ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

葬儀三題:最後に、その、詩

2007年06月26日 | グレ耶蘇生活
(ちょっと、アノ歌風に?)

わたしを拝まないでください
死んだわたしを
安らぎのなかでよこたわるわたしを

せっかくここに来たんだから
そんならぜひ
わたしの好きなかみさまを拝んで行ってください

わたしをどうぞダシにして
かみさまに出会っていってください
ともだちと語らっていってください

そしてそれから
もうはやこの体では讃美できないわたしに代わって
讃えのうたをうたってください

それではひとときのさようなら
その日
よみがえりのときに
み国でもういちどお会いしましょう

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桜泉死んだら、この詩を式次第にでも載せてもらおうっかな~。

多くのクリスチャンが、ある程度これと似たようなことを思いながら、死を迎え、天国に凱旋して行くのだと、思います。
おそらく、MK姉も、やはりこれと同じようなことを、思われながら、生涯を閉じられ、天へ召されていったのだと、桜泉は、そう思っています。

いわゆる清く正しい敬虔な暮らしをしそういう人柄であることがクリスチャンではないのですから。
生きることすべてでかみさまの愛を証しして、かみさまののお役に立てるよう望むのが、クリスチャンなんですから。最後のその瞬間、その日も、お役に立てれば最高です。
自分の死によって、1回礼拝の機会が増えるのです。それを思うと、それがいつのことか分からない、フツーに考えたらまだ先だと思うけど、桜泉はちょっと、嬉しく思います。

※アノ歌風って?・・・・・・
お願いです
この詩に、ミョーな曲をつけて
テノールなんかで歌わないでください(爆)

誰もそんなことしないってば。

葬儀三題:夏のスーツ買おう

2007年06月26日 | グレ耶蘇生活
それにしても、今日は心に誓ったことが。

この夏は、夏物の黒いスーツを買う!

普段、スーツを着ないので、本当は要らないのですが、黒のスーツはちゃんと夏冬そろえておくべきだ!

今日は仕事の合間の葬儀列席なので、職場へは・・・考えた末、夏物のフォーマルワンピースの上から、白いブラウスを重ね着して、フォーマルだということをごまかして出勤しました。
しかし。
あつい!
暑い!!蒸し暑い!!
脱ぎたい!いや、脱いだら・・・ダメじゃん。(爆)

フォーマルを着替えとして持ってきて、トイレか更衣室で着替える方式にすべきだった!でもそれじゃあ荷物がなあ・・・。

そう、こういう時、黒のスーツがあればいいのです。
職場へは柄モノや色物のシャツをインに着て、黒シャツを荷物として持って行くのです。そして、トイレかどっかでシャツだけ着替えればお葬式スタイルに早がわり!

冬物は黒スーツ持っています。しかし、夏は、なかったのです。

もともと桜泉は汗かき、夏のフォーマルワンピースは嫌いだったので、これはもう、スーツを買うぞ!

教会生活やってる限り、いつ葬式があるか分からない!一般人よりはるかに、葬式出席回数が多くなるぞ!!!社会人クリスチャンの必需品だぁぁぁぁ!?!?!

よく、喪服を通常時に買って用意しておくのはエンギでもないなんて言う人いますけど、いざ人が死んでから買いに行くのはすっごい大変ですよ。桜泉は一度、そういう羽目になって大変でした。
だいたい、人は必ず死ぬのです。天涯孤独で誰とも関わらず荒野で生きてるんじゃない限り、人の死に出会い、葬儀をして見送らねばならないのです。用意しておかなきゃ、アホです。
備えよ常に、ってのは、ガールスカウトとボーイスカウトとクリスチャンのモットーですが、一般人だって同じことだと、思います。

それにしても暑かった!
教会は涼しかった(むしろ教会内ではごまかし用のブラウスやカーディガンを着ないわけだから寒かった)けど、移動中、そして職場は暑かった!

男はいいなあ。ダークスーツを着れば、あとはネクタイ一本でどうにでもなるんだもんね・・・。

あ~、でも、教会内は冷房効いてるとはいえ、襟の詰まったワイシャツを着て、上からすっぽりあのながーい服をお召しになってる方こそ、一番暑いでしょうね。
アルバって言うんですけど、あれも結構着ると暑いのですよ。(桜泉はもちろん、信徒用のを、かつて、あるお役目で何度か着たので、その体験ですが。)

葬儀三題:10月の日を思い出しながら

2007年06月26日 | グレ耶蘇生活
MK姉のご葬儀に参列しました。
職場を抜け出しての参列で、時間がぎりぎり、裏方のお手伝いが出来なかったのが申し訳なかったです。

でも、良いお葬式でした。
信徒とご親族で礼拝し、お送りしました。

MK姉のエピソードを交えながらの説教には、泣きながら笑う皆さんの姿がありました。

桜泉は、2年前の10月末、宗教改革記念礼拝の受付で、「桜泉さぁん!」と身を乗り出さんばかりに迎えてくれた彼女の姿、お声が何度も何度もまなうらに見えては消えてゆきました。
かの教会の、実は正式な会員でない私を、いつも行くたびに、あれほど熱烈歓迎して迎え入れてくれた人は、他にいないでしょう。
棺にお花を手向けるために、礼拝堂の赤絨毯の通路に並んでいると、宗教改革記念日の典礼色=赤を思い起こして、ますますその日のその光景が浮かんできました。

(ちなみに2年前のイースターでは、桜泉の両親に、すっごいケバイ色の卵をお土産に持たせてくれたそうです。「持ってきなさい!」と無理やり(?!)手に持たせて。)

火葬場までは行く時間もないので、教会の戸口で、お棺をお見送りしました。

またひとり、信仰の先輩を、天国の入り口までお送りして、戻ってきました。そう思っています。

今日のお葬式では、献花がありませんでした。
(上記のように出棺前に棺にお花を入れるだけ。)
それもあってシンプルなお葬式でした。
ご遺族のご挨拶も超シンプルでした。さすが江戸っ子(というか麻布っ子)、遺族の鑑、あらまほしき理想の挨拶でした。世の中のエライ人とやらはぜひ見習って欲しいでした。(まじ)

何で献花無しにしたのか分かりませんが、先日偶然、キリスト教のお葬式に本当は献花は必要ないということ、もしくはむしろするべきではないということを、ものの本で読んで知ったばかりでした。

あれは日本で主流な仏教葬儀の焼香にあたるものがないと落ち着かない?から出来たものだそうで、厳格に考えるクリスチャンは、死者を礼拝することになりかねないからしない方がいい、と考えるそうです。
その是非はともかく、そう、お葬式といえども礼拝なんですね。
あくまでかみさまを讃え、かみさまと向き合う式なんですね。
その中で、亡くなった方の信仰の人生を思い起こし、偲びます。もちろん、亡くなった方に、この地上でのお別れを告げます。

信徒じゃない方はそういうこと知らないので仕方ないですが、だから本当は、教会でのお葬式では、お棺の前で手を合わせたりしない方がいいです。
誰より、亡くなった方も、それを望んでいないでしょう。

もちろん・・・今日、霊柩車が出発する時、万感の思いをこめて、また会う日までの別れのために、桜泉は深く頭を下げるしかなかったし、そうしたのですが。手を合わせはしません。
教会のほかのオバチャン(おばあちゃん)たちが、霊柩車が出るとき「また会いましょうね!」と口々に声をかけていたのが、とてもとても、印象的でした。桜泉も、そう思います。

帰り道々、ふと詩ができたので、別記事で。