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地震・雷・火事・おやじ

2013年09月04日 | 季節(秋)
(大雨です。日高町荒川付近の稲葉川は泥水の濁流が渦巻いています)


三日ほど前、9月に入った最初の日から、ふるさと但馬は雨降り続きです。
今日は台風崩れの低気圧の接近で、特に激しくドシャ降りですね。

町内の荒川地区、流れる稲葉川もこの付近の急斜の川筋を、泥水の濁流が岩に当たりくぼみに落ち込み、真っ茶色の渦を巻いて流れています。

八代川の最下流域の竹貫付近は、増水した泥水が川幅いっぱいにユックリとした流れです。
八代川の合流する円山川本流の水位が上がり、支流への逆流を防ぐために巨大な西芝樋門が閉じられたからでしょうか、八代川の流れは止まり、あとは水かさが刻々と上昇していくが如くの様子です。

息子が云います。
市内に納品したあと、豊岡からの帰り道に眺めた円山川の様子、増水した流れに、河川敷で刈り取られたロール状の牧草の大きな束が、ポカリポカリと多数流されていたと、

私も見ました。
円山川を堰き止めています土居の井堰に流れ込む、大激流の見るも恐ろしい光景、高低差5メートル以上はあろうかと見える、激流の谷と山の大波のうねり、堤防の上を走る車の上からチラリと見ても、思わず激流に吸い込まれるような錯覚を覚える恐ろしさを感じるものです。


日本列島はなんと自然災害の多いところでしょうか。

大地震が起きる、噴火は起きる、台風・大雨・山崩れ、そしてこの数日のうちに大竜巻が連続して起きています。
日本は、世界の中でもまれに見る自然天災の多い所、地震・雷・台風に噴火、どれも空恐ろしいものばかりです。

昔の人は云ったのですね、「地震・雷・火事・おやじ」って、人の住む世の怖いもの、恐ろしい目の合言葉です。

ふるさと但馬も、たびたび大型台風による大水害にあっています。
今年も、この後どうなることやら。
地震だって、北但大震災から90年近くたってそろそろってなことも云われます。

日本列島各地に地震も、雷(ゲリラ豪雨に竜巻)も、火事(噴火)も、おやじ(台風のこと)も、こうもたて続けにやってきますと「なぜ、どうして、なんでこんなに日本は、自然災害恨めしい」と、天を恨んでしまいます



《恐ろしや いつはわが地に 来るのやら》


夏の終わり、秋の始まり

2013年08月31日 | 季節(秋)
(店内ぎっしりポスターも、「夏のエアコン祭り」から「秋のリフォーム祭り」に衣替え)


 店の周りをぐるっと囲む、リフォーム、太陽光発電、エアコンのノボリが林立にぎやかですね。


『アトム本部から60枚も取り寄せてしまったリフォーム祭りのポスター、どないしよう??』と息子に話しかけながら、店内いっぱいに吊り下げてまいります。

暑かった。
とっても暑かった今年の夏、目の回るような暑さも、秋9月のカレンダーを目の前にしまして、やっと峠を越しました。

久しぶりです。7月半ばから休んでいましたブログの投稿、久々ぶりに書いてみます。

先月7月16日に
《しばらくです。しばらく、夏のこの忙しさ、この忙しさのちょっと峠を越すまでは、ブログは休みと致します。》と記して、投稿をずぼらしていました。
その、幾十日の間に季節は巡り、時は流れていきました。

7月の、私の誕生日の20日過ぎには暑さその通りの「大暑」を迎え、
それから半月、「立秋」名ばかり暑さはそのまま汗だくでした。

8月後半地蔵盆は、23日の「処暑」来てもふるさと豊岡ムシムシ陽気、気怠いほどに暑いです。

やっとのことです。
8月の、月末迎え雨も降りますドシャ降り雨も、少しは暑さも和らぎました。

あと一週間ですな~、秋も爽やか9月の7日「白露」のころには、
「あの暑さはなんだったっけ」と思い出すのも懐かしい、涼しい季節がくるでしょう。


アトム電器では、6月半ばから8月半ばの2ヶ月間は、「エアコン祭り」でガンバリますね。
店内いっぱいに、吊り下げたり壁に貼り付けたポスターの数は50枚近くになるのです。

エアコン祭りが終了しますとポスターを取り外します。
賑やかにあったものがなくなると、メチャメチャさびしいものです。
そこに、ドンピシャリと到着しましたアトム本部からの荷物です。

『60枚もどないしよう??』のポスターです。

息子と二人でバンバン貼っていきました。吊り下げていきました。
店内いっぱいに、溢れる賑々しさはもう圧巻の眺めです。

店外には、有りったけのノボリをきれい立てかけます。その数15本、
田舎の小さな「街の電気屋」は、目を剥くほどに派手派手元気な町一番の、「よ~売れてそうな面構えの」に大変身です。

ありがたいですな~、この夏はエアコンが次から次へと売れまくり、息子と二人で工事工事の毎日でした。
もちろん、冷蔵庫もリホームだってドンドコドンドコ出る出る売れました。
そのためです。私のブログもピタッと書けぬ、息子のブログもほんのほんとの時々でした。


秋は秋(とき)とも読みますね。
とても大事な時を表す場合に、「危急存亡の秋(とき)」なんて、秋を秋(とき)なんて表現します。

秋(とき)の言葉は、三国時代に諸葛孔明が出陣に際して書いた「出師の表」と云うものからきているのですね。

「出師の表」とは、皇帝劉禅に宛てた出陣に際しての置手紙のようなものです。

前文のほんの四行です。

臣亮言
先帝創業未半 而中道崩殂
今天下三分 益州疲弊
此誠危急存亡秋也。

四行目の「此誠危急存亡秋也。」ですね、
「此れ誠に危急存亡の秋(とき)なり。」と読むのです。

秋は実りを収穫するとても大事な季節です。
その大事さ故に、秋を「とき」と読むそうです。
春も夏も冬だって、決して「とき」とは読みません。

電機業界は地デジ化以降の2年近く、大不況に喘いでいました。
この半年余り前よりやっと明るい兆しです。
そして今年の夏商戦は、7月のエアコン出荷が過去最高になったように、暑さに助けられ、アベノミクスに助けられ、ぐんぐん上向き傾向を続けています。

いよいよ9月は秋商戦です。

テレビの大型が好調です。リホームの相談もたくさん来ています。
全体に、何か活気が感じられる毎日です。

道行く車から、歩く人の目から、当店を眺めて感じられることでしょう。
「なんちゅう、賑やかなノボリや飾り付け、元気なことだな~。絶対よ~売れとるでこの店は。頼もうかしらこの電気屋さんに」と感じられることでしょう。

いよいよ、元気が出ます秋(とき)ですね。



《9月来る 元気いっぱい 秋(とき)来たる》


誰(たれ)か故郷を想わざる

2012年11月16日 | 季節(秋)

               【豊岡市日高町東河内(ひがしごうち)】

  夕日が沈むころ、三日月さんがこんばんわ

  日が落ちました。真っ暗夜空に、細い細いお月様


昨日(きのう)と一昨日(おととい)は、木枯らしが吹き、真っ黒な雲から稲妻を伴う、冷たい土砂降りの雨でした。
冬に差しかかるこの季節の雨は、日本海側の但馬地方では「時雨(しぐれ)」と申します。
空を見上げると、南半分は陽が射す晴れの空、その晴れの空間に向かって、北の空から真っ黒な雲が押し寄せる。真っ黒な雲の先端からは、滝のように煙幕が垂れ下がります。
晴れたかと思ったら急にパラパラ、ザザザ~と降り、降ったかと思う間もなく陽が差し込める、そんな、降ったり止んだりの天気を「今日は、よう時雨(しぐれ)ますな~あ」と、但馬の人は挨拶します。

本日は打って変わってよい天気、空気はひんやり空澄み渡り、エアコン工事も捗(はかど)りますね。
夕刻です。
日が沈むころ西の空にはお月様、今日の形は、見目麗しき美人の目のような細い細い三日月さんですね。

三日前のテレビです。
NHKの歌謡コンサートで、古賀メロディーの懐かしい歌声が流れます。

「は~なつ~むう、のべ~に、ひわ~あ、お~ちて・・・・・・・・・・・・・・」と、氷川きよしが歌います。
古賀メロディーの中でも傑作中の傑作、西條、古賀、霧島コンビの大ヒット曲、「誰(たれ)か故郷を想わざる」の歌です。

昭和15年に世に出ます。
最初のころは、戦地の慰問先で訪れた歌手が歌ったそうですね。
古賀さん自身の、幼いころの思いを詩にした、西條八十の秀作、ふるさとを想うなんとも言えぬ懐かしい詩です。
それに、郷愁を誘う古賀政男のメロディーは、聞く者の心を震わせ、ふるさとを遠く離れた戦地の兵士達を、皆涙させたそうです。
1番、2番、3番ともに出てまいります。「幼馴染(おさななじみ)」の言葉、幼馴染の、あの友この友。幼馴染の、あの山この川。幼馴染の、あの夢この夢と、
ああ誰(たれ)か故郷を想わざる~~と結びます。

「誰か故郷を想わざる」ということは、「誰も皆、故郷のことを想わないものはいない」と言う意味、自分の生まれ育った故郷ほど素晴らしいもの、友、山、川や、思い出の夢の数々の懐かしさは、例えようのないものですね。

ふるさと但馬のこの季節、寒い厳しい冬に向かって時雨れる空や、その時雨が過ぎ去った澄んだ夜空の三日月を眺めていますと、子供のころを思い出し、「誰(たれ)か故郷を想わざる」の歌そのものの、懐かしさをジ~~ンと感じてしまいます。



作詞:西條八十、作曲:古賀政男、唄:霧島 昇

1 花摘む野辺に日は落ちて
  みんなで肩を組みながら
  唄をうたった帰りみち
  幼馴染(おさななじみ)のあの友この友
  ああ誰(たれ)か故郷を想わざる

2 ひとりの姉が嫁ぐ夜に
  小川の岸でさみしさに
  泣いた涙のなつかしさ
  幼馴染のあの山この川
  ああ誰か故郷を想わざる

3 都に雨の降る夜は
  涙に胸もしめりがち
  遠く呼ぶのは誰の声
  幼馴染のあの夢この夢
  ああ誰か故郷を想わざる


《嫁ぐ姉 遠い昔の 懐かしさ》

日が短くなりました

2012年11月12日 | 季節(秋)

               【豊岡市日高町猪子垣(いのこがき)】

 夕刻、南の空から光る物体が
 
だんだん近づいてきました
 
飛行機が頭上をかすめて飛んでいく
着陸態勢の姿で店の上を通過です

昨日の日曜日です。24日に開通します北近畿豊岡自動車道を見学するために、夕刻車で出発します。
午後3時頃まで、雨降りの天気の悪い一日でした。
夕刻4時半の頃は、八鹿の琴弾トンネルの近くです。家内が言います「空は、もう暗くなってきたね。右手の関宮の方の、山のきれいな紅葉もさっぱり見えないね」と話します。
さらに「今が、日の暮れ一番早い時期なの?」と問いますね。
『違うよ、昼間の一番短いのは12月21日の冬至の日、日の入りが一番早くて、日の暮れの早いことを感じるのは、冬至より一週間くらい手前の頃かな、なので、まだまだ今日より30分は日の暮れ早くなるよ』と説明します。

夕刻5時25分頃が、大阪から飛んできますコウノトリ但馬空港への定期便の、我が家の上を通過する時間です。
本日真っ暗夕刻に、南の空は進美寺山の上を飛んできます一点の光です。当店へ向かって真正面から、ぐんぐん近づいてくる光は飛行機のヘッドライト、冬に近づくこの時期は、夕闇迫る夕刻の着陸態勢なのですよ。
進美寺山から直線まっすぐに、滑走路に突っ込む日がほとんどですが、今日は違います。
まっすぐ飛んで来ました飛行機は、府中小学校のあたりでグ~ンと右に旋回しまして、当店の頭上で腹を見せます上昇します。そして北の豊岡市街地のほうに進んで、左に大きく急旋回しまして、城崎方面から滑走路に進入するコースです。
大きなプロペラ音を残して、日の暮れ早い国府平野の上空を、大阪と但馬を行き来する飛行機は過ぎ去って行きました。

それにしても、日が短くなりました。

《5時半で 真っ暗ブンブン ご到着》

祝日・文化の日に

2012年11月03日 | 季節(秋)

               【豊岡市日高町宵田(よいだ)】



朝7時きっかりです。
ウオーキングから帰り着きました店先で、大きく深呼吸をいたします。それから、郵便受けの朝刊を取り出しまして、サッと一面に目を通し『今日のトップニュースはなんだろうかね』と、眺めるのが私のいつもの習慣です。
新聞の一面に、小さく日の丸マークが載っています。
今日は、国民の祝日「文化の日」です。早速、国旗を立てまして、朝陽と一緒に撮りました。

ブログを書く時に時々ですが、自分の過去ブログを見ることがあります。同じ祝日の日に、どんなことを書いていたのかな、同じテーマで過去に書いてはいないかな、そんなことを気にして見ることがあります。
4年前の11月3日の記事を読みまして、『フ~ン、同じようなことの繰り返しなんだな』と感じたり、『ちゃんと今日の祝日のテーマで、明治のことを書いているがな』と気が付きました。
4年前の記事を、そのまま書き写して見ますが、今の政治情勢とあまりに酷似していることに感心したり、『何も進歩していないんだね、政治の世界は』と呆れてしまったりいたします。


(平成20年11月3日のブログ)

新聞を開くと、「解散を急げ、いや先送りだ」、テレビをつけると「解散逃げたの、臨戦態勢だの」と、
毎日の生活に一生懸命な国民をほっちらけに、よくも政治家の皆さんは浮き足立って、本当に困ったものですね、ちゃんと議員報酬取ってる分、きっちり仕事してもらえませんかね~。
マスコミも、「解散、解散」、「支持率どうの」なんて、はやし立てるような報道、いい加減にしてほしいですね。

ご来店のSさんが、「この店には国旗が揚がってますね、うちも毎度揚げてるけれど、国旗出してる家って少ないね~」です。
ほんと私もそう思います。大事なことを忘れて、この国は何かどこか、タガが外れているような気がします。

今日は文化の日、昭和21年のこの日、日本国憲法の公布された日ですね。
直接には関係ないと云われていますが、戦前の祝祭日「明治節」でもあるわけです。
明治天皇の誕生日が11月3日、在任中は「天長節」、昭和2年に「明治節」となりました。
易経・説卦伝(せつかでん)に、「聖人南面して天下に聴(き)き、明に嚮(むか)いて治む」とあります。
「明治」の元号はここから採用されています。
「南面」とは、「南に面したほう・主人のいる部屋」ともいえます。
君主は、南に面して政治を聴けば、国は明るい方向に向かう、という意味です。
麻生さん、小沢さん、「政局よりも政策だ、いや解散で信を問え」なんていう前に、
まずは、国の主人たる国民に、今何が一番必要なのかをよ~く考えて下さいな、
決して、自分や自分の党の損得なんて考えないで下さいな、「南面」のこと考えてくださいな、
そうした者が、結局最後は勝つ、そして国民は喜ぶ、私はそう思います、心からそう思います。


4年たっても全くと言っていいほど政治の世界は進歩していません。今も与野党入れ替わっているだけでまったく同じことをしています。




それに比べて、社会・経済の世界はどんどん進んでいます。
豊岡市は、この12月稼動を目指して、メガソーラーの建設を進めています。
神鍋方面に配達で通るとき、農面道路に面した山宮地区で、メガソーラーの設置工事を見かけます。
どうでしょうか、兵庫県でも、一年の日照時間では一番短いはずの北部の山間部、雪も降りますその量も半端ではありません。
工事が進む山宮地区辺りは、雪は1mくらいは普通に積もります。日照時間で、たとえば淡路地区などと比べても、15%や20%くらいは少ないでしょう。雪が乗っかる冬場はどうでしょうかね、パネルを高く設置して、角度も少し急勾配で雪を積もりにくくするそうですが、あまりの大雪でメガソーラーそのものが、雪に埋まってしまいそうで心配ですね。

豊岡市は考えているのでしょうね。日照時間でちょっと不利なこの地でも、太陽光発電が成功することを、ただ単なる計算上の採算だけでない、何か壮大な考えがあるのかもしれません。
そうですね、40年も50年も、根気よく取り組んできました「コウノトリの野生復帰」の事業だって、コウノトリの雛が孵って野生に再びかえったところで、すぐに何か大きな利得があるはずはありません。それでも、延々延々と取り組む熱意は、それはそれは壮大稀有な、何かがあっての事だったのですね。
日本一でしょう、太陽光発電には不利なことは。それを承知で取り組む豊岡市の根性は、たいしたものだと思います。

《不利なこと 承知で取り組む フロンテア》

一気に17,000歩

2012年10月21日 | 季節(秋)

               【豊岡市日高町久斗(くと)】

今朝は日曜日です。
「日曜くらい、朝ゆっくり寝たら~」という声振り切り起きますね。別にガンコにしているわけないですが妙です目覚まし「リ~~ン」と鳴る、いつものように起きまして身支度しまして気が付きました。『ありゃ~~、目覚まし時計が狂っとるがな』、壁を見ますね時計の針は、まだ午前6時前です早いです。おかしいと思いました。いつもに比べて外がまだ暗い、30分も早く起きてしまいます。
私の早朝ウォーキング、普段の日は、いつも30分きっかり歩きます。日曜祭日は、1時間と決めますちょうど良い、体の調子は快調ですね。
一月くらい前のことです。修善寺温泉に旅行した帰り道、名古屋に寄り道した時のことです。甥のT君に『おじさんも、万歩計付けて早朝ウォーキングしてるんよ』と、泊まった姉のお家で話します。するとT君云いますね。「僕も結構歩いてますよ。ほら、今日は17,000歩になってるでしょう」と、スマホの画面を見せますホントです。
T君のスマホは、万歩計にもなるすぐれもの、大きな画面にバッチリ、17,000歩とちょっとの大きな数字が出ています。
普通に生活してますと、なかなか一万歩は難しい、よ~く知ってる私としては不思議に思って『どうしてこんなに歩いてるの?』と尋ねます。「べつに、朝歩くわけでもないよ。会社の中を仕事中に、とても広い工場の現場をあっちにこっちにと、駆け足で歩いて17,000歩なの」、「いつもこんなもんだよ」と云いますね。エライ、17,000歩は偉いです。

30分早く起きた本日は、いっちょT君の17,000歩に挑戦します。それも一気の歩きです。
普段の毎日30分が、3,800歩前後です。日曜日の1時間だって、だいたい7,500歩くらいがいいとこで、一気に一万歩は歩かない、それを本日試します。17,000歩の一気歩きをやりますね。
午前6時きっかりに、出発しまして13分間歩き上郷橋に到着します。
上郷橋から堤防の上を歩いて延々と、西芝の八代川樋問まで黙々と、歩く歩く歩きます。堤防の上はアスファルトの良い道で、車もいないし広々と、景色も最高でして歩くにゃとってもいいですね。
上郷橋から八代川樋問までは約2.5kmあります。それを、行って帰ってまた行って、それから又上郷橋まで帰って結局5kmの道のりを2往復いたします。
上郷橋に着いて、もう午前8時になります2時間も、過ぎてしまった何歩かな?、やっとこせですね15,000歩になりますあと少し、堤防降ります村の道、家に向かって帰ります。



帰ってみました万歩計、歩いた時間が137分です。2時間と17分歩いたしっかりとです。歩数を見ましたドンピシャリ、「しっかり歩き」の17,069歩と出ています。
実は、この万歩計はなかなかのすぐれもの、パソコンとつないでデータ取り出すこと出来る、「普通歩き」と「しっかり歩き」と分類します。
歩幅をとって、手を振って、力いっぱいにしっかり歩く、それも連続10分以上でないとカウントしないよ「しっかり歩き」です。
一歩も止めずに、一息も休まず、とにかく力いっぱい歩いた歩いた2時間以上、それで本日一気にですよ、一気に17,000歩達成します。

《どうですか T君凄いね 17,000は》

ああ、香りなつかし、わが、ふるさとの秋

2012年10月14日 | 季節(秋)

               【豊岡市日高町夏栗(なつくり)】

西宮のお義兄(にい)さん家族が、わが家を訪ねます。
私の姉は一月に亡くなったために、お義兄さんと息子夫婦の三人が揃ってやって来てくれました。
義兄さんが、「これ、あんたの姉さんの写真、旅行に行った時の、たくさんの写真を整理したんよ、みんな楽しそうな笑顔でいい顔してるね、見たって」と、アルバムどっさり差し出しますね。
「これ、いつも姉さんが、何回も眺めて読んでたふるさとの便りよ、懐かしそうに何回もね」と、封筒に入った何枚ものお便り見せますね。私が書きます送った便り、もう10年以上も前に書きます懐かしい、ふるさとの思い出を綴った今で言いますブログです。



ああ、香りなつかし、わが、ふるさとの秋

ふるさと
「ふるさとの、山に向ひて言うことなし、ふるさとの、山はありがたきかな」、この詩は、望郷のふるさとを表現したあまりにも有名なものです。
石川啄木が、ふるさとの山「岩木山」や、それに連なる「姫神山」を眺めて詠んだ歌です。現在では「啄木望郷の丘」と呼ばれている、盛岡市郊外の小山があります。
その小山からふるさとの山々に向かい合い、ふるさとへのなつかしさ、生まれ故郷への感謝、それらを織り交ぜた心情を詠ったものと言われています。

ありがたいことです
こんにちは、お姉さん、お兄さんお元気ですか。
今日はふるさとの秋の想い出などを思いつくまま書いてみました。「どうしてそんなことを」とお思いでしょう。
実は姉さんや兄さんには、たびたびわが家に来てもらい、お父さん、お母さんの墓参りをしていただいています。その度に、いろいろとお供えもしていただき、本当にありがたいことだといつも感謝をしています。
親がいなくなった実家には兄弟とはいえ、なかなか疎遠になりがちと言われています。その上私たちもとんと訪ねて行っていません。それに比べて姉さん兄さん達にはよく来ていただいてほんとうに感謝にたえません。〇〇子といつも「ありがたいなあ」と話しをしているわけです。

ふるさとの秋の香り
何かをお返ししなければと思いながらも、感謝のお返しがなにも出来ていません。申し訳ありません。せめてものお返しとして、ふるさとの想い出をと書き始めました。
姉さんも兄さんも、ふるさとを離れて幾十年、時にはふるさとで過ごした遠い昔を思い出し、ああなつかしやと、望郷の念を抱くこともありましょう。
きょうは、私たちきょうだいが生まれ育った国府のこと、お父さんお母さんときょうだい皆と力合わせた秋の農作業の事、くらしの事を思い出してみました。せめてものお返しが、ふるさとの秋の香りです。食べられませんがせめて郷愁のかおりが届けばと思います。

お宮さん
もうすぐやってくる十月十五日、国府の秋祭り、池上は熊野神社の秋祭りです。
昔からずっと十月十五日と決まっていた祭りの日も、十日の体育の日に変わり、そして今年は十三日に、いろいろ変わっています。
みんなが子供の頃は十五日でした。もうこの日が祭り、今でもその思いがしてなりません。想いでの中はそのままでしょう。
国府地区の運動会が六日にありました。その練習をするために、夜公民館に集まっている時のことです。隣ので練習しているのでしょうか、「ドンドンドンドコ、ドンドコドン。ドンドコドンドコ、ドンドコドン」と太鼓の音が遠くからかすかに聞こえてきます。

だんじり
祭りといっても村の隅々に「熊野神社」のノボリが立ち、だんじりが練り歩く、ただそれだけです。
子供の頃はそのだんじりも担ぐ人の少なさであまり練り歩いていることもなかったものです。でも正月、お盆、秋祭り、それだけで皆ウキウキしたもので、普段ご馳走の少なかった我が家でも、したかどうかは定かではないが何かご馳走の出るようなうれしいような一日、それが祭りだったものです。

秋の農作業
その祭りが終わると、稲刈りの始まりです。忙しい秋のはじまりです。
今は一ヶ月以上も早く九月になれば稲刈りです。それも大型のコンバインで早い早い、ばたばたと刈ってしまいます。家族総出の昔の稲刈り風情はとんとありません。
私たちが子供の頃は農作業は全部手作業でした。苗代作りから、田植え、田植えの前には人力や牛の力で田をすいて、起こした田の土をクワでこなし、どれもこれも腰の痛い腕の痛い重労働でした。

稲刈り
稲刈りは小さい子供でも上手にしたもので、刈るのはもちろん器用に束ねてワラでくくり、株を割ってパラッと立てたものです。学校は農繁休校で休み、家族総出の稲刈り、今と違い稲刈りに取りかかる前にたき火で手を暖めるほど寒い日もありました。
腰の痛い稲刈り、刈っても刈ってもずっと先を見ると田んぼの向こうの長いこと、つい先日のように思い出します。

稲架(いなき)
そうして迎える秋の取り入れ、稲の刈り取りと脱穀作業でした。秋祭りのころからお父さんが稲木だつを立て、稲架を手慣れた作業で造っていくのを眺めたものです。横棒の段が九段も十段ものとても高い、横には六間も七間ものそして倒れないように筋交いを入れた立派なものです。今から思えば毎年造っては役目が終わったら片付ける、その繰り返し、ほんとうに大変な作業でした。

夜なべ
夜遅くまで懐中電灯の明かりを照らして、稲架に掛ける作業、竹の先に稲束の結び目を引っ掛けポイ、ポイと九段、十段の所に掛けるお父さんめがけて出したものです。

足踏み脱穀機
今思えば、狭い我が家の家に詰め込むだけ詰め込んで夜の十二時頃まで足踏み脱穀機での稲こき、子供は脱穀機の足踏みの手助け、土ぼこり、稲ワラの「はしかいい」作業、ようやったと懐かしさばかりです。

おぜん
学校から家に帰ると、あの丸い「おぜん」です。今で言うテーブル、我が家の朝昼晩、家族皆で食べたあのなつかしい「おぜん」です。(帰ったら渡り田に来いよ)というふうに書いた紙が置いてありました。すぐに田んぼに手伝いに来るようにとの事、いつもいつも子供によく農作業をと親を恨んだものです。

家族
昨日のように思い出します。
お父さんとお母さんと一緒に、その時にいたきょうだいが、出来る農作業を何でもしたことを。する事が当たり前と、普通の事だと、協力してやった作業はつらい事だったが、親子の絆や思い出を育むにとても良いことだったなあと懐かしく思い出されます。

この後も延々と続きます。
なつかしいふるさとの秋の風景が続きます。

柿の木

鎌祝い

やまだ

匂うふるさと

赤トンボ

一番ホーム

啄木

国府駅

落ち穂拾い

タニシ

いなご

金車輪

ゴムタイヤ

メリーテーラー

彼岸花



青空

夕焼け

台風

便所

ニワトリ

イソライトかまど

すくも

カンテラ

井戸

ガッチャンポンプ

渡り田

中つぶら

三角田

水生の田んぼ

下(しも)の畑

下(しも)どなり

上(かみ)どなり

大岡山
十一月も中旬になると、あのまん丸い大岡山が、うっすらと雪化粧となります。大岡山に三回雪が積もると、村にも冬がやってきて雪になると言われていますね。
あと一ヶ月くらいするとふるさと国府は寒い寒い冬、雪がどんどん降ってきます。
雪化粧のふるさとは、なにもかも包んでくれたお父さんお母さんのような「昔のふるさと」の情景に変わっていきます。

きょうは、ここまで。春、夏、冬の「ふるさと」は又の機会に、おたのしみ・・・・・。

《ふるさとの 香りなつかし 稲架道》

和合衆

2012年10月07日 | 季節(秋)

             【豊岡市日高町八代(やしろ)】

昼前のザァーザアー降りの雨も、なんとか止みました。今日はふるさと国府の里は、ドンドコ・ドンドコ太鼓の音が響くうれしい祭りです。
午後は鎮守の境内に、集まる若者和やかに法被を着ましてだんじり担ぎ、喜び溢れる笑顔です。
正午を過ぎます午後一時から、スタートしまして区内をぐるり、一周しますね家々を、訪ねて担いで廻ります。私なんぞは65過ぎて、担ぐ役割卒業で、同年輩と一緒に前後警備の役目です。
正月の「おめでとう」の挨拶もいいものです。お盆の「お参りですか」の挨拶も、運動会での「ワ~ワ~、キャ~~、ガンバッテ~~」もいいものですが、秋のお祭りだんじりを、力あわせて担ぐのは喜び一段格別ですね。



わが区はとても恵まれています。
池上区は、だんじりの担ぎ手が十分過ぎるほどの人数がいます。子供の数も結構なもので、太鼓の叩き手は大人から小学生の子供まで、一所懸命習った者が順番にドンドコ・ドンドコ打ち続けます。
訪ねて廻った休憩所、降ろしただんじり太鼓の音を、絶やさぬ役目は小学生の男も女もそろって小6の、ペア組んでのリズム軽やか上手いです。
だんじり取り巻くギャラリーは、老若男女や子供達、その中には都会に嫁いだ娘さん、なつかしいふるさとの祭りに子供と一緒に里帰りです。
だんじりワッショイ担ぎ手の、若いあんちゃん同級生や、昔遊んだ上級生のなつかし楽しい会話です。
一年一度のだんじり担ぎ、力をあわせて気持ちも一つ、大切なふるさとの絆を支える姿を見てて、ふっと「和合」という言葉を思います。

やわらぐ・なごやかの意味を持ちます「和」の字です。それに、あう・あわせるの意味です「合」の字つなぎ、そして仲良く混ざり合うの意味になります「和合」と云う言葉です。
仏教用語辞典という本に書いてありますこんなこと、
お釈迦様も、「和合」の大切さはしっかりとお説きになっていたと、仏教を学び広める出家者の集団を「サンガ」と云って、中国に伝えて「僧伽」と音読み、その意味から「和合僧」とか「和合衆」と訳したと書いてありますホンとです。
仏の道に帰依することを、「帰依三宝(きえさんぽう)」を求めると言います。仏(ぶつ)、法(ぽう)、僧(そう)の三つの宝を会得してからですよと教えます。
その「僧」のことが、「和合」をしっかりと会得しました「和合僧」のことです。法によって結ばれ、和らぎ、親しみ合い、修行を重ねている者のことを云いますね。

だんじり担いで和気合い合いの、笑顔いっぱい若者は、まさに「和合衆」の姿そのものと映ります。

《ふるさとの だんじり担ぐ 和合衆》

まつりに、なりましたね

2012年10月06日 | 季節(秋)

             【豊岡市日高町猪爪(いのつめ)】

お正月元旦は、『明けまして、おめでとうございます』と挨拶します。お盆が来れば、『お盆になりましたね』と挨拶し、秋祭りを迎えた本日は、『まつりに、なりましたね』と声かけますね。



わがふるさと国府の里は、昔々の子供の頃は、「秋祭り」と云えば10月15日と決まってました。
15日が、平日であろうが日曜だろが、そんなことはお構いないです神様の行事、意味あって決めた日時は、人間様の営む曜日なんぞに、振り回されるなんてもっての他のことでした。
いつの頃からでしょうかね、平日では人が集まらないの、休みの日でないとゆっくり出来ないのだと、人間様の都合に合わせて日曜日、とうとう今では、10月第一日曜日となりました。
秋祭りは、五穀豊穣に感謝し、村の守り神様の大切な大切なお祭りでした。

昔は、今のように、暑いさなかの9月から稲を刈ったりいたしませんね。大体、10月半ばの祭りの頃が、「まつりに、なりましたね」、「さあ、稲刈りをし始めましょうか」というものでした。
全部全部、手で刈り取るものです手作業ばかり、そりゃあ時間もかかるは日にちも過ぎる、11月になっても稲刈りを、寒い朝など焚き火をたいて、まずは暖をとってからの作業でした。
温暖化のせいでしょうか?、一週間早まったせいでしょうか?、秋祭りの本日暑いです。

街の電気屋アトムの店は、「リホーム特選品カタログ」を持って、コツコツ・テクテク歩きます。

『まつりに、なりましたね。Tさんお元気ですか、電気製品の調子はどうですか?』と挨拶します。「今年もまつりに、なりましたね。アトムさんの声が聞こえましたが、チャイムが鳴らないの、祭りが終わったら、新しいの持ってきてちょうだいね」と頼まれましたね嬉しいですね。
「IHを買い換えたいの、祭りが終わったらアトムさんのお奨めの品、見積もってちょうだい買わせてもらうわ」とAさんですね。

昨日も、「流しのカランが壊れたの、明後日は祭りの宿をするので、どうしても今日中にカランを取り替えてね」とMさんが、祭りの準備とせわしそう。
これも昨日の話しです。
「電話機の音が小さいの、機械の音で聞きにくいのよ」と、餅屋さんの工場からの電話です。
工場には、台に並べて出来立ての丸い紅白お餅が山のように積んでありますきれいです。
ふるさと日高の秋祭り、だんじりが、神社に帰るとどこもです。境内では餅まき一斉始まりますね。
その餅もです。昔はペッタンコと当番が、作った時代が懐かしい。今では、餅屋さんにご注文で工場は、何ヶ所からの区からの依頼で作ったお餅が何万個です。



『まつりに、なりましたね。ここの神社では、シートを広げて宵宮の宴の準備ですね』とSさんに挨拶します。
わが区は地味です篭り堂、集まり歓談するだけですが、Sさんの区では、夕刻前からシートの上に老若男女が集まって、子供も一緒にワイワイと、焼き芋、焼き栗、焚き火を囲み、酒を飲みます大賑わいですね。
Sさんおっしゃる、「アトムさんも、うちのお宮さんへ来てちょうだい、飲み食い自由だよ、楽しいで~」とお誘いですね、ニコニコと。

わが区の神社に献酒を持って、お参りしました夕刻に、隣の神社の太鼓の音が、ドンドコドンドコ聞こえます。
神主さんの祝詞がちょっと聞けない榊を奉げ、秋の夕べが深まりますね。

《秋祭り わがふるさとの 昔日かな》

居待月(いまちづき)

2012年10月03日 | 季節(秋)

             【豊岡市日高町奈佐路(なさじ)】



秋を感じますな~、日差しを受けて、透き通るようなススキの穂、サワサワと秋の風に揺られて、右に左に銀色の穂が流れます。
キラキラと光る穂の向こうには、どこまでも高く澄みきった秋の空が広がっています。
八代川の土手には、ちょっと遅めに咲いてしまったために、なにやら急いで花開いているような彼岸花の列が並びます。
本日のふるさと但馬の秋の空は、やっと晴れ間が望めます。

秋を感じる草花は、ススキ、彼岸花、コスモスに、柿の実、栗の実豊富です。
秋を感じるふるさとの、行事はなんといっても運動会と、村の鎮守の秋祭りです。今週始めの日曜日、楽しみしました地区運動会は、台風直撃残念な中止となってしまいます。
今度の日曜7日の日、だんじり出ますね餅まきも、村の鎮守の秋祭りなにとぞ晴れますいい天気、みんな願って楽しみですね。

秋を感じるもう一つ、何といっても秋の空、夕闇迫る東の空のまん丸名月これこそが、秋一番のものですね。
今年の仲秋の名月は、9月30日でしたねもう三日前、あっという間に過ぎました。
毎年ほとんど良い天気、きれいな満月拝みます。今年の秋はなんちゅうことですか、満月の一日前から今日までの、秋一番の楽しみが曇天続きであきまへん。
仲秋の満月の日は、台風直撃でまったく名月の「め」の字もありません。もちろんその一日前の、「待宵の月(まつよいのつき)」も、雲に隠れてチラチラと薄っすら見えます駄目でした。

10月に入って1日は「十六夜(いざよい)」の月です見たいです。この日は朝から社長会、大阪に出かけて夕刻はやっぱり曇天曇り空、帰りの夜空に月など見えん、たどり着きますふるさと但馬、ザーザー降りです駄目ですね。
次の日昨日は、「立待月(たちまちづき)」の夕べです。「待宵月」も「満月」も、それに十五夜よりちょっと遅めになるために “ためらい” の意味です「十六夜」の月、その上立って待ちます「立待月」も、全部曇天見えません。

今夜は10月3日、とうとう名月見えずに毎夜が過ぎて、今夜はお月様待つのもくたびれますよ。なので座って待とうか落ち着いて、今夜は「居待月(いまちづき)」と云いますね。
ふるさと但馬の夕刻は、小雨がパラパラ降ってます。もちろん真っ暗曇天ですよ。ブログを書いてる今ですね、今晩今宵は雨足強く外はザーザー音がする、なんぼ気長に座ってですね、「居待月」を待って居てても無理ですね。

今年の名月残念ですね。仕方ないです明日はです。最後の期待を込めて待ちます。月が出るのも遅いはずなので、寝て待つ「寝待月(ねまちづき)」となりますね。それとも、横にごろりと寝転んで伏せて待とうか「臥待月(ふしまちづき)」よ、なにとぞ晴れてくれよと、仲秋の月を見たいね待ちますね。

《名月に お目にかかれぬ 秋の雨》

アトム旅行一泊二日(9/25)

2012年09月25日 | 季節(秋)

             【豊岡市日高町野々庄(ののしょう)】



アトム旅行は一泊二日です。せっかくですから、名古屋駅に途中下車いたします。
目的は、名古屋市内の兄夫婦に会い、扶桑町の姉夫婦のお家へ泊まります。
今日で三日目になりますね、木曽川の河川敷を早朝ウォーキングした後は、川向うの美濃加茂にあります、なにやらちょっと怪しい天狗さんの山に参ります。

《天狗さん なぜに青いの どうしたの》

アトム旅行一泊二日(9/24)

2012年09月24日 | 季節(秋)

             【豊岡市日高町竹貫(たかぬき)】



「アトム旅行」二日目です。
晴れました。昨日はあいにくの雨で、新幹線からも冨士の姿は見えません。今日はどうかなと期待を込めて、「戸田(へだ)」の港から海岸沿いに車を走らせます。
名峰冨士を眺めるに最高のポイントであるはず、ところが雲に隠れて頭をちょっぴり覗かせるだけ、ほんの一瞬でハイ終わりです。

《初めての 伊豆のドライブ 冨士見えず》

アトム旅行一泊二日(9/23)

2012年09月23日 | 季節(秋)

           【豊岡市日高町国府テラス(こくふてらす)】



今日と明日は、毎年恒例・一泊二日の「アトム旅行」です。
春夏2回の「アトム旅行」のうち、秋は家族の旅行です。そのためブログはお休みでした。
行先は伊豆・修善寺温泉、本日は、雨降る中での「淨蓮の滝」観光をいたします。

《雨ん中 伊豆は浄蓮 滝を見る》

秋分の日の話

2012年09月22日 | 季節(秋)
 
               【豊岡市日高町上石(あげし)】

今日は、国民の祝日「秋分の日」です。
私が続けています早朝のウォーキングは、平日はほんのちょっぴり20分ばかり、力いっぱい大股で歩きまして、歩く歩数は2,400歩というところです。
日曜、祝日はちょっとがんばって1時間、これまた大股歩きの7,200歩になりますね。



本日も、家を出発しまして上郷橋まで13分歩き、円山川の堤防を下流に向かって、巨大な八代川水門までを28分間、大股歩きで歩きます。
途中出会うTさんなんぞ、両手のダンベル振りながら力いっぱい歩きます。
コースは、大きな堤防の上です。もちろん目の位置高くって、周囲の見晴らし抜群で国府の村々一望ですね。
右手はこれまた雄大な、全国有数の規模です円山川の河畔林が延々と続き、素晴らしく気持ちのよい朝過ごします。



帰り着きます店の前、国旗を挿しますもちろんですね、本日祝日国民の、国民の祝日「秋分の日」です。



本日の新聞に出てました。
本日は9月の22日です。22日が秋分の日になるのは116年ぶりだって、『えっ~~、どうしてそんなことなの?』とビックリします。
新聞を読んでみますと、太陽の秋分点と言うものが、黄経180度って所にあるそうですね。(ちなみに、春分点は黄経0度です)
天文学的にきちんと計算された黄経180度の秋分点を、地球が通過したその日が秋分の日、計算上では、閏(うるう)年も含めて秋分の日は必ず9月22日~24日になるそうです。
今年は、それが本日22日の午後11時49分に「秋分点」を通過するそうな、今晩のもうすぐですね。
それがですよ、9月22日中に通過して秋分の日になることが、明治29年以来の116年ぶりだって、この116年間は秋分の日が、23日か24日しかなかったということらしいのです。始めて知りましたね、勉強になりました。

ところがもっと驚き調べたら、ここんところ秋分の日はずっとずっと去年まで、実に昭和54年以来ずっとその日は9月の23日です。
東京オリンピックが開催された、昭和39年ごろから調べましたね丁寧に、そうすると、やはり23日がほとんどでして24日が秋分の日はほとんどありません。
9月24日が秋分の日は、昭和の42年、46年、50年、54年とあります。なぜか知らんが4年おき、昭和55年からはそれが一年も欠かさずに、秋分の日は9月23日に決まりですよ不思議です。
平成の世になって24年目、今年は116年ぶりの22日が秋分の日となったと報じます。
来年は、9月23日午前5時44分に地球が太陽の「秋分点」を通過して、秋分の日は9月の23日、その先30年間は秋分の日は平年は23日、閏(うるう)年は22日というサイクルが続くのだって、昭和54年から途絶えていました24日の秋分の日は、西暦2100年にあるそうな、
西暦2100年を平成に置き換えたら、『えぇ~っと』何年になるのかな~、昭和54年からだと何年ぶりかな?、ちょっと頭がおかしくなりますね。

おっとオマケに「春分の日」の話をちょっと、
春分の日も、同じような規則性があるのじゃないかと、普通なら考えますね。おっとどっこい違います。
3月の春分の日は、今年までの20年間ほどとこの先20年間ほどの、計40年間は「秋分の日」とはぜんぜん違う規則で運行してますね。
3月20日の春分の日が2年続くと、次の2年間は必ず3月21日となる、その次の2年間は20日となる、交互に2年おきの20日と21日の繰り返しです。
ところが。30年ほど前の昭和57年ごろまでは。春分の日は3月20日の年の次は必ず3年続けて3月21日が春分の日、そして次の1年が20日となる、そんな繰り返しがありました。

ともかくですね、「秋分の日」と「春分の日」の規則性は全然違うことですほんとです。

《秋分も 春分だって 不思議です》

勤労感謝の日・新嘗祭・遣隋使の話

2011年11月23日 | 季節(秋)
(今日は祝日・勤労感謝の日、働ける喜びに感謝しながらバタバタします)

先日のことです。勤めてらっしゃる奥さんが、「仕事でいつも帰りが遅いので、洗濯機の修理は夜7時過ぎにお願いします」なんておっしゃる、この日が短い季節の夜の、7時はなんぼ何でも適いませんね。
ご主人のお帰りも遅い、共働きの奥さんもとっても遅い、平日は留守宅なので日曜日にしか会えない、それとも夜か、買っていただいた商品の納品だって時間を狙ってピンポイントの作業、時間指定や曜日指定は大変ですね。
今日は祝日・勤労感謝の日です。国民の祝日ですから本当は、ニコニコかみしめ休むが普通、でも街の電気屋さんはそんなことはできません。
勤めてらっしゃるお客様、今日は休みで家にいる納品工事に相談事をテキパキテキパキ片付け訪問いたします。

「23日は休みでいるから、冷蔵庫の相談に来てよ」とTさん宅に、『ありがとうございました。それでは色々相談の結果、パナソニックの470リットルにしましょうね』。
「水曜日に配達してよ洗濯機」とKさん宅へ、『据え付け出来ましたから後は息子が説明します。私は次に向かいます』と、取って返して先急ぐ。
「二人とも休みで23日にいます。台所の照明を診て、調子悪いの」とYさん宅へ、『ハイ、一台は直りました。もう一台は新しい新型に取り替えましょう』と、持参しました器具付けて昼になりますああ忙しい。
「勤めが休みで居ます。午後でも、注文のユニットバスの埋込換気扇を工事頼みます」とAさんから電話、息子と二人で工事をします。
「今日は祝日なんでファックス取付に来て~」とHさん宅へ、『奥さん、内職の部屋のテレビは19型でよろしいですね。大感謝祭特価にしておきますよ』と、ファックス取付しながらテレビの注文、ありがたいですねテレビが売れた。
その他息子は、「今日は祝日で居るわ~、プリンターの新しいのを持って来て~」ハイハイ、「休みで居ます。玄関の照明をLEDにしたいので、カタログ持って相談に来て~」ハイハイ」、「休みでおるよ、エアコンの調子がおかしいの、診てもらえるかな」ハイハイと飛んでいきますそれぞれに、
「一台プリンター売れたよ」、「天井の器具を取り替えて、中の電球をLEDにするって」、「エアコンは買い替えようかなって、リモコンの表示の大きな上位機種が良いって」と、次々依頼を捌きます。

国民みんなが働くことにともに喜び休もうと、勤労感謝の祝日を街の電気屋バタバタと、「休みなので居るよ~」のとってもやさしいお客様、確実に会って仕事や相談ができる、今日の祝日一日は朝から夕まで働きますね。
ここまでブログを書きながら、元の書き出し今日のテーマにとうとう入れない、実は本日こんなこと書こうと座ったつもりです。
今日は祝日・勤労感謝の日、天皇陛下が御勤めの新嘗祭(にいなめさい)のことを書こうと思ってた。そして天皇その言葉、初めて世に出たいきさつの聖徳太子の時代の話、遣隋使のことを取り上げまして書こうと思った書けません。
第二次遣隋使の有名な「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無(つつがな)きや云々」という国書、続いて第三次遣隋使の聖徳太子が考えた「東の天皇、敬(つつし)みて西の皇帝に白(もう)す」の国書のいきさつや、新嘗祭、天皇陛下、聖徳太子、遣隋使、東の天皇の言葉をつないでお話を、書くつもりが妙ですね話が全く逸れました。
今日の一日バタバタの話になってしまいます。

《気が付いた 最初と全く 違うネタ》