ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

ミウラ…

2007年09月05日 | グレ耶蘇生活
昨夕から症状が重い。やはり湿度・暑さと関係を感じる。

一日寝込んでしまった。

しかし気を紛らすため、幾ばくかの本をめくった。

パパガスパールのへやで、『道ありき』を見つけた。
天邪鬼クリスチャン桜泉は、ミウラブンガクとは常々距離を取ってきたが、ひと月前からこの本が気になっていて、買うか否か悩んでいたら…うちにあるんじゃん。
これまでにもノンフィクション系は2冊読んだのだ。(ちいろば先生物語と、夕あり朝あり)

1時間弱で斜め読み読覇。
しかも、不覚にも泣いてしまった!
ミウラを読んで泣くとは、ダメダメクリスチャンの沽券にかかわる。(?)
…いや、夕あり朝ありを徹夜で読んで泣いたくせに。(以来、義母の墓参の折りには必ず、すぐ近くにある五十嵐家の墓への墓参をも欠かさないくせに。)

しかし、なんだか不覚を取られて悔しい~。

とか言いながら、桜泉のアルバムには、3年前、旭川を旅した際、三浦綾子記念館前(厳密には見本林の入口)や、旭川六条教会前で撮ったスナップが残っている。
これだけを見たらまるで…じゃないか。

記念館はパパガスパールのリクエストで行ったのだし、六条教会に至っては、それと知らずに、ただ教会があるからと記念に撮影しただけ。
入口にフキノトウが咲いていて、さすが北海道~と勝手に満悦。それでオシマイ。
帰京(当時は帰浜か)してから、そこがミウラ夫妻の属する教会と知った。

うーん。
こうしてだんだんミウラブンガクにはめられて(?)行くのか?
だいたい、ドラマの『氷点』がダイキライで、だからミウラブンガクも苦手、また、真面目クリスチャンが読むものだという偏見から抜け出せなくて、距離を置き続けているはずなのだが…。

書物との出会いは時に、しばしば、見えざる者の手、導きの手を感じることがある。これは桜泉がクリスチャンになる前から感じていたことだ。
(書と人とを最終的に結び会わせるのは神である、と思えば、桜泉の職業もまた新たなやりがいが見えてくるかも…?)

し、しかし、『氷点』は読まんぞ。読むもんか~。
こういうことを言っていると、イヤよイヤよは好きのうち(おぃ)、カミサマに無理矢理読ませられることになる日がくるかもしれない。

で、具合。今も悪い。夕飯食べてない。(T_T)