故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

乃木希典夫妻が殉死した日

2013年09月13日 17時58分14秒 | 歴史

今朝も約1時間の歩きだった。蒸し暑く汗を拭き拭き歩いた。 予報では台風が発生して日本には16日に上陸かもと? 中部~関東地方に上陸の可能性ありでこの辺りは雨の影響位かなと。でも雨も今はいらない、私の予定では明日にでも畑を耕運機で耕し冬野菜を植える準備をしようかと思っている。だから今は雨は降らない方が・・・。 どうかな~ぁ。

今日は初代善通寺第11師団長を務めた乃木希典夫妻が亡くなった日だ。乃木希典64歳・静子54歳であった。大正元年9月13日、乃木希典大将が、明治天皇の大喪の日に、赤坂の乃木邸で夫人とともに殉死した。 希典の辞世の句『神あかり あかりましぬる 大君の みあとはるかに をろかみまつる』 『うつし世を 神さりましし 大君の みあとしたひて 我はゆくなり』の2句である。

 

明治天皇の跡を慕い、付き従っていこうとする忠誠心からか、明治10年西南の役において軍旗を失った責任、その時周りの者に自刃を止められ、その後の生き続けた35年間。忠義のために生きて忠義のために死んだ将軍だった。 そこで先日7日に金倉寺の客殿を見学に行ってきた。

 

乃木将軍は善通寺師団長時代の約3年間をこの金倉寺を仮住まいした。乃木希典が居住した部屋は、現在客殿と呼ばれる部屋である。将軍は4部屋を利用していた。先ずは書斎兼応接室。将軍直筆の書や囲碁番とランプ。

 

食堂。砥部焼の火鉢・お寺が用意したテーブルの上には、焼き塩を入れていた陶器。梅干を入れていた陶器やお皿・グラス等。 お寺では特別な食事を用意しようとしたが、将軍の方からお寺の食事でと断ったのでお寺の小僧と同じ食事をしていた。

 

寝室。乃木将軍は師団から帰っても常に軍服で過ごし、この寝室でいつでも出かけられるようにと軍服のまま寝ていたという。 もう1室は物置であるが写真は無し。

 

金倉寺の山号の「鶏足山」は乃木の筆が残っていて山門の額に模写されている。

 

愛馬に乗ってこの門から師団へ通った。

 

中から庭を通り門へ。

 

生活は愛馬の世話をしていた鎌次郎さんと二人住まいだった。その鎌次郎さんへの手紙。5月19日とある。 あて名が 讃岐国 仲多度郡多つ川村金倉寺 谷田鎌次郎殿。

 

その他遺品等を。

 

って事で今日はこの辺で。じゃ~またネ


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