演題:「日朝ストックホルム合意と拉致問題」 その③
(1)拉致被害者
1970年代から1980年代にかけ、多くの日本人が不自然な形で行方不明となったが、日本の当局による捜査や、亡命北朝鮮工作員の証言により、これらの事件の多くは北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であることが明らかになった。1991年以来、政府は、機会あるごとに北朝鮮に対して拉致問題を提起したが、北朝鮮側は頑なに否定し続けた。しかし、北朝鮮は、2002年9月の第1回日朝首脳会談において、ようやく初めて拉致を認め、謝罪し、再発防止を約束した。同年10月には、5人の拉致被害者が24年ぶりに帰国したが、その後の進展はない。
拉致の理由として、①工作・軍関係の訓練学校で日本語を教える、②拉致被害者の専門的な技術を活用する、③北朝鮮に住む外国人の結婚相手として「与える」、④拉致被害者を工作員として要請する、ことなどが挙げられる。
(1)拉致被害者
1970年代から1980年代にかけ、多くの日本人が不自然な形で行方不明となったが、日本の当局による捜査や、亡命北朝鮮工作員の証言により、これらの事件の多くは北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であることが明らかになった。1991年以来、政府は、機会あるごとに北朝鮮に対して拉致問題を提起したが、北朝鮮側は頑なに否定し続けた。しかし、北朝鮮は、2002年9月の第1回日朝首脳会談において、ようやく初めて拉致を認め、謝罪し、再発防止を約束した。同年10月には、5人の拉致被害者が24年ぶりに帰国したが、その後の進展はない。
拉致の理由として、①工作・軍関係の訓練学校で日本語を教える、②拉致被害者の専門的な技術を活用する、③北朝鮮に住む外国人の結婚相手として「与える」、④拉致被害者を工作員として要請する、ことなどが挙げられる。