故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

岩倉具視襲撃事件

2014年01月14日 11時41分17秒 | 幕末史

今朝は5時40分から歩いた。懐中電灯を持って、北へ北へと丸亀城まで。城内をちょうど1周したところでラジオ体操が始まった。今日は最後まで体操に付き合った。7時前になると辺りは明るくなってきた。これは、歩きの途中の霜がおりた草、白く冷たそう。

 

7時半ともなれば、通勤・通学で国道は混雑縦隊しだした。ここ、大井池では野鳥が世間の騒がしさも関係ないかのように泳いでいる。帰宅は7時45分で2時間強の歩きだった。

 

今日は何の日=明治7年(1874)の今日、右大臣・岩倉具視が襲撃された日だ。

明治政府内部の『征韓論争』に敗れた西郷隆盛、江藤新平、板垣退助らが政府の重職を辞任、それに不満を持っていた不平士族らは『征韓論争』を主導した岩倉具視や大久保利通に怒りを向けた。1月14日帰宅途中の赤坂喰違坂で岩倉の馬車に征韓論を推す土佐士族らが襲った。襲撃者は9人、元官僚や軍人であった。岩倉は皇居の四ッ谷濠へ飛び込み、難を逃れ、軽傷で一命を取りとめた。それを聞いた大久保利通はすぐに警視庁大警視・川路利良に犯人捜索を命じ、3日後の1月17日、全員が逮捕され、7月9日処刑された。その後明治11年5月14日、岩倉が襲われたすぐ近くの紀尾井坂で、大久保利通も島田一郎らの石川県士族6名に暗殺されてしまった。

って事で今日はこの辺で。じゃ~またネ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿