三笑会

三笑会は、平成30年6月1日~陶芸活動と陶芸教室、喫茶室、自家野菜販売、古美術・古物商経営を総合的に活動していきます。

「不安なファブリダム」

2021-02-20 18:46:30 | 日記
「不安なファブリダム」

 土曜日の昼から桑野西部改良区の役員会があり、2月27日の理事会と、3月28日の総会の進め方について議論した。その席上で出たのが、当改良区が使用し管理している新井堰ファブリダムの老朽化と善後策についてである。設置からすでに半世紀以上となるこのファブリダムは、設置者である徳島県の方でこれまでに何度も修理を重ねているが、当改良区を安心させるまでの修理は行われていない。
 昨年の秋から何回もゴムを張り替えては破れ、また補修をするという作業が続いている。この前に補修した箇所がまた剥がれて来ているという可能性もある。全面的な改修をすれば何億円も工事費を要するらしいが、まずは徳島県知事に長期的に安定して使用できるように善処を求める要望書を提出することで役員が一致した。



「私説:光秀謀反の理由」

2021-02-20 00:11:04 | 日記
「私説:光秀謀反の理由」

 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」も終了したことから、光秀謀反の理由について私なりの見解を述べてみたいと思う。諸説あることは承知しているが、私は、織田信長による天下統一が現実味を帯びてきた時期に断行された佐久間信盛、林秀貞などの老臣追放事件から、「明日は我が身」という恐怖感を抱いた光秀が衝動的に本能寺に攻め入ったものと推察している。
 封建時代及び戦国時代の武将にとって何よりも大切なものは、自国の領地を如何にして守るか、または如何にして領地を拡大するかにあるといって良く、この点、江戸時代に入ってからの君主に忠誠を誓うという新しい価値観とは違う武士道が存在していたはずだ。
 この領地という視点から考えると、信長政権が長期安定化を目指す時に必要となるのが、今後増加する一方であろう信長の子供や孫など親族・一族に分け与える領地を如何にして確保するかという新たな課題への対応策である。打開策は二つ、戦をして敵の領地を奪い取るか、自分の部下の領地を取り上げるかだ。
 特に、嫡男・信忠が治めるべき領地は天皇がいる京都を中心とした地域が妥当であり、それからすると現在その地を治めている明智光秀が邪魔になるわけで、配置換え若しくは難癖をつけて追放というプランが浮上してもおかしくない。佐久間信盛らの重臣追放劇は、明智光秀、羽柴秀吉、柴田勝家などの重臣にとっても他人事ではなく、明日は我が身との恐怖感を一応に抱いたであろう。徳川家康にしても例外ではなかったはずだ。
 仮に、光秀謀反が長期的な検討を経て計画的に準備されたものと仮定するなら、本能寺の変から山崎の合戦に至るまで光秀の対応が余りにもお粗末であり、信長亡き後の天下の仕置きをどうするのかという青写真もできていなかったものと想像する。本能寺の変は用意周到な準備を持って行われたものではなく、信長による光秀追放という恐怖感から衝動的に行った謀反であったというのが私の見解である。