ひめちゃんはタバサねーちゃんと、諏訪神社の向こうの高台・山上の薬師の道を歩いてきました。
浅間山は見えません。
吹雪いているかな?
赤城山も、ちょっと吹雪いているみたい。
寒い一日になりそうです。
ひめちゃんたちは、一昨日から床暖マットの2枚目が入りました。
さらなる防寒対策、この冬は早めかな?
『上州坪弓老談記(じょうしゅうつぼゆみろうだんき)』という、江戸時代に書かれた本があります。
戦国時代の上州の攻防戦が描かれています。
上杉謙信は、由良氏の領土を通過して、佐野に向かったことがありました。
広沢(桐生市広沢町)の寄居を、乱暴狼藉の限りを尽くして通過します。
由良氏は、謙信の通過に際して、「早速胴湖・市場・八幡へ人数を出し、敵の有様を見合すべし。」といいました。
胴湖はどこだかわかりません。
市場は太田市市場町、只上(ただかり)町の隣です。
八幡は、只上八幡神社のあたりだと思われます。
いろいろ検索していくと、なんとこのあたりには、平将門伝説があったのです。
「将門が射殺されたとき、その身体はバラバラになり、何カ所かに落下した。只上八幡宮は将門の胴体を祀ったところ、なので、御胴八幡とも言う。市場八幡宮は足を祀り、大手神社は手を祀っている。」とか
まあとにかく只上八幡神社に行ってみましょう
現在は、只上神社です。
立派な神社だけど、ちょっと寂しい
でもしっかり現役です
赤ちゃんの命名があったようです
2礼2拍1礼です
由緒があります。
ここは「山田郡毛里田村大字只上(やまだぐんもりたむらおおあざただかり)」だったのです。
山緒不詳ですか
社殿を左から一回りです。
落ち着いたというか、落ち着きすぎた感じです。
なんとなく昭和の雰囲気
境内社も多くはありません。
古いながらも、りっぱな社務所があります。
かつては、大いに賑わったのでしょう。
将門も由良氏も、その記憶はありませんでした
でも、将門の身体がばらバラになり、何カ所かに祀られているというのは、興味深い話です
それも、東毛に
さあ、帰りましょう。
県道の信号に出ました。
信号は、只上八幡前です
信号に「只上八幡神社」の記憶が残っていました
信号角のコンビニで、古印最中(こいんもなか)のお店をナビに入れて、足利に向かいます。
渡良瀬川の右岸を走り、緑橋で足利に入りました。
望むらくは、少し上流の鹿島橋を渡ると、好かったのですけど。
古印最中の香雲堂本店に到着です。
時間は、午前11時58分です。
お店の隣のミニ織姫神社から、00の時間になると、織り姫様がお出ましになるはずです。
あれ、今日はお出ましがありません
システムが変わったかな?
でも、いつも通り、古印最中を買って帰りました
(つづく)