ひめちゃんと獅子丸とタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。
諏訪神社の手前で、白い影を頭上に感じました。
見上げると、シラサギです。
急いでカメラを出しましたけど、シャッターチャンスは過ぎていました。
しっかり晴れて、朝日がまぶしい
神社の向こうの高台を、突き当たりまで行きます。
榛名山がきれいに見えています。
突き当たりを南に降りて、山上多重塔・東の窪地を北に辿ります。
赤城山も、しっかりその姿を見せています。
舗装された道ですけど、なかなか右に上がる道が見えてきません
どこかで右に上がらないと帰れません。
舗装道路はそのうちに、西に向かってしまいました
あぜ道をなんとか右に出ます。
山上(桐生市新里町山上)に戻れそうです
みんなも、ごほうびの催促です。
誰も知らない初めての道だけど、なんとか堀之内に帰れました
プーちゃん、おはよう
プーちゃんは、反応しません
ひめちゃんの恋の季節は終わりかかってるかな?
(10月18日)神代杉の後、郷原駅を過ぎて、善導寺を目指します。
「善導」とは新纂浄土宗大辞典によると、
中国唐の時代に活躍した阿弥陀仏信仰者で、日本の法然および法然以降の浄土教に絶大な影響を与えた人物。法然は主著『選択集』において禅堂のことを阿弥陀仏の化身とまで言っている。
ということです。
上野国山上の行仙上人著『念仏往生伝』でも、登場してきます
また、この善導寺は、いくつもの伝説があるようです。
事実かどうかは別として、一番ポピュラーなのが、次のような話かな?
戦国時代に甲斐の武田信玄が侵攻してきて、吾妻太郎の岩櫃城を攻めた。
岩櫃城はなかなか落ちないので、水路を絶ったけれども落ちない。
和議の交渉役・善導寺の和尚は、武田方に聞かれると、いとも簡単に岩櫃城の水利の秘密をしゃべってしまった。
水利を絶たれた岩櫃城は落城した。
その後、善導寺は祟りで何度も焼けた。
ぜひ寄って帰りましょう
ナビに従って、ごちゃごちゃした道を通って到着です。
駐車場から見た境内の風景です。
山門をくぐります。
本堂で参拝です。
合掌
雌雄の龍も獅子も生き生きしてます
新しそうで、元気いっぱいです。
町氏邸文化財・善導寺三尊来迎図の説明板があります。
鎌倉時代中期の作ですか
何度も焼けているそうですけど、古いものも残ってるんですね
勢至丸(法然上人の少年時代)の像です。
合掌
ここは、浄土宗のお寺です。
本堂の西側が墓地になってます。
あちこちのお寺で古い墓石を整理する時代に入っているのですね。
静かです。
余りに静かなので、御朱印をと聞いて見るのもはばかられます。
ましてこのコロナ禍の時節、又の機会を待ちましょう
山門をまっすぐ出ると、桜の古木です。
桜の季節には、きっときれいな花を咲かせることでしょう。
そのころまた寄れるといいな
このスペースには、境内に入らなかった石造物がちらほらあります。
あれ、目立たなく「吾妻太郎一族諸霊追善碑」ですって
塔婆も上がってます
合掌
駐車場の向こうに、白亜の巨大なお城が見えます。
東吾妻町役場ということです
役場前の道を通って帰ります