故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

多度津の桃陵公園へ

2013年02月05日 16時51分51秒 | 日記

今朝はあまり寒く無くて、気持ちよく目が覚めた。6時前には歩き出して久しぶりに丸亀城まで行ってきた。約1時間半の歩きだった。

今日は多度津町の桃陵公園へ、山を登り始めて少林寺拳法の本山っていうのか正門とこんな建物が。

 

そのまま登ると駐車場に。展望台前には「一太郎やぁい」の像が。日露戦争時に息子の出兵を見送る64・5歳の母、岡田カメは一目会いたさに現在の観音寺市から5里の山道を歩いて多度津のこの地まで来たが、すでに息子の梶太郎は船に乗船していた。カメは軍人を乗せた御用船に向かって「お~い梶太郎、其の船に乗っているなら、鉄砲を上げろ」と叫んだ、すると甲板の上で鉄砲を上げたものがある。カメはさらに「我が家の事は心配するな、天子様によくご奉公するんだよ。分ったらもう一度鉄砲を上げろ。」。すると又鉄砲を上げたのが見えたのでカメは安心してその場に座り込んだと。見送の人々はみんな泣いたということである。梶太郎がいつの間にか一太郎となり、この話は「国民学校教科書」に載った。カメも梶太郎の無事を祈り行ったのだが、戦争美談として違った話として引き継がれていったのである。

 

その前の桃陵神社が。

 

燈籠も、他にもあちこちに燈籠が見える元々は街道沿いにあった燈籠だろう。見るとやはり、芸州広島や尾道や福山の文字が見える。多度津へは西方から金毘羅参拝者が多かったという事である。

ここから見た多度津港も。 昔とはずいぶん変わっている。工場がたくさん見える。

 

珍しい橋を渡り、潜り抜けてブラブラと。

で、今日はこの辺で。じゃ~またネ


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