄宅へ)2か所の畑を耕した。 年と共に機械が使い辛くなってきているのが分る、何でもない耕運機でも今は機械に振り回されるようになった。昼ご飯を挟んで3時過ぎまでの農作業。身体を鍛えないという思いはあるんだけれども。なかなか思う様には??だな。

今日は何処へも出かけてないので先日通った丸亀市南条町の法音寺を。

 

入口の碑。法音寺には、あの井上通女の墓や勤王の志士の土肥大作・七助兄弟の墓がある。

 

この辺りは丸亀城の乾の方向に当たり、5つの寺が並んでおり、すべて南北の南条町筋から入るようになっている。今は道路になっているが寺の西側には堀があった。城の防衛の役目を持っていたと思うのである。山門には海徳山と書いてある。

 

これが本堂、最近立て直したので新しい。中には丸亀市指定の阿弥陀如来立像がある。

左に進むと井上通女や土肥大作・七助の墓がある。土肥兄弟の墓の表には『贈正 五位 土肥大作實光 土肥七助實忠 之墓』とあり、裏には『来春 祖考七十年忌ヲ迎ヘントスルニ當リ 祖考並ニ大叔父ノ墓碑ヲ此ノ塋域ニ設ケントシ豫テ揮毫ヲ文相荒木男爵ニ請ヒ今秋嚝古ノ佳歳ニ際シテ之ヲ建ツ  紀元二千六百年 孫 土肥富榮  陸軍大将男爵 荒木貞夫書』とある。

てな事で今日はこの辺で、明日の筋肉痛が出ないよう祈りながら。じゃ~またネ



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